第10話 Convenience store(1)

文字数 2,002文字

 気持ち悪いオヤジだった。
 つり銭を渡そうとした時に、こちらの手を握ろうとしてきた。
 生暖かくて汗ばんだ手。
 きっとぬるぬるとしているはずだ。

 篠田杏奈は、つり銭がオヤジの掌に落ちたと同時に素早く手を引いた。
 間一髪のセーフ。

 オヤジの手はつり銭だけを掴み、行く場所を失っていた。

 最近はこういう嫌な客が多い。
 今回のようなオヤジのときもあるけれども、若い高校生ぐらいの場合もある。
 ニキビ面の童貞顔。
 たかが百数十円の缶コーヒーやジュースを買っただけの癖に、手を握ろう何て甘いんだよ。いまどき、アイドルの握手会だってCDを何枚も買わないと、まともに手を握らせてもらえないんだぞ。

 そもそも、コンビニ店員の手を握って、どうしようっていうんだろうか。
 ああ、気持ち悪い。

 安奈はオヤジを睨み付けたいという衝動を抑えて、営業スマイルを浮かべながら「ありがとうございました」とオヤジにいう。
 さっさとレジの前から消えろという意味をこめて。

 昼間のバイトは意外と暇だったりする。
 朝の通勤、通学時間帯を乗り切れば、あとは昼食時になるまでは客足は疎らだ。

 店長の大和田はちょっと出かけてくるといって三十分ほど前に出て行った。
 おそらくパチンコへ行ったのだろう。
 本来ならば、店長と杏奈の二人が店に出て働いている時間なのだが、店長は杏奈を信頼しているのか、ちょくちょく店を任せてはパチンコに出掛けてしまう。
 まあ、店長と二人っきりで店にいなければならないというのは息が詰まるので一人でいるほうが気が楽なのだが。

 もしも大勢客が来たりして、混雑してきたら、店長の携帯電話を鳴らせばいい。
 パチンコ屋はすぐそばなので、電話を受けた店長は急いで戻ってくる。
 大抵、勝っているということはないので、すぐに戻ってこれることが多い。

 客のいなくなった店内で、杏奈は携帯電話を取り出した。
 レジに向いている監視カメラの死角に入り、椅子に座りながらスマートフォンをいじる。
 店長と一緒の時は絶対にできない行為だけれども、一人のときは大抵スマートフォンをいじっている。

 動画SNSでダンス動画を見る。
 最近、杏奈はダンス動画にハマっているのだ。
 一度だけ店の制服を着たままでダンス動画を撮ろうとしたが、さすがにそれは店長に止められた。
「オレはいいんだけどさ、さすがにエリアマネージャーが許してくれないよ」
 煙草のヤニで染まった歯を見せながら店長は苦笑いを浮かべた。

 いつか店のみんなでダンス動画撮ってみたいな。
 そんなことを考えながら、動画をなんとなく流し見していたら、なんかすごい動画が出てきた。
 人間が人間に襲われているのだ。
 場所は駅のホームのようだ。大勢の人が逃げてくるのを撮影している。
 中には首のあたりから血を流している人もいる。
 あ、噛みついた。
 その映像を見た杏奈は心臓の高鳴りが止められなくなっていた。
 なにこれ。映画の宣伝?
 動画は十五秒ほどの短いものであった。
 もっと他に同じような動画はないのだろうか。いろいろと探してみたけれど、そんな動画は見つからなかった。
 何だったんだろう。
 そう思っていたのもつかの間、次に出てきた男性アイドルユニットのダンス動画を見ていたら、前の動画のことなどはすっかりと忘れてしまっていた。

 しばらくして、来店を知らせるチャイムが鳴った。

「いらっしゃいませ」
 入ってきた客に声を掛けながら、杏奈はレジに戻る。

 こんな時間に来るのは大抵、外回りの営業マンか老人だった。
 案の定、現れた客は老人で公共料金の支払いをしにきたところだった。
 こういった老人の相手が以外と面倒臭い。
 他に客がいないことをいいことに世間話を始めたりするのだ。
 こういうときばかりは、他に客が来てくれないだろうかと願ったりもする。

 杏奈は老人の話に適当に相槌を打ちながら、三十分ばかりの時間を無駄に過ごした。
 まあ、これも仕事の内だ。
 そう思うことにしている。
 老人の相手をしている間も時給は発生しているのだから。

 老人がようやく帰ってくれたあと、杏奈は店内のモップ掛けをはじめた。
 それほど床は汚れてはいないのだが、何となく気になるところがあったので、そこを重点的に磨いた。

 モップ掛けを終えると、また休憩。
 客は老人以降、誰も来ていない。
 あと二十分で十一時になる。十一時を過ぎれば、少し早い昼食を求める客がやってきて休憩が出来なくなってしまう。
 店長の大和田が帰ってくるのは、大体その頃だ。

 大勢の客がやってくる十二時前には他のアルバイトたちも出勤してくる。
 だから、ひとりでゆっくりとできる休憩時間は貴重だった。

 杏奈が再びスマートフォンで動画を見ようとすると、来客を知らせるチャイムが鳴った。なんとタイミングが悪いのだろう。

 舌打ちが出そうになるのを我慢して、杏奈はスマートフォンを置くとレジに立った。
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