【11】

文字数 5,149文字

動きを止めた風車に生徒たちが蟻のように群がり、三枚羽根(ブレード)を外しにかかっている。風車担当の私服組の生徒たちだけでなく、制服組の生徒もこぞって協力していた。
 令司は、預かった匕首を手にしたまま痴れたように立ち尽くしていた。
 大剣寺総理が、投げ捨てたワイシャツに腕を通しながら、なに食わぬ顔で歩いてくる。
 しかし途中で、がくりと膝を屈した。
「お、おい!?」慌てて令司は駈け寄る。「どうしたんだ!?
 総理はしかめ面で、さらしの巻かれている腹に手をやり、
「……なに、少々内蔵が痛んだだけだ」
 そのとき、その白いさらしの中に、意外なものが挟まっているのを見つけて令司は叫んだ。
「そ、それはっ……!」
 ――サボテン柄のハンカチだった。
 生地の色こそ黄色だが、二種類のサボテンが小紋染めされている図柄は、令司の持っているものとまったく同じだった。
「母さんの……?」
「…………」
 総理はばつが悪そうに、ハンカチをさらしの奥へ押し込む。
 令司の中で、様々な感情が泡のように膨らんで弾けた。
(ずっと母さんのことを……?)
(母さんを捨てたわけじゃ……なかったのか?)
 目下に跪いている男の傷を、あらためて見つめる。
 SPに守られている当人ですら、これほどの危険が及んでいるのだ。その周辺にいる家族の安全度など、推して知るべしだろう。
(まさか、俺と母さんを守るために……)
「あ、あの……」
「なんでもない」
「でも、怪我だって」
「馬鹿者ォ!」
 助け起こそうとした令司はびくっと身を引いた。
「自分のすべきことを考えろ! 私を気遣っている暇があるのか!」
 大剣寺総理が、苦痛に震える手で令司の背後を指差す。
 そこには、もう一台の風車が、誰に止められることもなく回転を続けていた。
「やらなければならないことがまだ残っているだろう! せっかく私が模範を示してやったのだ。あとはお前たちがやれ! 甘えるな! この學閻は誰のものだ!?
「……!」
 令司は歯を食いしばって立ち上がり、風車を見据えた。
 大剣寺総理がふっと相好を崩した。
 これまで見せなかった、優しい表情だ。
 総理ではなく、大剣寺熾道という一人の男の、我が子に向ける眼差しだ。
「……その匕首はお前が持っていろ。その刃の精神を忘れるな」
 よろめきながら立ち上がり、厳かに告げた。
「倒すべきは、自分自身の弱さだ。誰かに頼りたいという依頼心を捨てろ。自主独立とは……本当の自由とは、自分を甘やかす自由ではない。最悪の場合は自決すら厭わぬ、自らけじめをつける自由なのだ。それがわからなければ何者も守れん」
「……守る」
「そうだ。己を乗り越える強き心がなければ、大切な者を守ることができぬ。もしまだその力がないというのなら……一人で生きろ。誰も側に近づけるな」
「……!」
「他人を傷つけないためには、自分が一番傷つく選択をしなければならないこともある。それが権力を得ようとする者の宿命だ」
 総理はそう言って令司に背を向け――
「……愛する者が側にいなくても、この世のどこかにいればよい。ただ、生きてさえいてくれれば、それでよいのだ。……なのに、一人で先に逝きおって……」
 バカな女だ――と遠くを見ながらつぶやいた。
 そして総理は痛めた腹に手をやりながら足を引きずるように歩いていき、落ちているスーツの上着を拾い上げた。
 令司は感情の整理がつかぬまま、ただ立ち尽くしていた。
 十メートルほども進んだところで、大剣寺熾道が首を振り向けた。
「強くなれ、令司」
 素っ気ない、けれどまっすぐな言葉。
 令司は、受け取った匕首を強く握りしめていた。
 大剣寺熾道は続けて、令司の後ろに控えた果無に目配せし、
「明日の午後には島を発つ。言いたいことがあれば、それまでに言え」
「ありがとうございます。明日を楽しみにしていて下さい」
 果無が不敵に笑った。
 大剣寺熾道は仏頂面で上着を肩にかけ、歩き去っていった。
 その大きな背中を、令司はただ匕首を握りしめて見送るしかなかった。
(強くなれ……だと)
(あの男にできて、俺にできないはずがない!)
 回転を続けるもう一台の風車を見やる。
「苑崎……俺はあれを止めるぞ」
「無理よ」
 なにっ、と果無を見る。
「あなた一人じゃとても無理だって言ってるの。あなたの小さな体で風車に突っ込んで行ったところで、結果は見えてるでしょ」
「く……!」歯を食いしばる。「それでも……それでもやるんだよ!」
「負けるとわかっている戦いをやるのは愚かよ。そんなことじゃ學王はおろか、『 』にも學徒會長にもなれないわ。ねぇ、保笑夢?」
 果無が後ろに呼びかける。
 保笑夢が、風でめくれそうになるスカートを必死で押さえていた。
「う? なんにゃ?」
 泣き過ぎたせいか、保笑夢は呂律が回っていなかった。
「一人じゃできないことをするには、どうすればいいと思う?」
「うにゅ、そりは簡単にゃ! みんにゃでやればよかりょう!」
 果無が令司に向き直って、「ね、そういうことよ」と微笑んだ。
「……そうか!」
 令司は大きく息を吸い込んで、辺りに向けて叫んだ。
「みなさん! 協力して下さい! もう一つの風車を止めましょう!」
 生徒たちが機敏に反応して、令司のもとに集まってくる。以前であれば、令司の言葉に反応する者などいなかっただろう。
「一気に止めるんじゃなくて、人海戦術で当たって、少しずつ羽根の勢いを落としていくんです!」
 \そう言ったって……/どうやって?\あんなのに当たったら死んじゃうよ/
 及び腰になるのも無理なかった。大剣寺総理のあれは、人間の所行ではない。
 令司は声に熱を込め、みんなを奮い立たせようとする。
「あれはぼくたちの風車です! ぼくたちの象徴なんだ! だからぼくたちが守るんです! あの羽根に届くぐらいの台はありませんか!?
 生徒たちに尋ねて回ると、ミハルがふと思いついたように、
「そうだ、みんなで組体操みたいにすればいけそうじゃない?」
 すぐに男子たちが「よし!」と応じて、稼働している風車のもとへ走っていった。
 そして三枚羽根(ブレード)の下で四つ這いとなり、人間ピラミッドを作ろうとした。
 あとはそこの頂点に人が登って、三枚羽根(ブレード)になにか物を当てて減速させればいい。
「ありがとうございます! あとは当てるものがなにかあれば……固いものだと羽根の方が壊れてしまいそうだし……」
 そう考えていると、ピラミッドを作っている男子生徒たちがなにやら口論を始めた。
 \制服のワイシャツが滑るんだよ!/いや私服がバラバラだから調子が合わないんだ!\なんだと制服!/やるか私服!\
 どうやらびしょ濡れになっているせいで互いの服が滑ってしまい、うまくピラミッドが作れないらしい。
「み、みなさん落ち着いて下さい、ちゃんと協力して」
「服を脱ぎなさい!」
 ――果無の凜とした声が轟いた。
 その一喝で、喧嘩になりかけていた男たちがぴたりと動きを止めた。
 互いに顔を見合わせ、はにかむように笑い合う。
 \そうだな!/服がなけりゃ滑らねぇな!\もう関係ねえ脱げ脱げ!/
 数多の服がバッと風に舞い、上半身裸の男たちが次々に四つ這いになって、たちまち五段にも渡るピラミッドが組み上げられた。
 保笑夢が「おおっ……!」と子鹿の目をキラキラ輝かせた。
「よし!」令司もポロシャツを脱ぐ。
 ミハルがそれを見て「ふわっ」と恥ずかしそうに声を上げた。
「ど、どうして切野くんまで裸になるのよっ」
「え? だってみんな脱いでるし……」
「一番上に立つ人は着たままでもいいでしょ!」
「それはそうだけど……ん?」
 脱いだポロシャツに目を落とし、そこであることに気づいた。
「そうだ、これが使える!」
 令司はそれを手にしたまま、勇んで男たちのピラミッドをよじ登っていった。
 頂上に膝立ちすると、すぐ頭上をヒュンヒュンと三枚羽根(ブレード)が過ぎていく。
「……!」
 唾を呑み込んで覚悟を決め、ポロシャツを両手で広げて通過する羽根に当てた。
 ガンッ、と衝撃。
 直接ぶつかったのはポロシャツなのに、両腕ごともげそうになった。
「うわっ……!」
 令司はたまらずピラミッドから転げ落ちて地面に叩きつけられた。
「切野くんっ!?
 ミハルが駈け寄ってくる。
 四つ這いの男たちも、まさか本当にやるとは、といった顔で令司を見つめる。
「だ、大丈夫です……! みんな、ピラミッドを崩さないで……!」
 差し出されるミハルの手につかまりながら、泥だらけで立ち上がる。下がやわらかい地面だったせいか、アドレナリンのおかげか、思いのほか落下の痛みはなかった。
 風車を見上げると、ほとんど回転の速度は落ちてなさそうだった。
「いけるわ、一瞬だけどちゃんとスピードは落ちたわ」
 離れたところで見ていた果無が励ますように言い、保笑夢に「ねぇ?」と水を向ける。
「お、おゝ! ちゃんと止まってたにょら!」
 保笑夢が舌足らずながらフォローする。
 その言葉が本当かどうかは、いまは問題ではない。
 大事なことは、挑戦する自分を見ていてくれる人がいるということだ。
「何回でもやります! みなさんも続いて下さい!」
 男子たちが服を脱ぎながら「おお!」と威勢よく返す。
 足場となるピラミッドも三カ所に増やされ、服を手にした男たちが次々に風車に挑んでいく。どれもこれも無惨に弾き飛ばされていくが、女子たちが下で受け止める役を買って出てくれたので、男たちのやる気が上がらないわけがない。
 よく気のつくミハルが、「そういえば漁師さんの網があれば使えるんじゃない!?」と言って、港に借りに行こうとしたが、男たちから猛反対にあう。
 \御御御さんはここにいてくれっ!/僕たちを受け止めてくれぇ!\むしろ俺の背中を踏み台に!/足蹴に!\はぁはぁ/
「えっ? えっ?」
 四つ這いになって爛々と目を光らせる男たちに、ミハルが怯える。
 始めはほとんど効果が感じられなかったが、何人も体当たりを繰り返すうち、徐々に三枚羽根(ブレード)の風切り音が鈍くなっていくのが感じられた。
「はぁ、はぁ……いいぞ、確実に効果は出てる! いける!」
 令司が鼓舞すると、みなが元気に応答する。
 あちこちにすり傷を作りながらも、生徒たちの表情は明るかった。
 一体感によって生まれた巨大な熱量が、台風を押し返そうとしていた。

   †

 果無はやや離れたところで、腕を組んでその光景を見つめていた。
「ふふっ、男の子って単純でいいものね」
 暢気につぶやくと、ようやく舌足らずが直った保笑夢が、
「余はなにもしなくていゝのだろうか……」
「なんだったら、そのスカートを脱いで道具として提供すれば?」
「い、いまは下になにもはいてないのだっ!」
「あら、ちゃんと覚えてたの。気づかずに脱げば面白かったのに」
「ふざけてる場合かっ!」
 再び強烈な突風が吹きつけ、保笑夢が「うきょっ!?」とスカートを押さえた。
「私たちはただ見てればいいのよ。役が回ってくるのは、明日なんだから」
「ハカナ、本当に逆転の策が……ん? おわっ!」
 保笑夢がなにかに驚いて横へ飛びのく。その拍子に思い切りスカートがめくれ、ふともものつけ根まで大きく覗けた。
「なにか足に触ったぞっ……!」
『カァッ、クカァ~!』
 カラスの鳴き声が下から聞こえてきた。
「あら、噂をすれば」
 果無がスカートの後ろを折ってしゃがみ込んだ。
 いつの間にか、二人の足下にベリアルがやってきていた。
「相変わらずの地獄耳ね。そうよ、あなたの出番がもうじき来るわ」
「この化け猫が? どういう意味だ?」
「それは明日のお楽しみ」
 ベリアルの頭をぐりぐり撫でながら意味深に笑った。
 しばらく果無はそうしていたが、やがて顔を上げて「あら」と微笑んだ。
「おめでとう。やればできるじゃない」
 ――何十人という男たちの体当たり作戦によって、巨人のように暴れ回っていた風車が、すっかり大人しくなっていた。
 サメの王者の尾びれをみなで頭上に掲げ、盛大な勝ち鬨を上げる。
 裸の輪の中心で、令司も思う様その勝利のシンボルを支えていた。

   †

 今日の一日は、後世に編まれることになる學閻史において『學閻の象徴を守った日』として、太字で記されることになる。
 明日起きるできごとと、併記される形で。
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