第18話 【書評】民族衣装を着た聖母(2023.11.5記)

文字数 1,277文字

【信者に合わせて、神様も変わって行くフシギ】

1.書名・著者名等
古沢ゆりあ(著)
『民族衣装を着た聖母(副題)近現代フィリピンの美術、信仰、アイデンティティ』
出版社:清水弘文堂書房
2021/2/26発行

2.個人の意見です

外交の世界ではフランス料理が「世界標準」だが、エスニック料理みたいなマリア様も世界各地に居られると言う話。

かく言うニッポンにも「和服姿のマリア様」が居らしたとは知らなかった!
本当に居るのだ。「小関きみ子」または「マリア 東京カルメル会」で画像検索すれば出て来る。もっとも、この「キモーノ・マリア」、ニッポン人には余りウケず、「ガイジン観光客向けのヘンな絵葉書」みたいな扱いらしいが。
結局、我々ニッポン人にとってマリア様は「たまに外食するフランス料理」的距離感のまんまなんだろう。

本書がフィーチャーしているフィリピンでは、そうではない。
そもそもカトリックの浸透が早かった。キリスト教への集団改宗は、1521年、マゼランの世界周航の時から始まっている。
スペインの植民地時代には抵抗運動が起きるが、その際、マリア聖像が攻撃対象になる事があった。「これが聖母だと言うなら、壊してやるから、血を流してみせろ」というリクツである。もちろんキリスト教に改宗したフィリピン人たちは黙ってはいない。フィリピン人同士の宗教戦争も起きた。今やマリア様は、フィリピンのキリスト教徒のDNAみたいな物である。
フィリピンのキリスト教徒の民間信仰の豊かさと奥深さには感動した。キリスト教が定着した国と言うのは、みんなこうなんだろうか。民間レベルでのマリア崇敬は、わがニッポンの観音信仰と似た所が無いとも言えないのである。

やがてフィリピンのマリア様は、独立運動のシンボルにも成る。政治性を帯びた宗教と言うのは、今の日本ではピンと来ない話だが、今までになくフィリピン(およびキリスト教)が身近に感じられた事は確かだ。

「バランガイの聖母」の話も、とっても良かった。教会や聖職者や知識人の話ではなく、一般信徒団体の話だったからである。まったり・ほんのり・ほのぼのした話がエンエンと続く、なんだか観光ブログみたいな内容で、とても得した気がした。フィールドワークと言っても、学問学問した話ばかりが能じゃないと思った。

それで、これら「エスニック・マリア様」が、その後、どうなったかと言うと、(古いのは、すたれる一方で)新しいバージョンが、どんどん生まれていると言うのである。
考えてみれば当然のことだ。時代は変わるし、フィリピンだって変わるし、信者だって常に代替わりして行くのだから。
「生きている宗教、現在進行形の宗教とは、こういうものか。今や『絶滅危惧種』同然の日本の伝統宗教では、すっかり見られなくなった光景だな」と、すごく、うらやましかった。

また(話の本筋とは別に)フィリピン・ローカルに限らない「マリア崇敬の基本中の基本」について、一通りの知識を得る事ができたのも思わぬ収穫だった。とっても「シロウトに優しい」本だったのである。美術館学芸員と言う、著者の商売柄なんだろうか。
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