文字数 2,912文字


 魔王がこちらに向けて発した声には、聞く者が聞けば思わず膝を折ってしまいたくなるような重みが含まれていた。
 しかし生憎と、そんな実態の無いものに屈するほど柔ではない。首だけ動かして魔王のほうを振り向いてから、笑ってみせた上で言う。
「何か駄賃が必要か?」
 魔王はこちらの言葉に頷いてみせた後で、言葉を続ける。
「こちらには相応の被害が出ている。城の壁や、おまえを取り押さえるために動いた人間などにだ。
 その行為に対する罰を与えなければ、こちらも立場がない」
 そしてそう言うやいなや、椅子から立ち上がってこちらに近づいてきた。
 私は扉から手を離して、近づいてくる魔王に正対するように体を回す。
 やがて互いが互いの首に容易く手をかけられるような距離となり――そうなったところで私から言葉を作った。
「ここで直接やりあうか?」
 言葉には挑戦的なように見える笑みもつけておいた。
 魔王も同じような笑みを浮かべたが、その笑みを鼻で笑って打ち消してから言った。
「おまえに勝つのは容易い。しかし、戦えば周辺に更なる被害が出るし、その結果として得られるのがおまえの命だけというのは割に合わない」
「言うじゃないか。勝負なんてのは、やってみなければ結果なんてわからないものだと思うがね。
 ――それで? 話の続きがあるんだろう。早く言えよ」
 私の言葉に、魔王は呆れたように首を横に振りながら溜息を吐く。
「話には段取りというものが――いや、おまえにそんなものは必要ないか。分かりやすくいこう。
 単純なことだ。私はおまえに要求したいことがあるが、その要求がおまえの条件に合わなければ不要な被害が出る。そうであるならば、話し合いで条件を取り決めるのが常道だろう。
 話し合いの場を設けたいが、時間はあるか?」
 そうやって出てきた言葉に、意外を感じてつい聞いてしまった。
「……魔王が勇者に協力を仰ぐのか?」
 魔王はこちらの質問を聞いて、ははと笑ってから言う。
「損害を上回る利益が回収できればそれでいい。そして、利益は互いにある方が禍根が残らない。それだけの話だろう」
 そう言って、こちらの反応を待つ魔王と視線が重なる。
 ただ、私に男と見詰め合う趣味はない。
 こちらから視線を切って、魔王の横を通り過ぎる。
 向かう先は正面にあるテーブル、その扉側に置かれた近場の椅子だ。椅子の背を掴んで引っ張り出して、座る。
「いい取引ができるといいが」
 魔王はそう言うと、こちらの視界の隅を横切って、扉正面の壁側にある椅子――元々座っていた場所へと戻っていく。
 その背中に向けて、魔王の独り言めいた言葉に応じるように言う。
「こっちの要求はちっぽけなものだ。基本的には、そちらの利益が増すことの方が多いように思うがね」
 魔王は私の物言いに軽く笑いながら椅子に座り、視線をこちらに寄越すと、テーブルを指で軽く叩いた。
 直後、空中に四角い何かが浮かび上がり、誰かの声が響いてくる。
『――連絡をお待ちしていました。事態はどのように?』
「ひとまず状況は終了した。各員に通常業務に戻るように指示を出せ。あと、この部屋に給仕を。……食事は摂るかね?」
「恵んでくれるというのであれば遠慮なく頂こう」
 こちらの言葉を聞いて、魔王は誰かに向かって言葉を続けた。
「軽食で構わない。二人分頼む」
『承知しました。すぐにお持ちします』
 その言葉を最後に、空中に浮かんでいたそれは羽虫が過ぎ去るような音を立てて消えた。
「便利なものだな」
「そちらには無いものか?」
「少なくとも私は知らないな」
 こちらの回答に、魔王はそうかと頷きを返すだけだった。
 そもそも閑話のようなものだ。次の話に移るための緩衝材でしかない。
 数呼吸分ほどの時間を置いて、魔王が話を再開した。
「さて、これから条件を話し合うにあたって、まずは互いに何を望むかを言っておこう。本来なら伏せておくものだが、今回の場合はその方が円滑に話が進むだろうからな。
 こちらは、今回の被害に対する相応の見返りを要求する。おまえ自身の労働でこちらが得られる利益でもいい。形は問わない。そちらは?」
「大きなものはふたつだ。
 ひとつは、私の家族や親類に対する咎を軽減するための協力をお願いしたい。具体的に言えば、人員を雇うなりして保護をしてほしいというところだ。
 魔王に協力するような形になる以上、面倒は降ってかかることは明白だ。これに関しては対象者をリストにまとめて、後でそちらに提供する。
 そしてもうひとつは、勇者が現れるシステムそのものの破棄に協力して欲しい。未だに全貌がわからないことだから、調査内容や、その調査方法も含めてということになるな」
「……話を進める前にひとつ聞いてもいいだろうか?」
「なんだよ」
「前者の要望の意図は理解できる。しかし、後者の要望については無理だ。おまえは何を考えて、そんなことをしようとしているんだ?」
「大したことじゃない。全部喋るとかったるいことこの上ないからざっくり言うけどな。
 本来の意味をほぼ失った仕組みに、まるでたらい回しされるように翻弄された、ちっぽけな人間の復讐みたいなもんだ。そう思っておけ。
 ――ま、そのあたりはこの場においては関係ないだろう?
 細かいことは気にするな。勇者が今後現れなくなることは、おまえらにとっても利益があるんじゃないのか? だったら、それでいいじゃねえか。
 将来の脅威がひとつ取り除かれるんだからな。悪い話じゃないはずだ」
「……確かに、我らにとっては実現できればそれなりの得にはなるかもしれないが――」
 魔王がそこまで言ったところで、扉をノックする硬質な音が数回響き、言葉が止まった。
 首だけを動かして扉のほうを見ていると、数秒の間を空けて、扉が静かに開かれる。
 入ってきたのは給仕用のワゴンを押したメイド姿の者が一人と、執事姿の者が一人だ。
 ワゴンの上から軽食と飲み物が目の前に置かれる。どうもとお礼を言ってから、手を付けた――と同時に視線を向けられた気がした。
 マナー云々があるのだろうか。まぁ、気に入られたいわけでもないのだから気にする必要はないだろう。そのまま食事を進める。
 提供された軽食を食べ終わった頃になってから、魔王から声がかかった。
「毒が入っているとは思わないのか?」
 指に残った軽食の残骸をなめ取りながら、そんな下らないことを聞いてどうするんだと思いつつ、
「昔だったら気にしてただろうがな。今の体は、そんなものが効くほど柔な体じゃねえんだよ」
 問いかけにそう答えた後で飲み物をあおり。空いた器を横に出すと、メイドの方が飲み物を追加してきた。
 その様子を横目で見ていると、魔王がなるほどなと頷いた後で言う。
「……では、細かい条件について詰めるとしようか」
「ああ、お互いにとって良い条件になるようにしようや」
 魔王の言葉にそう応じながら、どこまでマシな条件を引き出せるだろうかと、そんなことを考えつつ話し合いを開始した。

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