第12話 決行(下)

文字数 1,686文字

 寅次郎たちが、ポーハタン号に近づくと、ピストルの音が、聞こえた。
 重輔の、櫓を漕ぐ手が、止まる。寅次郎は、振り返った。
「構いません。このまま、進みましょう」
 2人が、ポーハタン号のそばまで、たどり着いた時、船べりにある階段を、3人の水兵たちが、かけ降りてきた。
 寅次郎が、立ち上がろうとした時、そのうちの一人が、何か叫びながら、棒で、寅次郎たちの舟を、突いた。舟が、ポーハタン号から、離れようとした、その時、寅次郎は、水兵たちのいる階段に向かって、飛び込んだ。一瞬、あっけにとられた重輔も、それに続く。無人の舟は、飛び移った反動で、ポーハタン号から、遠ざかっていく。
 寅次郎は、懐中から、書状を取り出して、掲げた。
「何卒!ペリー提督に、お取次ぎ願いたい!」
 狭い階段で、5人の男たちが、もみ合いになった。その最中、一人の水兵が、押された弾みで、海に転落した。
 寅次郎は、とっさに、着物を脱いで、海に転落した水兵のそばに、投げた。水兵は、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、投げられた着物を、つかんだ。水兵が、階段に引き上げられた時、甲板から、大きな声が聞こえて来た。
 すると、さきほど海に転落した水兵が、ついて来い、という手真似をした。
 寅次郎と重輔が、甲板に上がっていくと、銃を持った水兵たちに、どよめきが、走った。
 2人とも、着物一枚を身に着けただけで、寅次郎にいたっては、その着物から、水がしたたっている。
 水兵の中には、声を出して、笑っている者もいたが、大部分は、得体のしれない2人への、警戒感を、あらわにしていた。
 そこに、長身の男が、4人の士官を従えて、現れた。
 それは、間違いなく、昨年、久里浜で観た大男、マシュー・ペリーだった。
 寅次郎が、ぐしゃぐしゃになった書状を、差し出すと、士官の一人が、進み出て、乱暴に、ひったくった。
 すると、そばから、あごひげの豊かな人物が現れて、手のひらを、士官の前に、差し出した。士官は、しぶしぶ、書状を、その男に、手渡した。
 書状を受け取ると、男は、熱心に、書状を、読み始めた。時々、寅次郎たちの方を見ては、書状に、視線を、落とす。何度か、それを繰り返した後、男は、ペリーに向かって、話しかけた。ペリーは、男の話を聞いても、表情一つ変えない。
 男の話を聞き終わると、ペリーは口を開いた。その声は、重々しく、ゆったりとした、口調だった。
 ペリーが、話し終わると、男は、紙とペンを取り出して、何か、書き始めた。
 書き終わると、男は、寅次郎に、紙片を、手渡した。
「私の名前は、ウィリアムズです。通訳をしています。これから、ペリー提督の言われたことを、伝えます。
 『貴君たちが、アメリカに行きたいという希望は、素晴らしいものだと思う。できれば、その希望を、叶えてさしあげたい。しかし、今、アメリカは日本と、条約を結んだばかりであり、大変重要な、時期である。日本人を、密航させたことが知れたら、両国の関係に、ひびが入ってしまう恐れがある。したがって、申し訳ないが、貴君たちの希望を、叶えてさし上げることは、できない』、ということです」
 寅次郎が、紙片を読み上げると、重輔が、わめいた。
「わしらは、国禁を犯して、ここまで来とる!密航は、重罪じゃ。送り返されたら、死罪になってしまう!」
 寅次郎は、手で、重輔を、制した。そして、重輔を見つめて、首を振る。
 そして、ウィリアムズから、紙とペンを借り、舟は流されてしまったので、ボートで、浜まで、送ってほしいと、伝えた。
 それを聞いたペリーは、大きく、うなずき、寅次郎の前に、右手を、差し出した。寅次郎も、手を差し出し、握手をした。ペリーの手は、力強く、温かかった
 ボートに乗って、浜辺に返っていく、2人の日本人を、ペリーは、いつまでも、見守っていた。
 のちに、ペリーは、語っている。
「知見を伸ばすためなら、死の危険を冒すことも恐れなかった、2人の日本人の、激しい知識欲は、称賛に値する。このような、素晴らしい若者がいる、日本という国の前途は、なんと、多くの可能性を、秘めていることだろう!」
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