*妻の立ち位置

文字数 1,825文字

妻が妊娠すると「夫婦のどっちに似るのかなぁ」などと現を抜かすようになるとよく聞くが、我が家も例外ではない。しっかりとうつつつつを抜かしている。
だが性格はさておき、子どもが親に「似る」ということは、自分自身の顔が子に投影されることになる。

毎朝鏡で見る自分の顔。
左目だけ二重な自分の顔。
休日に朝寝坊して、しっかりとむくんでしまったときには両目とも一重になってしまう自分の顔。
「自分の顔が好きかどうか」というのは人前では慎まれるテーマなので、
他人がどう思っているかは知らないが、ぼくは少なくとも自分の顔、特に目が好きではない。
この左右非対称な目のせいで、短い人生だが結構苦労しているのだ。

そもそも左目だけ二重なのには、ちゃんとした理由がある。
先の「尻の功名」の遍歴で羅列した、01年の事件―泥んこボール左瞼直撃事件―だ。
「ん、左目?」と首をかしげた読者も少なくないだろう。
そう、この事件がきっかけで、ぼくは左目だけだが二重を手に入れたのだ。
当時5歳だったぼくは一つ上の兄を腸が煮えくり返るほど憎んでいたが、
実は兄のお陰で二重を手に入れたのだった。
過去の写真を見返しても、02年以降のまの少年の左瞼には、
うっすらと二重の予備線が入っているのが確認できている。
つまり、もう一度雨上がりの公園で兄にフルドライブシュートを右目に叩き込んでもらえれば、万事解決!ハッピーライフが待っているのでは、と考えたこともある。
が、そんな支離滅裂な願いを兄には伝えたら最後。
家族の中で変人扱いされてしまうのは容易に想像できる。

左右非対称の目というのは、正直目つきがあまり良くない。
さらに、小学生高学年から高校にかけて視力がグッと落ち、目つきの悪さに拍車をかけた。
因みに視力が落ちたのは、親に隠れて、夜な夜な布団の中でゲームボーイアドバンスSPで遊んでいたからである。ただの自業自得。
こうしてエイシンメトリー(asymmetry)な顔になったまの少年は、しばらく苦労することとなる。
ガラの悪い方々に絡まれるようになったのである。

小学六年生、あれは父譲りの紺色のフリースを来ていたので冬だったと思う。
父がブックオフに古本を売りに行くと言うので、一緒について行った。
古本の入った大きな紙袋を二つ、買取カウンターにどさっと置くと、
自由にしていていいとのお布施がでたので、確かぼくは中古CDコーナーに向かった。
母にBOAのCDを探すよう言われていたからだ。
該当の棚の前に男性がいたので、ぼくはじっと目を凝らして「BOA」の文字を折っていたのだが、ぼくの視線に気が付いてか振り返った。
目が合ってしまった。
男性は顔の距離を詰めてきて「なんか文句でもあんのか」と啖呵を切ってきた。
関西弁に染まってしまったために、今となっては可愛い標準語だったが、
当時のぼくは「なにもないです」と縮こまるしか術はなかった。
結局、弱い者イジメをして満足したのか男性はすぐに去っていったが、
父の買取り番号がアナウンスされるまで、ぼくは浮かべた涙をひっこめられるだけひっこめた。

その後も、反対車線の信号を眺めていたら、
信号待ちしていたバイクのお兄さんがわざわざこちらまでUターンしてきて怒鳴ったり、
校内では不良で有名な先輩に、友人づてで呼び出されたりと、まあ散々だった。
お陰で、クラスの間では「きっとヤバいヤツ」とレッテルを貼られ、女子からはうんと距離を取られた。
いや、あれはソーシャルディスタンスの奔りだったのかもしれない。

中学への入学とともにコンタクトをしていたにも関わらず、
あれほど目つきが悪かった原因は、今思えば部活動が関係していたように思う。
高校で引退してからというもの、それまで寄ってこなかったクラスメイトから妙に声をかけられ始めた。
部の主将をしていたのもあり、部活での心の重荷を下ろすことができたのだろう。
最近では、初対面の人にも、目つきの悪さを伝言ゲーム形式で聞くこともなくなった。

ところで、妻と一緒に外を歩くとき、ぼくは必ず妻の右を歩く。
男性はエスコートが肝心だと雑誌で読んだので、歩道を進むときは当然左右を入れ替わったりする。
だが、妻はすぐさまぼくの左手を取り直して、元の立ち位置に戻る。
左手の方が握りやすかったりするのだろう。
そんな風に思って、妻になぜ左側にばかり立ちたがるのか尋ねてみた。
「だって、右から見たら一重やねんもん」

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