マダムの赤いルビーのブローチ②

文字数 2,068文字

「アレクサンデル、『6』のアドベントカレンダーは、あなたが開けてください」

 ミツハに指名されたのは今朝のことだ。
 彼はヒヨルの高熱を覚ますために氷水を使っていて、腕がむき出しだった。
 左手の「正」の記号が倍くらいに増えていてぞっとした。

 6とナンバリングされた真っ白な卵は、アタシの目にはとても神聖なものに見えた。
 でも、胸を躍らせながら蓋を開いて、そこに見覚えのあるルビーのブローチを見た。
 アタシは長椅子の上にそれを放り出して後退り、顔を覆ってしゃがみこんだ。

「プレゼントボックスの中身は

です」

 こんなものいらない、とミツハに怒鳴った。絶対に受け取りたくなかった。
 なぜってそれは、バレエ『瀕死の白鳥』の公演で世界中を飛び回っていた思い出を語る時にドレスの胸にぴかぴかと光っていた、マダムの宝物だったんだから。

 ねえ、サーシャ(アレクサンドルのロシア風の愛称)、わたくしはお別れの言葉は嫌いなの。
 うんと好きなだけ踊って踊って踊りつくして、もういいかしら、と思ったらそこで旅立つから、あなたも何も言わずに見送ってちょうだい。いいわね?
 ――時折思い出したように、そう言って笑っていたマダム。

 そんな言葉、真に受けてなんかいなかった。
 家から遠く離れたら、一方的に決めつけられるばかりで、誰もアタシのことなんかわかってくれない。アタシの居場所はマダムが教えてくれるバレエの世界にしかなかった。

 夢のように美しくて、尊い、光が降り注ぐ道を、アタシたちは影になり光になってデュエットを踊りながら、軽やかに走り抜けた。
 アタシはやっと、アタシらしく生きれているんだって感じられた。
 生まれてきて本当によかったって思った。

 マダム、あなただってそれは同じだったはず。
 アタシという鋭い霊感を持った霊媒体質の子どもにしか姿が見えないあなたは、生まれながらのダンサーだった。
 自分の肉体という存在を芸術そのものだと信じ、踊っている自分の一挙手一投足でみんなが感動と歓喜にあふれていくのを見るのが生き甲斐だった。

 だから、ずっと孤独で寂しかったはずよ。
 アタシとまるっきり同じように、あなたも求めていたはずなの。
 死後もなお魂が寄り添って踊り続けられる、永遠の場所を。

 それは、アタシの中じゃダメだったのです?

 ひどく寒かった。いつも傍に感じていた気配が消えていた。
 涙がこぼれ出した。

 この先、男の身体になっていくしかないアタシを見捨てたのです、マダム?
 もう二度とあなたといっしょに踊れないなら、この先アタシは何を心の支えにして生きていけばいのです?

 アタシは何度もブローチに囁きかけてみたけれど、答えはなかった。

 ◇

 三歳の頃からアタシにバレエを教えてくれたマダム・アンナは、

だった。
 先生も、友だちも、両親さえ彼女の存在を信じてくれなかった。
 誇り高いマダムは、下級のポルターガイストのような見せびらかし行為は一切しなかったから、それは仕方がないことだ。

 初めてマダムと出会った時のことは、たぶん一生忘れられないだろう。
 母さん方の祖父のお葬式のために、5歳のアタシは生まれて初めてエルザスの村から外界へ出た。
 父さんは前の日から浴びるように酒を飲んで酔い潰れていて、、仕方なく母さんと姉さん二人とアタシ、四人で出かけた。

 乗合馬車で行く旅は、丸2日かかった。

 先日記録的な大雨だったというフランス・パリの街は、青天の下で光の都のように美しかった。
 見るもの聞くもの全てが珍しいものばかり。
 建物の高さと人の多さで、見ているだけで目が回ると、馬車酔いの姉さんたちは文句ばかり言っていたけれど。アタシは目一杯興奮して、馬車の窓から一日中窓の外を眺めて過ごした。

 光が降り注ぐ大通りを馬車が通り過ぎていく時、暗くて細い曲がりくねった路地が何本も現れては消えていく。
 その暗がりの一つに、アタシははっきり見とめた。姉さんたちは信じてくれなかったけど、水たまりの上をすいすい滑って踊っている、夢のように美しいバレリーナを。

 一瞬のことだったから、うたた寝して夢でもみたんだろうと言われたら、幼いアタシの語彙力では反論できなかった。
 でも、アタシは確かに見たんだ。大輪の薔薇のように美しいブルーのドレスの裾が、バレリーナと一体になって波紋を幾重にも広げていく、息をするのさえ忘れるほどの麗しい様を。



 パリから少し外れると農地が一面にひらけていて、いくつか並んだ農家のうちの一軒が祖父の家だった。
 今思えば裕福な豪農という程度だったのだろうけれど、エルザスのほったて小屋みたいな生家から見たら、アタシには途方もない大きさの豪邸に見えた。

 到着すると、まるで貴婦人みたいなドレスを着た親戚一同にわっとばかりに囲まれて、姉さんたちもアタシも縮み上がってしまった。
 これだってどれもみんな葬式用の喪服だった。祖母の命令で、アタシたちは若い叔母たちに任されてドレスアップしてもらうことになった。


 >>>③につづく(⑥まで)
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登場人物紹介

ヒヨル(ノルウェー人と日本人のハーフ:女、4歳)

本名:ヒヨルムスリム・瀬織(せおり)・フォン・ゾンネンブルク

伝説のセイレーンの超えた異能の歌声で現象を変化させられるが、本人は幼いため無自覚

ミツハ(日本人:男、16歳)

本名:|御津羽 伊吹(みつは・いぶき)

ヒヨルに絶対忠誠を誓う守護執事(ガーディアンバトラー)

異能はないのだが、生い立ち等いろいろと謎の多い少年

ブリュンヒルド(ノルウエー人:女)、ヒヨルの母親、20代後半

レーベンスボルン計画の一環として異能力者同士の結婚をさせられた二人、夫婦喧嘩が絶えない


本名:ブリュンヒルド、職業は有閑マダム

北欧にあるワルプルギウス修道会の魔女

ハオラン(日本人:男)、ヒヨルの父親、20代後半

レーベンスボルン計画の一環として異能力者同士の結婚をさせられた二人、夫婦喧嘩が絶えない


本名:ハオラン・淤加美(おかみ)・フォン・ゾンネンブルク、職業は刀鍛冶

さるやんごとな気お方から勅命を受けてドイツにやってきた陰陽師


ドクトル・ヘス(ドイツ人:男、30代)

ヴィラを支配するマッドサイエンティスト、《ミューズの愛し子たち》計画の首謀者

女嫌いで残虐非道な夢想家

超強力なテレパシー能力で人間を想いのままに操る

【第五話の語り役】

ハインリッヒ(チェコスロバキア人:男、15歳)、

暴力的でシニカルな性格

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、強力なテレキネシス能力を持つ

【第六話の語り役】

アレクサンドル(アルザス人:男、14歳)

心は女性のバレリーナ

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、優れた霊能力を持つ

【第七話の語り役】

フリードリッヒ(ドイツ人、男、17歳)

シャーデンフロイデになりきれないナイーヴな少年

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、卓越したテレポーテーション能力を持つが、たまに時軸がズレる癖がある

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