*乳歯の持ち主

文字数 1,025文字

2年前の大掃除、兄の不在だった我が家の窓ふき担当はぼくが任命されることになった。
兄弟の最年長が窓ふき担当と決まっているので、
きっと兄たちはなにかと用事を付けて帰ってこなかったのだ。
無計画に帰省したぼくは、己の浅はかさに猛省し、頭の中でハンカチを噛みしめながら涙を流した。

二階の窓を開き、先に掃除道具を出したぼくは、
背中をつる思いで、どうにか屋根のほうに出ることができた。
家庭の窓というのは、光を入れる役目が主で、人が出入りする役割を備えていない。
横長の長方形、且つ上下引き違い窓の開き幅最大域というのは、
二十歳過ぎの中肉中背一般男性が出入りするにはいくらなんでも窮屈過ぎた。
「一般男性でも出入り自在!年末のパパも大喜び!」
こんな窓のコマーシャルを流せば多少売れるのでは?と考えたが、
なんだか簡単に泥棒に入られそうで縁起悪いな、と改めた。

我が家の屋根はスキー場の上級者コースのように急こう配ではないが、
死亡保険の受取金を時々思い出させるほど、雪解けの屋根はひどく滑った。
そのため、しっかりと気張りながら、足元を確認して移動していたのだが「ガリッ」と何かを踏んだ音がした。
見ると、土にまみれた小さな歯が転がっていたのだ。
これは恐らく-壁に白骨死体の影も見えなかったので-子どもの頃に屋根に投げた“乳歯”だとピンときた。

昨今では珍しいが、当時の我が家は拡大家族で、祖母と一緒に暮らしていた。
したがって、乳歯が抜けると“おまじない”をかける風習が残っていたのだ。
「おまじない」というのはいわゆる「歯を投げること」を指していて、
上の歯は軒下に、下の歯は屋根に向かって、
「永久歯が丈夫に生えますように」と願いを込めて投げるのだ。
今思えば、衛生的にいかがなものかと不快に感じる人もいるかもしれないが、
とにかくそんな風習がたしかにあった。
子どもの頃に乳歯が抜けると、祖母が見守る中、えいやーと歯を投げた映像を、ぼくはふと思い出した。
だが、屋根に転がっている歯を想像してみてほしい。
そう。ただただ不気味。
ぼくは、そこらにあった枯葉や土で、見つけた歯を無言で隠した。

掃除を終えて、見つけた歯について「懐かしいね」なんて言いながら父に話した。
すると、思いがけない返事が返ってきた。
「ああ、お父さん(一人称)も昔見つけたけど、見つけたのは全部地面に落としたよ。汚いし。」

む。ではあの歯は、いったい誰のものだったのだろう。
暖炉の効いた温かいリビングで、ぼくは少し身震いをした。
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