はて、紅茶はどこへ

文字数 1,279文字

 新芽が伸び、日に日に春めいてきた暖かなある日の出来事。

 職場の休憩室にある自販機が、少しばかりひんやり感を醸し出しているように見えた。
 近づいて行くと、今まで、三段あるうちの下の段はあたたかい飲み物だったのだが、季節の進み具合にあわせて全部冷たいものになっていた。ひんやりした印象を受けたのは、三段目の赤色が青色へと変化していたせいだろう。
 休憩室に設置されている自販機は、八十円~百二十円と他の自販機よりも良心的な値段設定になっており、昼食後の飲料摂取に大変お世話になっている。

 私は選ぶ飲料の幅が狭い。
 非常に、驚くほどに、狭い。自覚はある。

 自販機で購入するのは、ほぼ紅茶。その九割九分はミルクティー。
 今まで購入していたのは決まってホットミルクティー。それしか知らない人のように、毎回押すボタンは同じ位置。もはや勝手に手が動く。

 基本あたたかい飲み物が飲みたいのだが、季節の流れと言われれば仕方がない。とりあえずは水筒必須。私の水筒の中は、真夏でもあたたかい飲み物が入っている。中はなんとお湯である。とはいえただの熱々のお湯ではない。一旦ぐつぐつ沸騰させたあと絶妙な温度へ冷ましてから保温の水筒へ入れてくるので、午前中はやや温かめ、昼食時にはちょうど良い温度の白湯になっている。胃に優しく、飲めばまろやかに喉を通っていく、私の中では癒し系の飲みものだ。食事時は味のない飲み物を第一選択としているがための白湯持参である。自販機では購入できない。ちなみに水は冷たいので飲まない。

 キンキンに冷えたビールは真冬でも飲めるのに、なぜか酒以外の冷たすぎる飲み物はあまり好まない私。しかもこの自販機、いつもキンキンに冷えている。そのため今までこうしてすべてが冷たいものになってしまう時季は、購入後、少し常温に放置してから飲み始めるようにしていた。

 さて、このたび衣替えした自販機。
 選ぶのは、冷たいとはいえミルクティーに決まっている。

 と、

 ▼上の段
 MONSTER 二本(一本でよくない?)、コーヒーがいろいろと六種九本、オロナミンC
 ▼中段
 水二種六本、炭酸水二本。カルピスウォーターなどジュース類
 ▼下の段
 ポカリスエット、DAKARA、麦茶生茶などお茶類

 ん?

 はて、紅茶はどこへ?
 再度、上の段から見直してゆく。

 ……。

 ん?

 はて、紅茶はどこへ?
 ボタンを押す手が、宙をさまよう。

 ミルクティーじゃなくてもいいから、冷たくてもいいから、お願いですから紅茶を置いてください。と切実な面持ちで自販機を眺め、ぽつんと立ち尽くす。ご承知のとおり、どんなに自販機の前で願っても、目の前のMONSTERが紅茶に変わるはずもない。

 明日からは水筒を二本にしないと、いや重たいし。大人なんだから、ちゃんと適応しよう。選ぶ飲料を増やすべきだ、この中から選ぶんだ、となんやかんや自問自答する。
 それでも選べなくて、ただ自販機の前で葛藤を繰り返していると「変わったんですねー」と話しかけられて、我にかえる。待っている人がいた。
「ねー」と曖昧な返事をして、そこから離れた。

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