第5話 皐月
文字数 3,089文字
この話はフィクションです。
登場する人物名、地名、事件等は全て架空の物です。
以下から、本文が始まります。
爽やかな風が網戸から入り込むようになり、ぼくは勉強へ集中していた。例のアプリの件は、ハジメから関口さんを紹介すると言われたが、今のところ断っている。
「おれは興味が出てきたから、もう少し調べてみるよ」そういうハジメは何か含みを持たせた言い方をしていて、関口さんの伝手で、false angelのユーザー名を持つVIPにコンタクトを取る計画が進行中だと言っていた。
夜姫胡のことは伏せたが、ユーザーIDを教えたことを迂闊だったと後悔していた。
休憩しようと思い、スマホの電源を入れた。
電源が入っているとどうしてもスマホを見そうになってしまう。何かが着信するたびに注意がそちらに向かうので、電源を切ることにしていた。
「〈76stardust〉に〈まほろば〉からメッセージが来ています」
スマホに表示されているメッセージに、ぼくは「来たな」そう呟きながらアプリを起動した。
もちろん〈推し活しようよ〉のアプリだ。
「〈76stardust〉さん、支援申請受けてもらってありがとう。目標達成に向けて、デザイン一緒に頑張りましょう」 〈76stardust〉は、ぼくの新しいIDだ。前使用していた〈My_angel〉は、ぼくの退会後誰か使っているらしくIDは別名で再度登録していた。
推し活目標は、歌い手〈ミハル〉のサイリュームスティックのデザインコンペに採用してもらうためのデザイン支援だった。
普通会員は、VIPへ支援申請だけ出来る仕様だ。あくまで支援協力が相互で成立した場合のみ、VIPと会話できるようになる。
VIPも自分の支援可能項目を列挙していて、実績の表記もある。人気のVIPは倍率も高いのか、めったに支援受付中にならないのだ。
夜姫胡のID:〈false_angel〉で検索すると、〈支援中〉受付不可の表記になっていた。 支援可能には「キーチャーム作成デザイン相談」、「ひとから攻略(キーのキープ方法)」、「話を聞く(重くないので)」この三点だった。
〈話を聞く〉以外の項目は実際に夜姫胡が得意にしていることだった。プロフィールには、性別の表記はあるが、年齢を伺わせる記述は無かった。
支援受付不可なのは、〈ぼくの推し活をしている〉からだろう。
ぞっとする。
死への推し活については、ワードとしてNGらしく、自殺防止サイトのリンクや、心の相談室系のリンクが示され、「心を落ち着けて、楽しく推し活しましょう」と表記されて、入力内容は初期化される仕組みだ。
まともなアプリ仕様だし、自殺ほう助につながるようなキーワードは使えないから、特別な符丁でもあるのか、暇を見ては他の会員のプロフィール説明を覗いたりしていた。ワード検索機能はあまり詮索していると思わせる使い方はまずいかと考えて控えている。
WEB上で、怪しい使い方の方法がないか、ぼくなりに検索してみたがハジメ程の成果は上げられそうもなかった。
支援に名乗りを上げたVIPは、ぼくからアプローチしたのではなく、向こうから支援申請してきた。 「同じ〈ミハル〉好きとして、デザイン支援できることありますか?」逆申請は会話可能なので、釣れたとばかりにメッセを返した。
VIPの〈まほろば〉に、ライブに行きたいが中学生のため親が許してくれず、デザインコンペは応募出来るから、採用されてライブで振られるのを見てみたいと訴えた。作ったデザイン画も添付してやり取りは始まった。
始まったが、終わりは早かった。〈大学でデザイン科に在籍すると自称している彼女〉は普通にデザインの落としどころを見つけてくれて、適切なアドバイスをし、完成までデザインの監修はせず、自分の手で完成させて応募しようと促す、真っ当な対応だった。
ボランティアでこの細やかな対応はすごいと思った。
十日ほどで支援は終了したが、対応が適切すぎて、ぼくは評価を最高点としてVIPに送った。
「今月の推し活目標は、達成っと」達成アイコンをタップして、ポイントを受け取った。
「初めての達成、おめでとう。初達成はポイント二倍です」運営から定型メッセが飛んできていた。
「普通に楽しいだけじゃないか。アプローチ方法を考えないと」
***
夜姫胡はバイトの日だったから、一人で夕飯をつついていた。
ぼく以外いない家はひどく広く感じて、もう誰もここに帰ってこないんじゃないかと思ってしまう。
「どうして弱気なのかな。今までそこまで考えたことないのに……」
食は進まず、半分以上残して冷蔵庫に入れた。
「ただいいまー」夜姫胡がバイトから帰って来たようだ。
先日あった学校のテストが思いのほか良かったのか、機嫌がいい。
「お
「頼もうかな」
ソファーから立ち上がりながら、夜姫胡が部屋に行くのを見送った。シンクを片付けてコーヒーを入れて、ソファーに座りなおした。
夜姫胡が着替えて風呂場から戻ってきた。冷蔵庫から飲み物を手に持ち、ぼくの向かい側に腰を下ろした。
「ねえ、お兄、家売れちゃったら引っ越さないといけないけど、次の部屋ここからあまり遠くないところだと、いいよね」
スマホの画面を見ながら言っている。話は続いた。「この辺便利だから、田舎寄りとかいやかなと」
チラッとぼくの方を見た。
「どうかな、次の居住場所を決めるのは親だし、三人纏めてたま
「分かってるよ。ちょっと愚痴っただけだし」
「分かってるならいうなよ!」
怒鳴り声に、夜姫胡は固まっていた。
「引っ越しなら早くしてほしいんだよ。ぼくだって勉強に集中したいんだよ!」
「お兄、落ち着いて」
夜姫胡の言葉に、ぼくは暴言で返した。
「ぼくのこと〈推してる〉の知ってるんだよ! いなくなってほしいんだろ? うざいんだろう?」
夜姫胡は頭を押さえながら苦悶していた。
「お兄……やめて、それ以上怒らないで。頭が割れそう……」
湯が張り終わったブザーがリビングに響いて、ぼくは我に返った。
夜姫胡は頭を押さえて俯いたままだった。
「ごめん、ごめんよ。怖がらせるつもりはなかったんだよ。ぼくが上手くストレスを発散できなかったから、当たってしまってごめんよ」
触れることはいけないかと思い、声だけかけた。
「もう大丈夫、久々だったから、対応しきれなかっただけだよ」
夜姫胡はそう言って顔を上げた。
「あたしも少し、イラついてたのかな。ゆみちんの幸せ
顔色は戻っているようだった。
「お兄、あたしのスマホ見たんだね? 別に怒らないよ。推してるのは本当だから〈お兄が大切で幸せになってほしいから〉推してるんだよ」
「何言ってる? おまえのスマホに〈チカ〉ちゃんの月間対応完了って載ってたよな? 完了ってなんだ? チカちゃん自殺したよな? 説明しろ!」
再び怒りに火が付いた。
片手で頭を押さえながら、夜姫胡は見たことがない表情で言い放った。
「説明? 表層の事情で知ったような口で踊っているような奴に、話すことなんてないよ!」
-つづく-
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