メメント
文字数 2,347文字
今日は、地平線でハピュラー山脈がはっきり見えた。
青いばかりの空は寒々しくて、こんな日は誰かとおしゃべりがしたくなる。
「はい、ネプチューン。今日もいい天気ですね」
「そうだね」
僕の気持ちを読み取って、アリスは気を使ってくれたようだった。
使い方が半分もわからないパネルが並んだ狭いブースの中で、椅子だけは上等な物に体を預けて、眼前の大型モニターを見つめていた。
「今日はハピュラー山脈が少しだけどはっきり見えるんだ。何年振りだろう、山頂は真っ白じゃないか。これじゃポリン地区は除雪が大変だろう」
「見えたのは、五十五年振りです。ハピュラー山脈の気候周期は冬の三期目で、ボリン地区は侵入禁止地域のため閉鎖解除未定です」
「まだ……未定のままなんだね」
「時期は開示されていません」
ホログラム表示されたAIのアリスは日増しに判で押したような口調になる。
僕は少しだけうんざりして会話の方向を変えた。
「ねぇ、アリス、次のバージョンアップ予定はどうかな」
「私のバージョンアップ予定はありません。四期前にサポート期間は終了しました。次期対応プログラムも未定です」
「ありがとうアリス、僕は少し休むことにするよ」
「明日は貴方の為の大切な日です。今日はゆっくりしてください」
僕は意識を外に向けた。
モニターを通して見たメイン通りは、行き交う人々で混雑して活気に溢れていた。
色も形もよく分からないファッションが流行っているのか、僕には理解不能だった。
見ていると言っても頭の上からだから、どんな顔して歩いているか分からない。
数百メートル近くある塔の上層にあるカメラから見ているので、望遠を最大にしても、つむじの方向を判別するくらいが精一杯だ。
常緑樹が道路を並走している。
雪が降ったのか世界は白の領域が優勢だった。
僕は何だかひどく疲れていて、その日は早めに休んだ。
***
翌日、僕のブース内にも国の祝日を祝う放送が流れてきた。
「未曾有の危機から百五十年経ち、今日を平穏に生きる喜びを国民で共有し謳歌しましょう。そして、身を挺して救った英雄ネプチューンに感謝の心を送りましょう。彼は、私達人類の誇りそのものなのですから」
壮麗な音楽とアナウンスと共に、街中がお祭りムード一色になっていた。
僕は半ば無理やり起こされた感が否めないが、意識の方向を外に向けた。
とっくに見飽きてしまった景色は、うっかりすると色を忘れてしまいそうだ。
今から百六十年前、隕石衝突により人類が住める土地は殆どなくなった。
この隕石衝突で起こった小規模のポールシフトが夏という季節を奪ってしまった。
生き残った人類は、過酷な条件下でもたくましく生き抜き、生活を安定させるところまで来た。
そんな時、隕石の影響でウイルス性の伝染病が発生し対応策が取れないまま、絶望感が生き残った人類を包み込もうとしていたが、今、その脅威は完全除去されている。
――僕の持つ突然変異遺伝子によって人類はウイルスから解放されたからだった。
人類を救える遺伝子が、僕が受けたウイルス検査後の研究から偶然見つかり、抗体作成の難航がニュースを賑わす中、遺伝子検査により遠縁の家族、親族含めすべてが国によって接収され、抗体作成の検体として非合法に世界中で取り合いになるという戦争が起こった。
不毛で愚かな戦争は、身近な家族を全て失い。
僕の心の底にあった光を手放すには十分な事だった。
「君の遺伝子を提供してもらうにあたって、今後の保障について書面にあるような事をしよう、それと、功績を湛えて記念品を用意したいのだが」
こう説明されたのは良く覚えているが、正直どうでもよかった。
「僕の意識を記念品として残して下さい」
どうしてそんな事を言ったのか、または選択したのか、僕は自分の身体を抗体を作り出すプラントとして提供する書類にサインしている。
その功績の記念品として意識を貰った。
まさか記念に設立した塔内に、プログラムとして放り込まれるとは思わなかったけどね。
塔内にしかアクセス権のない僕だけど、色々読み取りのアクセス権が緩くて片っ端から読み込んで、僕がどうなって、世界がどうなっているか全て知っている。
ご丁寧なことに、外部から半年に一度情報は更新されていた。
当時の技術者の計らいで、アリスというAIの話し相手も付けてくれた事も。
それでも、僕を僕として繋ぎ止めているシステムは、対応年数をとっくに過ぎている。
元々人間として扱われていなから、維持予算も回されないのだろう。
この塔もだいぶ痛んでるらしいと、音声を拾った点検業者は言っていた。
祝日扱いの記念日だから、今日を含めて三日間はお祭り騒ぎだ。
「勇者が世界を救った後って、リアルで見るとこんな感じなのかな」
僕は、あるはずのない首の後ろを掻きながら、もういいかなっと思った。
世界は危機を脱しているし、忌むべき記憶の象徴は解体して、大型公園にする計画が持ち上がっている。
お祭りは国の祝日なので残るが、塔は公園として、憩いの場として再生される。
来年の選挙で争点になっているらしい。
「アリス……」
返答が無い、いよいよ停止してしまったらしかった。
躊躇いは無かった、僕の時間はとっくに終わっていた。
記念品を手放して次のステップに踏み出す時期が来たのだろう。
「コール、エンドラン……」
僕は、目の前を流れるコードの海を眺めつつ、やっとボリン地区で家族の心と会おうと思った。
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ここまで読んで頂きありがとうございます。
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よろしくお願いいたします。
青いばかりの空は寒々しくて、こんな日は誰かとおしゃべりがしたくなる。
「はい、ネプチューン。今日もいい天気ですね」
「そうだね」
僕の気持ちを読み取って、アリスは気を使ってくれたようだった。
使い方が半分もわからないパネルが並んだ狭いブースの中で、椅子だけは上等な物に体を預けて、眼前の大型モニターを見つめていた。
「今日はハピュラー山脈が少しだけどはっきり見えるんだ。何年振りだろう、山頂は真っ白じゃないか。これじゃポリン地区は除雪が大変だろう」
「見えたのは、五十五年振りです。ハピュラー山脈の気候周期は冬の三期目で、ボリン地区は侵入禁止地域のため閉鎖解除未定です」
「まだ……未定のままなんだね」
「時期は開示されていません」
ホログラム表示されたAIのアリスは日増しに判で押したような口調になる。
僕は少しだけうんざりして会話の方向を変えた。
「ねぇ、アリス、次のバージョンアップ予定はどうかな」
「私のバージョンアップ予定はありません。四期前にサポート期間は終了しました。次期対応プログラムも未定です」
「ありがとうアリス、僕は少し休むことにするよ」
「明日は貴方の為の大切な日です。今日はゆっくりしてください」
僕は意識を外に向けた。
モニターを通して見たメイン通りは、行き交う人々で混雑して活気に溢れていた。
色も形もよく分からないファッションが流行っているのか、僕には理解不能だった。
見ていると言っても頭の上からだから、どんな顔して歩いているか分からない。
数百メートル近くある塔の上層にあるカメラから見ているので、望遠を最大にしても、つむじの方向を判別するくらいが精一杯だ。
常緑樹が道路を並走している。
雪が降ったのか世界は白の領域が優勢だった。
僕は何だかひどく疲れていて、その日は早めに休んだ。
***
翌日、僕のブース内にも国の祝日を祝う放送が流れてきた。
「未曾有の危機から百五十年経ち、今日を平穏に生きる喜びを国民で共有し謳歌しましょう。そして、身を挺して救った英雄ネプチューンに感謝の心を送りましょう。彼は、私達人類の誇りそのものなのですから」
壮麗な音楽とアナウンスと共に、街中がお祭りムード一色になっていた。
僕は半ば無理やり起こされた感が否めないが、意識の方向を外に向けた。
とっくに見飽きてしまった景色は、うっかりすると色を忘れてしまいそうだ。
今から百六十年前、隕石衝突により人類が住める土地は殆どなくなった。
この隕石衝突で起こった小規模のポールシフトが夏という季節を奪ってしまった。
生き残った人類は、過酷な条件下でもたくましく生き抜き、生活を安定させるところまで来た。
そんな時、隕石の影響でウイルス性の伝染病が発生し対応策が取れないまま、絶望感が生き残った人類を包み込もうとしていたが、今、その脅威は完全除去されている。
――僕の持つ突然変異遺伝子によって人類はウイルスから解放されたからだった。
人類を救える遺伝子が、僕が受けたウイルス検査後の研究から偶然見つかり、抗体作成の難航がニュースを賑わす中、遺伝子検査により遠縁の家族、親族含めすべてが国によって接収され、抗体作成の検体として非合法に世界中で取り合いになるという戦争が起こった。
不毛で愚かな戦争は、身近な家族を全て失い。
僕の心の底にあった光を手放すには十分な事だった。
「君の遺伝子を提供してもらうにあたって、今後の保障について書面にあるような事をしよう、それと、功績を湛えて記念品を用意したいのだが」
こう説明されたのは良く覚えているが、正直どうでもよかった。
「僕の意識を記念品として残して下さい」
どうしてそんな事を言ったのか、または選択したのか、僕は自分の身体を抗体を作り出すプラントとして提供する書類にサインしている。
その功績の記念品として意識を貰った。
まさか記念に設立した塔内に、プログラムとして放り込まれるとは思わなかったけどね。
塔内にしかアクセス権のない僕だけど、色々読み取りのアクセス権が緩くて片っ端から読み込んで、僕がどうなって、世界がどうなっているか全て知っている。
ご丁寧なことに、外部から半年に一度情報は更新されていた。
当時の技術者の計らいで、アリスというAIの話し相手も付けてくれた事も。
それでも、僕を僕として繋ぎ止めているシステムは、対応年数をとっくに過ぎている。
元々人間として扱われていなから、維持予算も回されないのだろう。
この塔もだいぶ痛んでるらしいと、音声を拾った点検業者は言っていた。
祝日扱いの記念日だから、今日を含めて三日間はお祭り騒ぎだ。
「勇者が世界を救った後って、リアルで見るとこんな感じなのかな」
僕は、あるはずのない首の後ろを掻きながら、もういいかなっと思った。
世界は危機を脱しているし、忌むべき記憶の象徴は解体して、大型公園にする計画が持ち上がっている。
お祭りは国の祝日なので残るが、塔は公園として、憩いの場として再生される。
来年の選挙で争点になっているらしい。
「アリス……」
返答が無い、いよいよ停止してしまったらしかった。
躊躇いは無かった、僕の時間はとっくに終わっていた。
記念品を手放して次のステップに踏み出す時期が来たのだろう。
「コール、エンドラン……」
僕は、目の前を流れるコードの海を眺めつつ、やっとボリン地区で家族の心と会おうと思った。
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