第8話 葉月
文字数 2,065文字
この話はフィクションです。
登場する人物名、地名、事件等は全て架空の物です。
以下から、本文が始まります。
真夏の日差しが容赦なく照り付ける間を縫って、ハジメと会っていたカフェへ急いだ。
中では関口さんが先に待っていて、自分の飲み物を購入して席に向かった。席に着くなり、関口さんはタブレットを見せてくれた。
「ハジメの両親が弁護士を頼んで〈推し活しようよ〉アプリのデベロッパーに情報開示請求を申請ているんだ」
「え? どういう経緯で?」
関口さんは自分のアイスコーヒーを飲もうとしてもう無いことにがっかりしていた。ぼくは先を聞きたかったが、お代わりを注文することを進言した。この先飲み物を確保しないと、体から水分が無くなりそうな話になるからだ。ぼくのアイスコーヒーは一番大きなサイズだった。
カウンターから、ぼくと同じサイズのアイスコーヒーを手に戻って来た関口さんの顔は、幾分やつれているように見えた。
店内は八割の入りで、重い話をするには思いのほか喧騒の中にあるから、こちらとしても都合がいい。 関口さんはタブレットの画面をぼくの方に見せた。そこには、ハジメの自筆が走る画像が表示されていた。
「ハジメが家族宛に、もし自死することがあればそれは虚偽だから、アプリの管理者に情報開示請求をかけて調べて欲しいと、遺書を残していたんだ」
「なんで、そこまで」ぼくは呼吸が苦しくて、関口さんがゆっくり息を吸ってと肩を叩いていた。
ハジメは公表出来ない個人情報などは伏せて、調査の裏が取れて証拠を掴んだら、新聞社か信頼できるネットニュースの記者に持ち込むつもりでいたようだった。残されたパソコンに暗号化されたデータが残っていて、関口さん宛に残したと遺書にも記載されていた。別途暗号解除パスワードも送信されていた。
「こんなの残されたら、たんまらんでしょ」
関口さんは苦いものを噛んだような顔をしていた。
「そこまでハジメを駆り立てたものは何だったんでしょう」
「これはおれ宛の遺書にあったんだが、『世の中には、暴けない不正や暴力が溢れている。おれは本当に少ないと思うけど、白昼の元に暴いて、正せるチャンスがあるならそうしたい。妹が報われるように』そう書いてあった。おれ宛の遺書を見せないのはハジメの意志を
ぼくは
「そうか聞いてないか、ハジメには五歳年下の妹がいて、八歳の時に下校途中さらわれて殺されている。陰惨な事件だったので、被害者の個人情報はメディア内で非公表で統一された。犯人は捕まったが複数いた被告はいづれも未成年で、今は大手を振って生きてるよ。腹立たしかったんだと思う。やるせない」
「それでも、ぼくが話を振ったのが原因だと思います。何と詫びても許されるものじゃないと思います」
「それは違うよ。ハジメは君に話を持ちかけて貰う前からあのアプリに目を付けていた。高校の時付き合っていた彼女が、あのアプリを使って情緒不安定になったんだ」
関口さんが言うには、〈彼と仲直りがしたいです〉そういう達成目標で活動していた彼女は、あるVIPから支援を持ち掛けられる。VIPと話すうち、アプリ外で電話で話すようになった。相手は女で、親身になって話を聞いてくれたのだという。その内、電車のホームや、長い階段の上から飛びたいと思うようになったと言っていた。 ハジメは彼女がおかしくなっていく過程で、アプリの存在を知り、自分のせいかと、彼女と一緒にいる時間を作って沢山話をした。彼女はだんだんアプリから遠ざかり、正気に戻ったがハジメからは離れていった。今も元気にしているはずだと言う。
「その時のVIPは、〈キャンティ〉と名乗っていて、退会済みで情報は無い。闇から闇だよ」 関口さんは違う画面を表示した。詳細なDMの内容が表示されている。彼女が提供したものだそうだ。DMからは直接自死に向かわせるような話は無く、言葉巧みに直接会話する方向に誘っていた。
「最悪だ」ぼくの感想に関口さんもうなずいている。
「ハジメは君から情報を貰って、切り込むきっかけにしたんだ。後悔することはない。ハジメは自分の信念のために動いたんだから」
「関口さんも意識にあると思うんですけど、ハジメ身分を偽って登録していたから、運営から規約違反で開示拒否されそうですね」
「そうなんだ。その公算が大きいと弁護士も言っていたが、両親は申請することを辞めるつもりはないそうだ」
「そうですか……」のどの奥が収縮して呼吸が苦しかったが、ハジメの事を想えば苦しみのうちに入らない。どんな思いで死んでいったのか、いや、〈死なされたのか〉。
関口さんと別れて、真夏の太陽を受けながら暫く歩いた。熱中症警報が出る気温に道行く人はぐったりしていた。流れる汗がすぐに乾いてしまう熱気は、ぼくの気持ちまで熱で翻弄することが叶わなかった。どうにも出来ない憤りが、心の底を凍らせていたからだった。
-つづく-