金の名前入りの万年筆②
文字数 2,097文字
もちろん嫉妬なんてもんはありありだ。
ゾンネンブルク家専属の召使いで、赤ん坊の時から世話してるから、ヒヨルはべったべたに懐いてる。
ミツハ、ミツハってひよこの子みたいにケツを追っかけててさ。それがまたとびっきり可愛いもんだから、野郎どもは羨ましさのあまり変になっちまうんだよ。
定期的にミツハにヤキを入れてやろうって連中がわく。
ミツハがこれで
あ、これはよく警句を飛ばすゴットハルトの弁だけどな。
東洋人は顔が平たいから幼く見える。ミツハの実年齢は俺の一つ上の16歳で、はるかに大人だった。
きちんと召使の分を弁えた、控えめでクソがつくほど真面目な性格だった。あいつが声を荒げるのはオーケストラの練習の時だけだ。
実際は、オーケストラ、なんてとても呼べないへっぽこ楽団だったけどな。
楽器は収容所に送られた連中が捨てていった二流品の寄せ集めだし、俺たちはどいつもこいつも
ミツハはただの使用人だし、アーリア人種でもないから、どんなに頑張っても本番には出演させてもらえない。
それでも指揮者代理に抜擢されたのは、ヒヨルに負けず劣らずのずば抜けた音楽的才能を、あいつが持っていたからだ。
だけどそれは、天性のものじゃない。
ヒヨルにはライン川伝説に出てくるセイレーンみたいな異能があった。
声の振動数を自在に変えて、魔法みたいなことをしれっとやっちまう。
例えば、らーらららと「
そんな奇跡みたいなことも、ヒヨルには
だから適当でいいのにさ、ミツハは俺たち一人一人に楽器の手入れからチューニングまで、全部きちんとやらせようとする。
楽器に命が宿ってると思って大事に扱えって、くどいほど念を押す。
それだけじゃなく。自分から見本を示せるように、寝る間も惜しんであらゆる楽器を研鑽し、弾きこなせるまで努力に努力を重ねていた。
それで実際に、みんなが度肝を抜かれるような成果をばんばん出しまくってる。
まさに「
その頑固一徹さときたら、ドイツ人よりよっぽどドイツ人みてえだ。
このこと含め、ミツハを「
だってさ、そういうこと全部、あいつはヒヨルのためだけにやってんだよ。オーケストラを成功させて、ヒヨルを笑顔にする、それだけのためにな。
忠義心にしたっていきすぎだろ。
俺に言わせりゃ、あいつ自身がヒヨルに取り憑いた
まあそれで「ちぇっ、ヒヨルのためならしゃ〜ねえか」ってあっさり納得しちまう俺たちも俺たちなんだけどさ。
そもそも、俺らのほどんとが音楽の素養なんて持っていないのに、オーケストラを組ませようなんて発想自体ばかげてやがるんだ。
みんな揃って金髪碧眼だけど、ヒヨルみたいに純粋にここで生まれ育った子どもは、まだみんな赤ちゃんだ。
他のやつらは、たまたまちょっとばかし変わった能力があったってだけでこのヴィラに集められた、田舎育ちの無教養な戦災孤児なんだからさ。
なのに、次の
当日は自分が指揮をやる、なんて張り切り出したもんだから、みんな恐怖でふるえあがった。
音を一音でも外せば厳罰が待っているだろうし、どう頑張ったところで音は外れるに決まってるんだからな。
当然、楽器のグループ単位で連帯責任を取らされることになるだろう。一番に外したやつがどんだけ辛い目に遭わされるか、考えただけでさすがの俺も震えがくる。
あそこでヒヨルが、めんどくさいことは嫌だとか何とか駄々をこねてくれれば、冗談ごととしてなかったことになったかもしれなかったのに。
ヒヨルの
そりゃ、ヒヨルはたった一回オペラ座でワーグナーの『Die Meiste
一度も上演されたことがないのは、
だけど、みんなにも自分と同じことができると簡単に思うのは、天才ゆえの傲慢さじゃね?
>>>③につづく(④まで)