リポップ

文字数 2,152文字

 頭上の澄み切った空を仰ぎ遠くに鳥の影を追う。
 影はやがて点になり蒼が紅くにじんだ空に溶けた。
 
 足元に視線を落すと、頬を伝って流れる感覚があった。

「帰ろっかな――いたっ」

 脳内がスパークするような錯覚を覚え、軽く頭を押さえた。
 
 動揺はしているが、落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
 目は真っ赤だろうが涙は止まっている。

 足早にメイク直しのため化粧室へ急ぐ。
 ファッションビルの屋上は平日で夕方、閑散としているが、地方都市ならどこでも見られる光景である。

「こんなはずじゃ、無かったのにな」

 化粧室でつい口をついてしまい、視線が室内を彷徨う。
 他に人がいない事を確認すると、黙々と化粧直しの続きに集中する。
 よれてしまったアイメイクを再構築し、目の腫れ以外は事が起こった以前の状態まで復元した。

 話は一時間前に遡る――営業途中のタカシと待ち合わせて、ファッションビルの屋上で話しをしていた。
 営業職と言うだけあって人当たりが良く聞き上手な人だった。

「今年三十になるから……そろそろな」
 なんて言うから、今度実家に連れて行ってくれるのかもとか、一縷(いちる)の望みを抱いたものの一緒に住み始めてからの日々は、全てが真っ黒く染まってしまい、よく思い出せていなかった。

 屋上で一緒にいた時間は三十分も無かったが、ずっと地獄だった。

 フリースペースのテラス席に並んで座り、腰に回された手は優しく撫でているように見える。その実、柔らかい所を痣になるまで何度もつねられる。

 周りに分からない様に執拗に。

 痛そうな顔も声も上げられない。

 一緒に暮らしているから、逆らえば外から見えない個所に痣が増えるか、精神的に追い詰められる。

 時折見せるタカシの優しさに縋ってしまう自分を、おかしいと感じる思考は既に枯れ果てて、言われるがままを受け入れていた。
 通っていた大学も3年を前に休学し、今はじっと帰りを待つだけの日々。

 タカシは仕事に戻り、重い足を引きずるようにファッションビルを後にする。
 かつて希望が詰まっていただろう部屋の鍵は、心を縛る鎖の鍵でもあった。

 部屋は広めの1LDKで少し古い感じがするマンションだった。
 身支度を済ませ、遅くなると聞いているから夜食の準備をする。

 全て終わると床に座って帰りを待つ。
 テレビとかスマートフォンで動画を見る事もしない。
 タカシはスマートフォンの通信記録や通話記録を毎日チェックしていて、余計な事を外部に発信していると容赦ない。

「い、いたっ!」

 頭の中で光が弾け視界が歪んだ。
 床に倒れ込みながら玄関の物音でタカシが帰って来た事が分かり、頭の痛みより出迎えが出来なかった事のペナルティに身体が冷えて行く。

 自由の利かない身体は、足元に立っている彼の表情を窺い知ることを許してくれなかった。

 カバンを床に放り投げる音が遠く感じて、視界がブラックアウトする。
 音も聞き取りづらくなった。

「あーもしもし……だから、よろしく」

 タカシは何を言っているのだろう――意識は霧散し重さを失った。

 ***

 目覚めると懐かしい部屋にいた。
 自分の実家の部屋だった。
 ゆっくりと起き上り部屋を一瞥する。
 
 そう言えば、今日は予定が入っていた。
 夕方には出かけて人と会うのだ。

 塵一つない片付いた部屋は、飾りっ気が無かった。
 クローゼットを開ければお気に入りの服が詰まっているし、そこのチェストを開ければメイク道具が出てくるはずだ。
 
 しかし、どこか寒々しい。

 気を取り直しクローゼットに向かう。
 服を選びチェストからメイク道具を出して準備を整えていた。

 ベッドの脇から不釣り合いなケーブルが伸びていて、先は首の後ろに繋がり、接合部分が青く点滅していた。

 全ての準備が整い、部屋の扉の前に立つとケーブルは首から自動で離れ、巣穴へ戻る蛇のようにベッド下に回収されていった。
 接合部分に開いた穴はあっと言う間に皮膚で覆われ跡形も無い。
 
 扉が開くのと同時に部屋が小型コンテナに変わった――調度はそのままだったが広さは三.五平米も無いだろう。
 
 用意されていた靴を履き、鉄製の階段を数歩降りてマンションの前に立った。

 階段が収納され後ろで車の発進音がしたがどうでも良かった。
 マンションの前で男が待っていた。

 男は手に持っていたスマートフォンの画面に視線を移し「受領しました」と言葉を発した。
 
 ――到着確認しました。
 ご利用ありがとうございました。
 スマートフォンから女性の声で応答があり、通話が終わったのか視線が向けられる。

 優しい声で彼は言った。

「おかえり、ハル」

「今日からよろしくね。タカシ」

 タカシのスマートフォン画面には、AI彼女のアプリ画面が起動中だった。

 人造的に作られたボディーに、AIによってユーザーのニーズに沿う思考を搭載したちょっと見ただけでは、人間かAIか見分けがつかない〈お人形〉である。

 その用途に於いて問題が多発したため、近く一般販売の打ち切りが決定していた。

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