死の礼砲  上

文字数 5,101文字


 ある日ジャネットは、指揮所内のアップル大尉の部屋へ呼ばれた。
 ドアを開けてジャネットが顔を出すと、アップル大尉はすぐに口を開いた。
「ああ、来たかスミス」
「はい大尉」
 とジャネットは答えたが、それがすぐにため息で迎えられたのには嫌な予感がした。
 そして案の定、アップル大尉はこんなことを言い始めたのだ。
「スミス、ハマダラカのゴーストの最新情報が手に入ったぞ」
「ゴーストの? では、やはりゴーストは生きていたのですね?」
「生きているどころか、ヒトリ船舶を多数沈めた功績を買われ、ついにゴーストが潜水艦の指揮を任されたとしたら、どう思うね?」
「本当なのですか? 私には信じられません」
「諜報部が言うことだから、充分に信用できる話さ。それはそうと、外洋パトロールに出たヒトリ潜水艦がこのところ、何隻も立て続けに行方不明になっているという噂は、おまえも聞いているだろう?」
「はい」
 いまいましそうに、アップル大尉は口元をゆがめた。
「ここから先は機密事項だから、誰にも話すんじゃないぞ。ヒトリ潜水艦の行方不明はただの噂じゃない。事実なんだ。おそらくハマダラカによって撃沈されたと想像されるが、証拠があるわけじゃなし、これまではうやむやで終わった。そんなところへ、ゴーストがハマダラカ潜水艦の指揮をとっているらしいという情報が流れてきたわけだ。本省の石頭どもじゃなくても、びっくりするさ」
「ゴーストが指揮するその潜水艦が、ヒトリ潜水艦撃沈の犯人ということですか?」
「ゴーストの潜水艦は、ゴーレムという名だそうだ」
「ゴーレム?」
「いい名だと思わんか? このゴーレムが大洋を荒らしまわり、ヒトリ潜水艦に遭遇するたびに魚雷をぶっ放しているんだな。しかも、ゴーレムの手ですでに3隻が沈められた、と聞けばおまえも驚くだろ?」
「3隻も? 事実なのですか?」
「本当も本当さ。だから海軍大臣も頭を抱えているんだぜ」
「だけどアップル大尉、大臣の頭痛は自業自得として、私に何の御用なのです? 私は竜騎兵ですよ。潜水艦とは全く関係がありません…。えっ、まさか?…」
 ここでアップル大尉はニヤリと笑ったのだ。
「そうさスミス。あれだよ、あれ」
「あれって、潜水艦と竜騎兵の協調テストのことですよね?」
「テストの文字は外された。ぶっつけ本番、明日から実戦に入る。潜水艦の改造工事もすでに終わり、明日の正午きっかりに、潜水艦ウルフがおまえとクジラを迎えに来る手はずになっているんだ」
「ウルフ? 来るって、どこへですか?」
「この指揮所の沖合いさ。ああ、大した眺めだろうな。見物人が山ほど出るぞ。船着場に鈴なりになって、何人か海に落ちなきゃいいがな」
 アップル大尉は気楽な顔をしていたが、ジャネットは気が重かった。
 しかし、あっという間に時間は過ぎ、潜水艦ウルフが指揮所の海に本当に姿を見せたのだ。
 乗船したジャネットを、艦長のメロン中佐は甲板で迎えてくれた。
 向かい合い、互いに敬礼をしたあとで、艦長は言った。
「スミス少尉、君のクジラはどこにいるのかね? まさかそのカバンの中には入るまいが」
 メロン中佐は、ジャネットの私物の入ったカバンを指さしていた。
「いいえ艦長、私のクジラには、この潜水艦の跡をずっとついてくるように、と指示を出してあります」
「そんなことをして、どこかへ行ってしまったり、迷子になったりはしないのかい?」
「大丈夫です。休暇あけの新兵よりも当てになりますよ」
「それならいいが。では艦内へ入りたまえ。乗組員に紹介しよう」
 こうして航海が始まったが、ジャネットは夢にも知らなかったのだ。
 指揮所を出発した直後から、ウルフはゴーレムによってひそかに追跡されていた。
 そして戦いは突然始まり、魚雷は真正面からやってきたのだ。
 ソナー手が気付いて警告を発したが、もうすべてが手遅れだった。
 ソナー手は叫んだ。
「だめだ艦長、回避が間に合わない。方位020、距離600。一直線に魚雷が接近中」
「魚雷だと? 何をやぶからぼうに…。すぐに船を立てろ。舵を切れ。こちらから近づいてゆくんだ。なんとかすれ違えるかもしれん」
 だがうまくいかなかった。
 ウルフは艦首に魚雷を受けてしまったのだ。
 爆発音と共に、鉄の引き裂かれる音が艦内に響いた。
 まるで二匹の竜がからみあうかのような、耳を覆う轟音だ。
 艦首には魚雷室がある。
 メロン中佐はインターホンに飛びつき、連絡を取ろうとしたが、魚雷室からの返事はなかった。
「衝撃で電話線が切れたか?」
 ジャネットが次に気付いたのは、足の下で突然、踊るように床が動き始めたことだ。
 それだけではなく、海図台の上のペンや定規、コンパスといったものも勝手に動き始め、音を立てて床へ落ちていった。
「船が…、船が沈むぞ」
 と誰かが叫んだ。
「あっ痛っ」
 壁にぶつけ、ジャネットは肩に痛みを感じたが、負傷というほどではなかった。
 すぐに立ち上がり、まず目に付いたのは、自分がなんと天井に立っているということだった。
 部屋の中の何もかもが上下逆さまになり、見上げるとさっきまでの床が頭上にある。
 魚雷を受けてバランスを崩し、ウルフは一瞬で転覆したのだ。
 他の乗組員たちもジャネットと同じように戸惑った顔をしているが、メロン中佐の声が聞こえた。
「スミス少尉、大丈夫か?」
「はい」
 部下たちを振り返り、メロン中佐は指示を出した。
「深度はいくらだ?」
「25で変わらず」
「ソナー手、敵の位置はわかるか?」
「ソナーに反応はありませんが、魚雷が来た方向から見て、おそらく真正面でしょう」
「副長、浮上はできるか?」
「いいえ艦長、何をしようにも、こう上下逆さまではね…」
 そこへ一人の水兵が現れた。服はひどく汚れ、しかも体全体がびっしょりと濡れている。
「艦長…」
「どうした?」
「魚雷室と連絡がつきません…。外部からの浸水はなんとか止めました」
「魚雷室は全滅か?」
「そう思います」
「浸水したのは上層階だけか?」
 水兵はうなずいた。
「そうです、艦長。それで頭が重くなって、本艦は上下さかさまに転覆したんです」
 メロン中佐はすばやく操縦台を振り返った。
「動力は使えるか?」
 機関長が答えた。
「バッテリーなら使えます。フルパワーは無理ですが、半分ならなんとか」
「よし、航走開始せよ。ただし操舵手は舵の向きに注意しろ。船は上下逆さまなのだぞ。そもそも舵がきくのだろうな?」
「ききます」
 こうしてウルフの迷走が始まった。
 艦首が大きく変形し、しかも船体は、酔っ払った魚のように上下逆さまなのだ。
 ゴーレムから見れば、のろのろと動くイモムシのようでしかなかった。
 そんなイモムシに二発目の魚雷を命中させるなど、これほど簡単なことはない。
 メロン中佐がジャネットを振り返った。
「スミス少尉」
「はい艦長」
「君は竜騎兵だ。私もよくは知らないが、竜騎兵には竜騎兵なりに、敵潜水艦と戦う戦法があるのではないかね?」
「ええ、ありますが…」
「それが有効な戦法かどうか私は知らん。だがとにかく実行してみてくれ。本艦にはもはや、こうやって逃げ回って時間をかせぐしかやり方がない」
「はい…」
「君は船外に出てクジラと合流し、ゴーレムと戦ってくれ。ゴーレムを沈めてくれと言っているのではない。ただやつの注意を本艦からそらして欲しい。その間に私たちはできるだけ排水をして、船を立て直すことさえできれば、なんとかゴーレムと対決して見せるさ」
「でも魚雷室は全滅したのでしょう?」
「前部魚雷室はね。しかし魚雷室は艦尾にもう一つある。それで反撃を試みるさ」
「私はどうやって船外へ出るのですか?」
 メロン中佐の説明は短く、わかりやすかった。
 その指示を受け、ジャネットは行動を始めた。



 伝説に登場する巨人と同じ名をつけられていても、実はゴーレムはそれほど大型ではなく、潜水艦としてはせいぜい中型というところだ。
「くそっ、いつまで待たせるんだ?」
 と、その艦内でスピナー艦長は悪態をついたが、どうしようもない。
 一発目の魚雷はうまくウルフに命中したものの、スピナー艦長の機嫌がひどく悪いことは、艦内の全員が承知していた。
 スピナー艦長は続けた。
「おい副長、ゴーストからの連絡はまだないのか?」
 副長は答えた。
「ありません。数分前に、『ウルフから漏れた大量の燃料油のせいで海中の視界が悪い』、と言ってきたきりです」
「ふん、いくら伝説的な人物だか知らんが、竜騎兵なんていい加減なものだ。最初から俺は気に入らなかったのだよ。おまえはどうだ、副長? ゴーストはおまえのお気に入りか?」
 スピナー艦長は背は低いが筋肉質で、もちろん型どおりの制服を着こんではいるが、どちらかといえば軍人よりも、前世紀の海賊というほうが似つかわしい感じがする。
 スピナー艦長の質問に、副長はうまく答えることができなかった。
「えっ、ええ…」
「どうした副長? あの竜騎兵野郎に遠慮しているのか? あんなやつ、子猫ほども怖いことなどあるまいが。あいつめ、人の船に乗り込んできて、偉そうにばかりしやがる」
「それは艦長、司令部の命令ですから」
「司令部だと? あんなバカどものことなんざ俺は知らねえよ。そういえばおまえ聞いたか? ゴーストの経歴にはおかしなところが多いんだとよ。ハマダラカの海軍大学にも、やつが在籍した記録は残っていないそうだ」
「どういうことなんですか?」
「俺の同期に、本省の記録課で働いているやつがいるのさ。そいつの口から聞いた。ゴーストのやつがハマダラカ海軍へどうやって入隊したのか、説明できるやつも事情を知っているやつも一人もいねえ。あの階級なら海軍大学か、せめて士官学校くらいは出ているはずなのにな。その記録が一つもない。文字通り真っ白なんだとよ」
「なぜです?」
「俺だって知らねえよ。だけど、ゴーストについてささやかれている噂が、ここで急に真実味を帯びてくるのが面白いじゃないか」
「噂って、ゴーストの正体が実は元ヒトリ軍人で、わが国へ亡命してきて海軍に加わった、というあれですか?」
「こうまで経歴が真っ白ときちゃあ、そんな与太話も信じたくなろうってもんだ。どうだい?」
「さあ、私にはよくわかりま…、おや艦長、そのゴーストから連絡です。ゴーストが外部から船体を叩く音が聞こえますよ」
「ああ。トンカチを使って、教会の鐘みたいに気楽にゴンゴンやりやがる」
 ゴーストは通信にモールス信号を用いていた。
 その音とともに、通信文が一通り終わるまで耳を澄ませていたが、やがてスピナー艦長は口を開いた。
「『魚雷は受けたが沈没には至らず、船体は上下逆さまのまま、ウルフはひたすら迷走中』ときたか。ヒトリの艦長も馬鹿じゃないな…。おいソナー手、ゴーストの言っていることは本当か? ソナーでも確認できるか?」
「はい艦長、ただウルフの迷走なんですが、針路変更が早すぎて、ソナーでは追いきれません」
「魚雷の照準を合わせるのは無理か?」
「無理ですね」
「おやおや、気軽に答えやがる…。おい副長」
「はい」
「とにかくゴーストの言うとおりの進路でウルフを追跡するんだ。チョロチョロしやがるネズミみたいで面倒だが、いずれバッテリーが切れて速度を落とすさ…」



 そのころジャネットはウルフの艦内通路を、格納庫へと道を急いでいた。
 何もかもが上下さかさまでひどく歩きにくいが、仕方がない。
「チビ介はどうしているだろう? さっきの魚雷に驚いて、逃げ出していなければいいけれど」
 普段は兵器を収納するはずの格納庫が、今は臨時の潜水服置き場として使われていたのだ。
 潜水服を着込んでジャネットがいくつかスイッチを押し、格納庫のハッチを開くと、洪水のように流れ込んでくる海水と共に、チビ介が迎えてくれた。
「ああ、やはりいてくれたのだね」
 チビ介が額を近づけるので、ジャネットは空気パイプをつなぎ、船外にサッと身を乗り出した。
「さあチビ介、無事に合流できたのはうれしいけれど、今回はまだほかにも準備があるのだよ」
 潜水服だけでなく、ジャネットはある装置も格納庫から取り出していたのだ。
 サイズは一抱えもあり、ジャネットの手にも余るようなものだが、与えられた命令の一部であり、ジャネットも重さに文句を言うことができなかった。
「ああ、これこれ。これが『擬似音響装置』なんだってさ。今回の作戦で始めて実戦投入される新兵器で、これを取り付けて泳ぐとチビ介、なんとあんたは、本物の潜水艦とまったく同じ音を出すそうだよ。ソナー手にも区別がつけられないそうだ。信じられるかい?」
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