*憧れのまま

文字数 1,447文字

前職は営業の仕事をしていて、運転をしない日はなかった。
なによりぼくが田舎育ちなこともあり、配属先の神戸は運転に退屈しない街だった。
2号線で窓を開ければ、海風が髪の中を泳ぎ、ポートタワーが日差しを浴びて輝く。
裏路地に迷い込めば、薄暗い定食屋に何故か心奪われ、いつの間にか常連になる。
一方で、緑の制服を着た駐禁パトロールのおじさま部隊と、
市営バスの幅寄せには怯える羽目になったのだが。
とにかくそんな街だったので、社用車には大変お世話になった。
この場を拝借して礼を言いたい。
おっと、あくまでこれは仕事の合間の話なので、サボりだ給料泥棒だと言う主張はご遠慮願いたい。

心残りは、一箇所だけ気に掛かったままの場所があることだ。
ぼくの営業範囲は、主に神戸から西側(だいたい姫路まで)で、週に一度は必ず高速道路を利用した。
事務所は神戸駅だったのだが、高速には須磨インターから乗った。
手前の柳原東インターから乗ると阪神高速3号神戸線の料金が上積みされるので、
所長に止められていたのだ。
ケチンボ。

そんないつものように、須磨インターまで運転していた途中だった。
インターの乗り口までもうすぐ、といったところの信号に引っかかった。
ちょうど若宮-月見山間の高架下で、反対車線には無理矢理コンビニを利用したがる車で詰まっていたのを、ぼくはぼーっと見ていた。
そして、ふと左に目を向けた時だった。
視界に入ったのは、どデカいカエルの横顔だった。
横顔は無表情だが、つぶらな瞳をしていて、コンクリートのような皮膚にはヒビが入り、
ペールグリーンとピンクの塗料は剥げまくっていた。
「なんやあれは。展示会でもしとんのか。」とエセ関西弁でツッコんでいると、後ろからクラクションが鳴った。
とっくに青信号になっていたようで、前の軽自動車はもう遠くに見える坂の急勾配に、アクセル全開で挑んでいた。
あれから何度か通っては見つめていうちに、思慮を巡らせていたのだが、世は情報社会。
調べればいいではないか、と閃いた。

マップアプリで現場地点をフォーカスすると、あった。
チリ共和国みたいに細長い敷地をタップすると、ピンが名前を教えてくれた。
「天井川公園」
そう呟くと、ぼくはハッとした。
なんと、あのカエルの写真がが出てきたのだ。
(以降、親愛なるカエルとの再会に「彼」と呼ぶことにする。)
そして、同時に写真は彼が展示物などではなく、滑り台の遊具だったことを教えてくれた。
滑り台は背中の窪みに流れていて、体の突起を使ってよじ登る造りになっていた。
また、少し調べるとビオトープがあったり、隣接でグラウンドがあったりと、しっかり整備された市営の公園だった。
スケボーを脇に携えた少年が、危なっかしく車道を横切っていたのを、ぼくは思い出した。
「あの哀愁漂う感じがそそるよなぁ」といい歳こいた男が、公園の遊具に思いを馳せていたのだ。
子ども相手が本業の彼にとっても、迷惑な話である。
だが、ぼくの片想いはたった半年で儚く散ってしまった。

2020年4月。
公園のリニューアル工事が完遂されていた。
馬鹿馬鹿しく書くが、憧れの彼は、あられもない姿に生まれ変わっていた。
あの、可愛らしくも慎ましくもあった瞳は、無機質な目玉に。
斬新な発想で背中にあった滑り台は、口から地面へと直線的に伸びた舌に変わってしまっていた。
センセーショナルなその姿を、ぼくは受け入れられなかった。

こうして彼は、ぼくにとっての憧れのまま、還らぬカエルとなったのである。
しょうもないダジャレだが、彼の追悼の意を込めて。
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