既視感

文字数 1,514文字

 遅い。今年はどうしてこんなに遅いのか。
 もう雪が何度か降ったというのに。気温だって一桁や氷点下なのに。カレンダーは最後の一枚となり、季節は冬となっているのに。
 こんなに遅いことってあっただろうか?
 何度かどなたかのSNSでもホット入りました!という投稿を見かけたのに。私はもっと北にいるのにどうして?と思い続けている。

 自販機の案件である。
 一度は消えたミルクティーが復活し、小さな変更はあれども何とか平穏に夏秋が過ぎて行った。
 以前も書いたが、私は夏でも水筒の中はホット派だ。長時間、更には汗だくの職場につき、水筒一本では脱水になる。二本持参の人もいるが、私は重いという個人的かつわがままな理由で二本目は自販機に頼っている。なら我慢するしかないと言われればそれまでだとの自覚は、ある。
 だから百歩譲って冷たくてもかまわない。年に半分、暑い時期だけのことだもの。暑い時期だけの、はずではなかったのだろうか。認識違いだろうか。一年中、外気温が氷点下となっても我慢するしかないのだろうか。

 我が職場の自販機、冷えすぎなくらいキンキンに冷えている。凍っていませんか?温度設定間違えていませんか?と問いたくなるほどに。購入後すぐに飲もうものなら脆弱な私の胃はキーンと痛むから常温に戻す時間と手間が必要になる。

 それほどまでにキンキンに冷えた自販機案件。
 師走に入ったのにホットは導入されていない。

 そんな昨日、十四時過ぎに昼休憩へと向かう。
 遅めの時間だからか、自販機のお兄さんと遭遇した。自販機の扉を全開にしてガタゴトと大きな音を休憩室に響かせている。なかなか終わらない。補充しているだけではなさそうな気配を漂わせている。
 いよいよホット導入か、と表面上は見て見ぬふりを装いながらも、隠せぬ思いでチラ見しつつ席へつく。
 たくさんの売り切れボタンを点灯させ、ところどころ商品をカラにしてお兄さんは一度去っていった。作業の途中なのだろう。きっと違う温かい商品を持って戻ってくるのだと信じた。まだ二本目の飲み物は買わず、水筒の白湯をちびちび飲みながら健気に待つ。

 お弁当を食べ終えた頃、お兄さんは戻ってきた。待ってました!食後のミルクティーが欲しいところ。台車にたくさんの段ボール箱を積んでいる。またもや見て見ぬふりしながらも熱い視線を隠し切れない私。
 ガタゴトと人のまばらな休憩室に再び響く騒音。しばらくしてバタンと扉の閉まる音。去っていくお兄さん。
 私はすかさず席を立った。自販機へ向かう。
 全体的に青い。赤くない。青い。ボタンが青い。
 青いボタンは、白字で「つめた~い」と書かれている見飽きたあのボタンだ。私は落胆した。
 商品は入れ替わっているけれど、ホットがない。お兄さん。待って。ホットがないんですけれど。もう雪降る冬なんですけれど。

 このチャンスを逃すといつ会えるかわからない大切な人を追うべく、私は休憩室を出た。間に合って、と心で反芻しながら。が、残念なことに廊下に既に彼の姿はなく、エレベーターに乗ったあとだった。冷たい風が廊下を通った、気がした。

 休憩室に戻り自販機の前に立つ。
 決まったものを買うためにコインを入れ、二段目の左端へと指を伸ばし、ふと止めた。生茶に変わっている!そうだ入れ替え作業をしていたのだった。改めて全体を見渡して商品を確認していく。

 既視感。
 過去につぶやいた言葉が脳裏にくっきりと浮かび、繰り返された。

 はて、紅茶はどこへ。

 もはや言葉にはならない落胆の叫びを心の中で懸命に処理する。ホットどころかミルクティーが消えていた。お兄さん、ミルクティーが……。
 落胆が海底深くへと急速に広がっていく。


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