第14話 Dead Man Walking(3)

文字数 1,914文字

 スマートフォンがまた鳴った。

 今度はメッセージアプリの着信だった。
 送り主は、前の職場で一緒に仕事をしていた向井サワコだ。
 友だち以上、恋人未満。サワコとの関係は、そんな感じだった。
 酒を一緒に飲み、何度かベッドを共にしたこともある。
 だが、関係はそれ以上に発展はしなかった。

 メッセージを開くとサワコらしくない文章が目に飛び込んできた。

 怖いよ。
 隣の部屋の住人が感染しちゃったみたい。
 こういう時は、どうすればいいの?

 メッセージを読んでも意味が全然わからなかった。
 感染ってなんだ。一体、自分の知らない間になにが起きたというのだろうか。

 サワコへのメッセージは返さずに、スマートフォンをインターネットに繋ぐとニュースサイトを覗いてみた。

 トップページには『人が人を襲う? 各地でパニック』と書かれている見出しが出ていた。
 その文字を見ただけで心臓が高鳴った。
 一体、なにが起きているというのだ。

 矢作は一呼吸置いてから、そのニュースの本文へと続くリンクをクリックした。

 歩きながらニュースサイトを読んでいると、ペタペタという足音が背後から聞こえてきていた。

 裸足だろうか。
 普通、靴を履いていれば、このような足音は出ないはずである。

 矢作はそのことに気がついて、スマートフォンの画面から顔を上げると後ろを振り返った。

 そこには所々が汚れたワンピースを着た若い女がいた。
 二十代前半ぐらいだろうか、妙に猫背で腕をだらりと前に垂らすようにしながら歩いている。
 足元は裸足だ。

 目が合った。
 その目は生気のないどんよりとした目だった。

 女が笑った。そんな気がした。
 その瞬間、女が口を大きく開けた。
 気のせいかもしれないが、歯が極端に鋭利になっているように思えた。

 風を裂くような音が聞こえた。
 その音が何なのか判断するよりも前に、目の前で変化が起きた。

 何か硬い物がぶつかった時のような衝撃音。
 口を大きく開けていた女の顔面が横に大きく傾いた。
 それはまるで何かに困って首を傾げているかのようにも見えた。

 拳大の石だった。
 その石が女の横っ面にぶつかっていた。

「おじさん、逃げて。こっちこっち」
 おじさん? もしかしておれの事か。
 矢作は納得できなかったが、それ以上に目の前で起きた光景に納得することができなかった。

 突然投げつけられた石が、目の前にいた若い女の横っ面を捕らえた。
 普通であれば傷害罪だ。
 それなのに、石を投げた奴は逃げろなどと言っている。

 石をぶつけられた女がにやりと笑った。
 背筋が凍りつくような嫌な笑顔だった。

 石がぶつかったせいで下あごが左にかなりずれているが、女はそれを気にする様子もなかった。

 どこか壊れている。関わっちゃいけない。

 矢作は悟った。
 そして、女のことを無視して背を向けると、反対側に歩こうとした。

 背後から肩を掴まれる。
 爪がスーツ越しに肩へ食い込む。
 振りほどこうとしたが、もの凄い力で女の手は外れなかった。

 本能的に動いていた。
 掴まれた肩を中心にして、孤を描くように体を動かす。
 振り向きざまに折りたたんだ腕の肘を相手の顔面目掛けて繰り出す。

 その動きは、教科書どおりのものだった。
 かつて、軍隊にいたという人間から格闘技の手ほどきを受けたことがあった。
 護身術だという話だったが実際に使ってみると、護身というよりは戦場で使う技術のように思えるものだった。

 骨と骨がぶつかる感触がはっきりと肘に伝わってきていた。
 ただでさえずれていた女の顎の骨は、完全に外れていた。

 重力に逆らえなくなった顎はだらしなく筋肉にぶら下がっている状態となっていた。

 咄嗟に動いてしまっていた。
 何度も練習した動きだったが、実際に使ったのは初めてだった。

 掴まれた肩には、鈍い痛みが残っていた。
 女の力とは思えないほどだった。
 いや、男でもあれほどの力で掴む人間は少ないはずだ。

 一体、なんなんだよ。

 矢作は目の前にいる女と距離を取った。

 女は顎が外れた状態でこちらをじっと見つめている。
 口からはどす黒い血が流れ出ていた。

 どう見ても人間ではなかった。
 人間以外の何か。

 これは夢なのか。

 いや、肩はもの凄く痛い。
 夢なら痛みはないはずだ。

 女がこちらに近づいてきていた。
 ペタペタと小さな歩幅ではあるが、徐々に距離が近くなってきていることは確かだった。

 本能が走れといっていた。
 危険予知能力。
 たしか、これも軍隊にいたという人間から教わったことだった。

 矢作はその本能に従い、走り出した。
 女との距離がどんどんと開いていく。

 女は走ることはせず、相変わらずペタペタと小さな歩幅で歩いていた。
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