我れ、珈琲アレルギーにつき

文字数 1,414文字

 幼い頃、母が淹れてくれた温かい飲み物はココアだった。母は珈琲党でいつも水を飲むように珈琲を飲んでいたけれど私たち姉弟には「もう少しおおきくなったらね」と言い、子どもの飲み物はココアと決まっていた。
 紅茶は意識したことがなかったから、当時の我が家にはあまり陽の目を見ない存在だったのかもしれない。あまり外食にいくこともなかったので、家の中での飲食が私の生活のすべてだった。
 
 それでも紅茶派になったのは、体が何か察知していたからなのだろうか。
 食後に飲むのはミルクティー。紅茶だ。気付いたときには紅茶を好んで選んでいた。

 母は高校生くらいの頃から、私にもときどき珈琲を淹れてくれるようになる。しかしながら、いつまで経ってもお子ちゃまの味覚を持つ私は、あの苦味を美味しいと感じることはなかった。
 高校卒業後は母と暮らしていないので、珈琲を飲むことは激減する。友だちとカフェにいっても紅茶を頼んでいたのは、珈琲に対しての苦手意識とジュースやココアにするには子どもっぽいような気がして、背伸びしたい二十歳前後の女子が選択肢を失った結果だった。

 バブル時代、カッコいい大人はみんな珈琲を飲んでいて、紅茶派は少数派だったととらえている。あのちっさなカップにエスプレッソなんて飲んでいる人をみて、カッコいいなと思っていても、体が受け付けてくれない。
 実は珈琲の香りも以前は苦手で、珈琲の香りがムンムンに漂っているカフェには、できるだけ近付かないようにしていた。
 当時、一人暮らしの友だちの部屋に遊びにいくと珈琲しかおいていない人はけっこういて、そんなときは頑張って大人のふりをして珈琲を飲んでいた。
 そして気付く。飲んだあと必ず気持ちが悪くなりお腹の調子を崩すことに。

 それから十年以上も経ったある日。そんな珈琲の話をしていて、勤務先の医師に言われた。
「珈琲アレルギーだね」
 アレルギーという概念がなくて目からウロコだったが、そういわれればその通りなのである。三十路も数年過ぎた頃だった。
 皮肉にもその頃には味覚が少々大人になり、たまに帰省したときに母の淹れた珈琲が美味しいと感じるようになっていた。
 そうなると、珈琲の香りも、いい香りだなあ、と感じるようになる。ゲンキンなものである。
 しかし、そのあと必ず胃腸の調子がわるくなる。まあ、そんなにひどい症状ではないのだけれど。でもそれを理由に、いまも珈琲はめったに飲まない。特に外で飲むことはない。
 
 家で飲む珈琲を自分で自分のために購入することも皆無だ。ただ、たまにお土産や差し入れなどで友人から美味しい珈琲をいただいたりすると、嬉しくなり淹れてみる。珈琲の香りにうっとりする。
 その度に、体と味覚は共通した認識を持たないのだなと思ってしまう。いや、以前は持っていたのに、私の味覚だけが年とともに変化してしまった。

 それでも紅茶と暮らすようになって久しい。私の舌にも充分馴染んでいる。珈琲をそれなりに美味しいと感じても、長年連れ添ったミルクティ―を越えることはない。
 紅茶の中でもミルクティーを愛するのは、ミルクを加えることによって味のカドがとれてコクが生まれ、なおかつ幼い頃ココアで育った私には、ほんの少し懐かしさを感じる甘味が必要だったからかもしれない。
 ミルクティー好きはアレルギーと郷愁が生んだ賜物なのだ。だから、幅が狭いと言われども、私はまたミルクティーを選んでしまうのだろう。
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