文字数 3,920文字

 そびえ立つ城の中を目指して走りながら、自分を止めようと迫る連中に対応しつつ頭を過ぎったのは、どうしてこうなったんだろうなぁという後悔に近い感情だった。
 しかし、この"どうして"という問いかけは、原因がわからないことに対して出てきた言葉ではない。
 どこで選択を間違ってしまったんだろうと、そう思うからこそ出てきた言葉である。
 ……まぁそれがどこか、なんてのはもうわかってることなんだがね。
 人生は一度きりのものであり、時間が巻き戻ることなど有り得ないと、そんなことは十二分に理解しているつもりだし。これが不毛で無意味な行為であるということもわかっている。
 ただ、何度だって思わずにはいられないのだ。


 ――なぜあのときの自分は、勇者として選ばれたことを受け入れてしまったのだろうと。



 後悔という感情は非常に厄介なものだ。
 それを思う度に、過去の嫌な記憶が再生される。
 ……あれからもう数年は経っているんだがな。
 それでも、あの日々のことを今でもはっきりと思い出せる自分がいた。





 始まりは突然だった。
 いつも通りに過ごしていたある日のことだ。
 突然、自宅に国の兵士がやってきて。何事かと驚いて固まっている間に拘束されて城に連行されたかと思えば――めかし付けられて王の前に放り出された。
 そして言われたのだ。
 お前は勇者として選ばれた、と。
 ゆえに、これから資格と力を得るために数々の世界を回る旅に出て、魔王を討ち滅ぼさねばならない、と。
 取り得もなく、空気のようだねと言われながら過ごしてきた人生だったから、王にそう告げられた瞬間、何かに認められたような気がしてとても嬉しかったことを覚えている。
 今の自分から見れば、何を勘違いしているのだかと呆れてしまうのだけれども。当時は、本当に嬉しかったのだ。だからこそ舞い上がって、言われたままに準備をし、同行してくれる仲間を紹介してもらってから旅に出ることになったわけである。
 その旅は、四つの世界――炎、水、風、土の精霊が治める世界を回り、各世界で力の宿った武具を譲り受けることを目的としたものだった。
 ……最初の世界は炎の世界だったっけか。
 確かそこで、最も位の高い王と面会し、ある敵を倒してその証を持ってくれば武器を渡そうと言われたのだ。
 王に激励されてから送り出された直後の、最も使命感に溢れた頃だったので、それはもう、言われたことをやり遂げようと頑張ったことを覚えている。
 戦いなんて無縁の生活を送っていた自分にとっては、何もかも初めてのことばかりで。端的に言えば相当な苦労を味わったわけだけれど、初めて頼りにされたことが嬉しかったから努力を重ねに重ねてその試練はやり遂げたのだ。
 ――もちろん、無事には済まなかった。
 幸い命に関わる傷こそ無く終わったわけだが、身動きが取れない状態にはなってしまった。だから傷が浅く動ける仲間に報告を頼んだ。
 物事の流れとしては至極自然な流れではあったものの――今思えば、これが最初の間違いだったのだろう。
 早く成果を出さなければと焦っていた部分があった。折角"こんな自分を"選んでくれたのに、結果を出せずに失望されるのが怖かった。その不安を解消するために、報告を先に済ませてしまおうとしたわけだ。


 だけど、この時にちゃんと休んでから自分で行っていれば、こんなことにはならなかっただろうと、そう思う。
 ……そうすれば、嫌な事実に気づくことはなかっただろうになぁ。
 そんな言葉が頭を過ぎった直後に、最初に違和感に気付いてしまった、あの瞬間が思い出された。


 報告を終えて帰ってきた仲間が、どうにも微妙な表情を浮かべていた。
 話を聞いてみると、どうやら、報告をしに行った仲間がまるで勇者であるかのように会話が進んだらしい。
 その仲間は勇者一行ではあっても、勇者本人ではない。だから会話は当然噛み合わなかったわけだが、相手は位の高い精霊様だ。それを不思議に思っても指摘することはできず、それゆえにその仲間は何とも言えない表情を浮かべていたというわけである。
 その時は気のせいだろうと笑って流した。
 しかし、そういうことがその後の世界でも起こった。
 そして、そのことを不思議に――いや、不信に思った仲間たちは一人、また一人と離れていくことになった。
 そんな状況でも、最後の面倒事を片付けるまで残ってくれた仲間が一人だけ居た。
 面倒見のいい奴だった。戦いについて右も左もわからない自分に、全てを教えてくれた人だった。
 相変わらず噛み合わない、会話とは決して呼べない報告が終わった後でも、魔王を倒すのに最後まで付き合うとまで言ってくれた、唯一の友人だった。
 この友人が居なければ、私はここまで強くなることは出来なかったし、ここまで辿り着くことも出来なかっただろうと強く思う。
 ……そう思ったからこそ、友人とはそこで別れることにしたんだがな。
 友人は当然のようにその理由を聞いてきた。その言葉には自分に悪いところがあったのではと、そう思っているように取れるものが含まれていたが、私はその言葉を全て否定した。
 友人のせいではなく、これ以上付き合ってもらうわけにはいかないと思ったからだと素直に伝えたのである。
 友人はそれでも食い下がるように、諦めないでいてくれるかのように、なぜそう思ったのかと聞いてきた。
 答えなければ話が進みそうに無かったから、仕方なく考えていたことを正直に答えることにしたけれど。
 ……あの時は、本当にひどかったな。
 自分の中にある曖昧な感覚をなんとか言葉にしていく作業は時間がかかるものだし、その場で思いついたように話すものだから相当理解しにくいものだっただろう。
 それでも辛抱強く付き合ってくれた友人には、感謝してもしきれないのだが――それはさておき。
 話した内容の要点はふたつだ。
 ひとつめは、おそらく自分は何かに選ばれたような――天命だとか宿命だとか、祝福だとか、予言だとか何でもいいが――存在ではないということである。
 これは、各世界の長たる精霊様が勇者という個人を認識していない、という事実から浮かんだ考えだった。
 確かめる機会に恵まれなかったから、本当にそうであるかどうかはわからないし。顔や存在を判別できない相手に力を与えるという行為に、共感や納得ができないせいで出てきた妄想なのかもしれないと考えることもできたのだが。
 離れていった仲間たちの存在が、この考え方は当たりなのだろうと、そう思わせた。
 勇者という看板が曖昧な――嘘に近い何かであると気づいたか、あるいはこのまま進んでも良いことはないと、そう感じたからこそ、彼らは離れて行ったのだろうとしか考えられなかったからである。
 ただ、彼らの行動を非難するつもりはなかった。
 彼らの判断は正しいと、そう思ったからだ。自分がもし彼らの立場に立っていたら、同じような行動をとっていただろう。
 そして、一番重要なふたつめは――折角出来た友人をこんな不確かな事情に付き合せたくないという、それだけのことだった。
 友人は私の話を聞いた後で、それでも何かを言いたそうな表情で押し黙っていたが――やがて一度溜息を吐いて表情をリセットすると、こちらの言葉を了承してくれた。
 もっとも、全面的かつ素直に納得してくれたかと言えば、そういうわけでもなかったのだが。ただし、という条件付きだったのだ。
 まぁその条件というのは単純なもので。
 私がこれからどうするのかを聞かせろ、というものだったわけだけれど――一番話したくない内容を指定してくるあたり、この友人は本当に侮れないと思ったものだ。
 正直話したくはなかったが、答えなければどちらにせよ私の要望は通らないのだから仕方ないと、全てを話すことにした。
 こちらが話した内容を聞いて、それこそ友人は後悔したといわんばかりの表情を浮かべた後で抗議してきたが、それは約束を守って欲しいという言葉で抑え込んだ。
 ただ、別れ際になって、最後にという言葉をつけて友人は尋ねてきた。
 一緒に帰るっていう選択肢はなかったのか、と。
 その言葉に、したいけど出来ないんだと答えたら、友人は全てを察したような苦い顔になったことを覚えている。
 友人は賢い。だから、私が何を気にしているのか一瞬でわかったのだろう。
 勇者として城に呼ばれたのだから、誰が勇者であるかという情報――顔や容姿、名前だ――は広く公表されていることだろう。
 そうなれば、その情報を聞いた人間が、勇者の家族はどこに居るのかといった情報も一緒に噂として流し始めて。関わりの度合いなど関係なく、親類縁者全てを晒し者のようにすることは想像に難くない。
 私が勇者としてきちんと働いている、機能している間はそれらは問題とならない。しかし、私が逃げ帰ったりでもすれば話は別だ。
 周囲の反応は間違いなく悪い方向に変化することだろう。自分も含めて、そう良い状況にはならないことが目に見えていた。
 私はそうなることを確信していて。友人もそうなることをすぐに理解したのだ。
 友人は聞かなきゃ良かったとぼやいた。
 私はその反応を笑い飛ばした後で、君も気を付けてと言い残してから別れることにした。
 また会おうとは言えなかった。
 友人も、その類の言葉を口にすることはなかった。
 これは、そういう別れだった。

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