第38話 それはいつのまにか、いた

文字数 3,871文字

(*35話が欠落していたので、追加しました)

「ところで哲佐君。突然生贄になれ、っていわれたらどうしますか。お駄賃はなしです」
「なし? そりゃ逃げるだろ、駄賃があってもよっぽどじゃなきゃあ」
 そこまで言って、なんだか墓穴を掘った気がした。
「ですよね。哲佐君がとても特別なだけという話です」
 鷹一郎が実に愉快そうにくすくすと笑うのが気に障る。
「うるせぇ。それで何が言いたい、いや、そうすっと千代はもともと生贄になる予定だったのか」
「そこまではわかりません。けれども千代さんが茶屋をやめた時期と千代さんの死亡届が出された時期はとても近い。ですからきっと、千代さんにとって突然の話じゃないんですよ。だからこそ、逆城南に逃げてきた。源三郎さんが逃したのかもしれない」
「そういえば、もともと千代はあの村に住んでいたんだもんな」
 鷹一郎はしたり顔で頷く。千代の様子は無理やり生贄になったという風情ではない。相応の覚悟をもとにあそこにいる。そうでなければおそらく泣き叫んでいたことだろう。
 隣に並ぶ鷹一郎は、俺の内心など一顧だにしないように澄ました顔で先を続ける。
「おそらく逆城南はあの化け物の影響下にはないのでしょう。根っこはこの参道より下には降りてきていないようですし」
「そうなのか? たしかに今はあの木の気配はしないが」
 俺と鷹一郎は早朝の逆城北を歩いていた。
 化け物の嫌な感じってものは一度(まみ)えれば身に染みるものだ。おそらくその臭いというものが魂に染みる。逆上村ではその存在をびんびんに感じたが、逆城神社を超えて後は綺麗さっぱりその気配は失せていた。

 逆城の町は旧街道を挟んで南北に分かれている。二東山のある逆城南は明治に入ってから開発が進んだ新興地だ。一方のこの逆城北は昔からの逆城神社の門前町で、東海道に連なる古くからの宿場町。本陣(旅館)旅籠(宿泊施設)が道沿いに隙間なく立ち並んでいる。この町の一番の混雑はこの時間帯で、泊り客の送り出しで往来はがやがやと賑わいを見せていた。
 旅人は逆城と西隣の辻切町(つじきまち)の間を南北に伸びる神津道(こうづどう)を通って北の神津城(こうづじょう)神白(かじろ)県庁に向かうか、南の神津港に向かうか。あるいは東西に続く東海道を伝って他県に向けて旅に出るか。ようするに逆城とその隣の辻切町自体がこの辺りの辻なのだ。
「哲佐君は逆城神社がもともと二東山の上にあったのはご存知でしたか?」
「ああ。確か江戸の初めに今の場所に移築したんだったか?」
 どこかの誰かから聞いた言われだ。
「そうです。もともと逆城神社は海神豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)を祀る神社です。この神様がどういう存在なのかはよくわからないところも多いのですが、海の神様ですから二東山の上から神津湾を見守っていたのでしょう」
 先日見た二東山の茶屋の風景を思い浮かべる。
 あの山頂には神社跡の展望台があり、はるか太平の海がどこまでも見渡せると聞く。そりゃあ見晴らしのよくて気持ちのいい場所なんだろうなあ。
「ふぅん、逆城じゃ海は見えねぇから残念だろうな」
「そうですねぇ。だからおそらく今の逆城神社の実際の主神は配神の(くなど)の神なのでしょう」
「岐の神? そいつはどんな神様なんだ?」
「簡単に言うと、道の神様ですね。疫病や悪意なんかの侵入を防ぐんですよ。道祖神(どうそじん)のようなものと言ったほうがわかりよいでしょうか」
 道祖神というと辻々にたまに見かける小さな仏さんか。この逆城では特によく見かける。
「うん? それじゃあ逆城神社はあの桜の化物を封じるために移築されたのか?」
「いえ、それはないでしょう。古妖のようですが、神社を移さねばならないほど強力とも思われません。おそらく移築の目的は別なのでしょうね。ただ、逆城神社があるところにわざわざ妖が芽吹くとは思われませんから、おそらく移築前後かその少し前あたりに芽吹いたのでしょう。つまり」
「つまり?」
「まあ樹齢300年前後は経っているのでしょうね。家康公が街道整備を始められたのは幕府を開かれる(西暦1603年)少し前くらいですから」
「そんなに昔のやつなのか」

 300年前。
 この日の本で多くの侍が刀を振り回して殺し合いをしていた時代。少し前に収まった西南戦争での主な武器は既に西洋式銃だった。人を刀で切るような時代は遥か彼方だ。どうにもこうにも想像がつかねぇな。
 なんとかなるものなのかな、と嫌な予感に薄ら寒くなる。
「長く生きてるからってそれだけで自慢になるものでもありません。問題はあの逆上村とあの古妖の関わりです。つまり生贄の風習というものは昔からあったのか。そうであれば生贄は何のために捧げられていたのか」
 頭に浮かぶのは千代の周りにあった黒い木々だ。
「けどそんな昔のことなんてわかんねぇだろ」
「わかりますよ、今向かっているところです」
 はぁ? 人の記憶なんて20年も経てば曖昧だ。一体どうするっていうんだ。そう思いながら歩いていると、鷹一郎は幸来寺(こうらいじ)という寺号額のかかった寺の前で足を止める。見上げると崖がある。ぐるりと回ってきたが、この上は逆上村のあるあたりか。崖。そういえば千代は崖から落ちたことになっているのだな。
「役所で聞いてまいりましたが、この幸来寺は逆上村を含むこのあたりの村の現在の菩提寺で、有名ではないものの長くからあるそうです」
 寺はそれなりに古く大きく見えた。古めかしい山門をくぐった境内は清涼な樹々に満ち、小坊主が門前を掃き清めていた。
「ごめんくださいまし。わたくしは辻切西街道の土御門と申します。先日お手紙にてご連絡差し上げましたが、住職はご在寺でしょうか」
 話は通っていたのか、お待ちしておりましたの声とともに応接に通され、間も置かずに古い帳面を携えた三十そこそこの若い僧侶が現れた。こもごもの挨拶の後、早速その中身にうつる。

「こちらがお預かりしております逆上村の過去帳でございます」
「拝察致します」
 僧侶は淡々と説明を続ける中、鷹一郎は早速帳面を捲る。
「一応当寺が逆上村集落の菩提寺ということにはなってはおりますが、実際は村の方との交信もほとんどございません。もともと逆上村にありました逆来寺(さかきじ)が廃寺となった際、所々諸々をお預かりしてそれっきりです」
 逆来寺は崖の上にあり、この幸来寺と親交を深めていた。けれども逆来寺は廃仏毀釈の際に破壊され、再興することもなく最も近くで無事であった幸来寺を菩提寺(ぼだいじ)としたのだそうだ。
 廃仏毀釈。
 御一新前後に多くの寺社が民衆の手によって打ち壊された。俺が10歳くらいの時だ。俺の生まれは東北でこの神津じゃないが、誰も彼もが時の風に吹かれて狂乱していた時代だ。このあたりのような古刹の多い地域ほどその破壊の影響を受けている。
 鷹一郎は帳面の一番うしろからめくるが、直近の記載はなさそうだ。千代の名も。
「昨年秋から現在にかけて建てられたお墓はございますでしょうか」
「当寺には逆上村の方の墓は一基もございません。死人が出れば逆来寺の墓地に埋めているとは聞いております」
 年に一度、まとめて逆上村から連絡が来るらしい。
「では本当に最近のことなのですね」

 戸籍が編纂されるまでは寺請制度に基づき寺が人の出入りの管理を行っていた。鷹一郎が捲っている過去帳は、その名残(なごり)だ。家毎に作成されるものと寺用に作成されるものがあり、寺用では所属する檀家(だんか)各家累代の記録が記載されている。
 鷹一郎は最初から再び帳面をパラパラめくり、チラと手を止めたページでわずかに眉を(ひそ)めた。そこからはなかなかのスピードで、時折小さな紙片をしおり代わりに挟みながらひたすらにパラパラとめくっていく。(はた)から見ていても何を読んでいるのかわからない勢いで最後のページまで到達し、鷹一郎はパタリと帳面を閉じた。
「30年に一度ですか」
「なにかございましたか」
「こちらを御覧ください。おおよそ30年周期で村人が亡くなっている」
 鷹一郎が閉じた帳面をそのまま縦にすれば、その様子は奇妙だった。その(上部)に挟まったしおりが綺麗に等間隔に並んでいるのだ。
「ふうむ? 流行り病か何かでしょうか」
「このあたりで定期的に流行る病のようなものはございますか? もしよろしければ近隣の過去帳も拝見したいのですが」
「定期的に……そのようなものは寡聞(かぶん)にして存じません。本来はお見せするものではないのですが、ようございましょう。ご紹介のご縁もございますし」

 僧侶の後ろ姿を見送りながら鷹一郎は俺の腕をつついて改めてページを開く。
 そしてその示された数に慄いた。
 それぞれのしおりの場所には少なくとも五人、時には三十を超える人の名が死亡者として記されていたのだ。死亡日を見れば全員がさほど間を置かずに次々と死んでいる。あの村はせいぜい家は三十戸ほどだった。しかもいくつかは既に廃屋と化し、使用していなさそうな家屋もある。
 昔の村の様子はわからないが、現在の状況を前提とすれば各戸一人ほどは死んでいる計算だ。村には死者が(あふ)れかえったことだろう。年齢は幼児から老人まで漫勉(まんべん)なさそうだ。体力の有無では太刀打ちできない強い病に思える。
「ざっと拝見すると定期的に病が起こり、一定の期間ののちに収束している。とすれば安定した解決方法が存在したように思われます。この過去帳の最初の(つづり)寛永18年(西暦1641年)ですから、やはりそれより以前からあの桜はあったのでしょうねぇ」
「千代は病快癒(やまいかいゆ)の生贄、か?」
「その線は妥当そうですが何か、妙にひっかかります」
「何か?」
「必ず三日毎に人が死んでいる」
「三日」
 改めてその帳面を見てみると、確かにどのページも死亡日はきっちり三日おきだった。
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登場人物紹介

土御門鷹一郎

京生まれ。もともとは公家の傍流。

明治14年8月に旧東京大学の理学部星学科を卒業するまでは学生、

それ以降は神津の辻切西街道にある土御門神社の宮司をしている。

山菱哲佐

生まれたときは久保田藩の貧乏藩士の長男。

明治13年に旧東京大学理学部工学科を中退するまでは学生、

そのあと日雇い仕事をしていて明治15年ごろに鷹一郎に呼ばれて神津に引っ越す。

ミケ

とても大きなジャコウネコ。もともと四風山に住んでいて、いまは土御門の森に住んでますます太っています。

にゃんと鳴く。哲佐君がよくアラで餌付けをしています。

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