*尻の功名

文字数 1,537文字

少なくとも、ぼくの小学生だった頃(2000年が始まった頃)というのは、
「子どもはケガしてなんぼ」と家庭だけでなく、学校でも言われて育てられた。
近頃でそんな物騒なことを言うと、父母会やら教育委員会から罵詈雑言の嵐に見舞われそうである。
まあ、かみ砕くと「子どもはケガをして経験をする」と言うことで、
危険予知能力の向上とでもいうのだろうか。
伸び伸びと子育てができる良い時代だったとぼくは思う。
最も、育てられた側の人間がこんなことを書くのもおかしな話ではあるのだが。

そのため、ぼくも子どもの頃はしっかりと職務を全うした。
遍歴をつらつらと挙げてみよう。

00年 覚えたての自転車での走行中、路駐していた車に衝突する 右膝に創傷
00年 滑り台の下にぶら下がっていた蜂の巣をつつき、蜂に襲撃される 上腕部に発疹
01年 雨上がりの公園で、兄の蹴った泥まみれのボールが顔面に直撃する 左目瞼に切傷
03年 発情期の飼い犬のお尻を触り、手を噛まれる 右薬指に咬傷
05年 風呂焚き用の薪を切るとき、よそ見の為ため斧を振り外す 左親指・人差し指に切傷
07年 体育館に積んであったマットの高さ、約3mから飛び降る 左足踵を骨折
08年 ドッジボール中に至近距離でボールを受ける 右中指を骨折

当時の子が子なら、親も親で、ぼくが被害者のときには、キチンと心配して頭をなでてくれた。
一方で、原因がぼくの方にあったのがバレたときには、目一杯怒られた。

遍歴の最初にある、路駐者に自転車で衝突した事故を起こしたとき、ぼくはまだ齢4歳か5歳だった。
その日、長男と二人で16インチの小さな自転車に乗って、住宅地をグルグルと回っていた。
兄が段々とスピードを上げてぼくを置き去りにしたので、負けじとカーブではインコースを激しく攻めた。
すると、さっきまでなかったはずの車が、曲がり角の先にドンと停車していたのだ。
当然、覚えたての自転車で急ハンドルなど切れずにあっけなく「どかん」と衝突した。
その勢いでアスファルトに横たわっていると、
周回早く走っていた兄がぼくを見つけ、親の元まで連行した。
振り返ると、車のバンパーをバリバリに割って、自転車の右ペダルが突き刺さっていた。
今思えば、ぼくにはスプリンターの素質があったのかもしれない。

右膝から血を垂らしていたぼくを見るなり、母は心配してくれた。
だが、状況が一変したのはその晩だった。
階段を大きく軋ませて上がってきた父の顔には、阿修羅「怒り面」が張り付いていて、
ぼくを見るなり「お尻を出しなさい!」と怒鳴り、ぐいと襟を掴んだ。
その後、尻を叩かれる音とぼくの悲鳴だけが、しばらく家中に響いた。

こんな調子で、ぼくが悪いと理解した場合にキチンと怒られていたのは、
きっと親と子の信頼関係があったからだ。
具体的に言うと、「子が自分のしたことを「悪い」と自覚できていたか」、
そして「子にその自覚があるかどうかを親が判断ができていたか」。
これが、親子の信頼だとぼくは思う。
ああ、あくまで身内の話なので、どうか父親に逮捕状を出したりしないでほしい。
とっくに時効ですから。

とはいえ、あんなにお尻をぶたれたのは良い思い出ではなかったので、
笑い話にでも変えてしまおうと母に事故のことを覚えているか聞いてみた。
すると、意外な事実が判明した。
幼いぼくが衝突した車は、なんと高級車の代表各メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz)だったのだ。
しかも驚くことに、オプション付けまくりの納車ホヤホヤのベンツだったということがわかったのだ。

修理代やらお土産代やら、当時の両親が被害者宅に差し出した費用総額を考慮すると、
幼いぼくの差し出したお尻なんて「怪我」もとい「尻の功名」だったのだ、
とぼくは納得することにした。
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