第3話

文字数 3,379文字

ところで僕のクラスには一人とても興味深い女の子がいる。彼女は池田さんという。
なんというか、ある意味でとても意地悪な女の子なので友達はいない。すすんで誰かを虐めたりするわけではないが、人と関係を築く気が全くないらしく、親切をしているところも見たことがない。
友達がいないので、いつも本ばかり読んでいる。だから顔が青白く、とても恐ろしい。また、身長が高くて、目鼻立ちがはっきりとしており、その大きな瞳から見下ろすような視線も、近寄りがたい雰囲気を生み出している。また、いつも暗い色合いの服装だから、彼女を見ているとなんとなく心も重くなる。そういう女の子だ。


さて、彼女のどこが興味深いのかと言うと、もちろんその恐ろしさではない。そういう人は珍しいが、たぶん他にもいる。そうではなく、おじいちゃんの鬼の面を通して見ると、とてもユニークな存在なのだ。
彼女は、体全体の目玉が少ないのだ。普通の人は隙間なく目玉がぎっしりと身体中を埋め尽くしている。どんな生物もどんな物体も同じようにぎっしりだ。しかし彼女だけが目玉が少なく、スカスカなのだ。そんな人はもちろん、そんな生物も物も今まで見たことがない。なぜ、彼女だけがスカスカなのか? 恐ろしい雰囲気との関係は?
そういうわけで、そのスカスカの謎を知るべく、僕は思い切って彼女を尾行することにした。とりあえず、まずは放課後の彼女の行動を調査しようと思う。


尾行初日、授業が終わると彼女はランドセルを背負ってすぐに教室を出た。しかし下駄箱は通り過ぎていった。そちらには理科室や美術室、一番奥には図書室がある。彼女は理科室と美術室も通り過ぎた。どうやら図書室に用があるみたいだ。
池田さんは図書室に入ると、(当然だが)警戒する様子もなく、古い国語辞書のような分厚いハードカバーの本が並ぶ棚を見上げた。そしてその中の数冊を手に取りパラパラとページをめくった。そのうちにやはり古いハードカバーの一冊を脇にはさみ振り返ると、一番奥の窓から離れた隅の席に、廊下に背を向けて座った。僕は彼女のことを横目で捉えつつ、適当に目についた単行本を選んで窓際の席に座った。
彼女は黒く長い髪を耳にかけ、頬杖をついて、その古いハードカバーの書籍を読んでいた。読んでいる間、時折時間を確認したり、脚を揺らしたりしていた。


窓から差し込む光が長く伸び、西日の色を帯び始めたころ、池田さんは読んでいた本を本棚に戻した。僕はそれを確認し、窓から外を見た。もう校門に向かう生徒は疎らになっていた。
彼女は何の本も借りずに図書室を後にした。僕も彼女の後を追った。校内は既に、ほとんどの教室の照明が落とされていて、薄暗かった。彼女はそのまま下駄箱から出ると、校舎の周りを迂回して裏門に向かった。
彼女も僕と同じく、裏門から帰宅するらしい。もともとこちらから下校する生徒は少ないが、この時間になるともう誰もいない。
余談だが、門の付近には今日も松ぼっくりが落ちていたので、僕は拾ってランドセルに入れた。


学校を出るとその先は、荒いアスファルトの規則正しく蛇行する下り坂だ。坂の両脇はツゲの生け垣で区切られていて、その向こう側は、腰の高さほどのイネ科の雑草が広く群生している。この辺りの雑草は夏になると人の背丈程にも成長する。毎年、樹木が生えてくると伐られるのだが、なぜか草は刈られない。
道端のコンクリートの隙間には細く伸びたヒナゲシが点々と小さく咲いていた。すこし湿り気を含んだ5月の風に揺られている。
彼女はつづらに折れた下り坂を、脇目も振らず大股で下っていく。紺色のストーレートジーンズが、忙しく往復していた。


坂を下り切ると小川に突き当たる。小川といっても住宅街の近くを流れているため、コンクリートで舗装されており、お世辞にもきれいとは言えない。ところどころに雑草が生え、その周りが泡立っている。
彼女は突き当りを右折し、川に並行する遊歩道を進んだ。遊歩道の脇はイチョウが等間隔で植えられており、その根によって道が凸凹している。ちなみにさっきの突き当りを左に行けば僕の家のある方向だ。汚れているとはいえ、川の流れと日陰とで遊歩道は少し涼しい。
この辺りは住宅地で片側には家並みが見え、もう片側は林になっている。
突き当りから10分ほど歩いたところに橋がかかっており、その先には「亀山池の森」という、山なのか池なのか森なのかよくわからない場所がある。彼女は森の方へは行かず、川の方へ降りていった。そして橋の下の暗がりに入っていった。僕はイチョウの木の陰で、橋の影に進んでいく彼女を目で追った。辺りを見回すと、橋の上を人が一人通り過ぎていく。ここは人通りは少なく、車の通りもあまり多くない。
池田さんは橋の真下まで来ると、川を背にし、暗がりに向かって、まるでカツアゲをする不良学生のような声で
「おい」
と低い声で何かに呼びかけた。僕は彼女の視線の先に目を凝らす。


すると橋の影から、かわいらしい三毛猫が一匹、姿を現した。そして池田さんに向かって歩いていく。警戒している様子は窺えない。池田さんの方は猫を確認して、ランドセルを漁っている。
猫は彼女の前まで来て見上げると、彼女の足元に座って小さく鳴いた。彼女はランドセルから缶詰を出して、蓋を開け猫の前に置いた。猫は再び小さく鳴いてからそれを食べた。
どうやら池田さんは放課後に野良猫に餌やりをしているらしい。猫も池田さんにとても慣れており、食べ終わると頭を脚に擦り付けた。池田さんは猫を見下ろし、少し微笑んでいるように見えた。
餌やりを済ますと彼女は猫を撫でたり、抱き上げて橋の下から出てきて、川辺りをウロウロした。夕焼けが、猫を抱く池田さんを照らし、川に沿って長い影をつくる。僕は少し、彼女を誤解していたのかもしれない。ヒトにしろそれ以外にしろ、何かと関わることに全く興味がないと思っていた。


さて、彼女は一通り猫と戯れると、川沿いの道に戻り、来たときと同じ方向に歩いていく。少し行って橋を渡ると、住宅街に進んでいった。それから何回か曲がり、2階建ての家に入っていった。おそらくここが自宅だろう。その家の周りには雑草が一本も生えていない。置物や植木鉢もない。家自体は白い外壁に黒い窓枠という外観だ。築10年くらいの建物だろう。駐車場にはトヨタの白いセダンが停まっている。庭には一面に芝生が張られ、几帳面に手入れがされている。たぶん昼間に来ればきれいな庭なのだろうが、薄暗い中で見るとなんとなく寂しい。全体的に不必要な装飾が一切なく、殺風景な家だ。


日の暮れた町並みに、街灯が一斉に灯った。僕は池田さんの帰宅を見届けて自宅へ急いだ。僕の家は彼女の家からだいたい15分くらいの場所にある。
帰る途中、何度か散歩をする犬とすれ違った。なぜこの時間は犬を連れている人が多いのだろう。


とりあえず初日の結果はこんなところだ。


尾行2日目
翌日も池田さんは放課後に図書室へ行き、一人で学校を出た。それから橋の下で猫に餌をやった。昨日と全く同じだ。
その日は彼女が猫の餌やりをした後、僕は橋の下に残って、三毛猫を調べてみることにした。猫は橋の下の隅の窪みにうずくまっていた。ここは窪みの前に雑草が生えていて、雨風を防ぐのに丁度よく見える。たぶんここで暮らしているのだろう。
僕を見ると猫は尻尾を揺らして警戒した。猫自体に特におかしなところはない。でも一応僕は鬼のお面を首にかけて、もう一度猫を見てみた。すると驚いたことにその猫もスカスカだった。たまちゃんも興味深げに猫を凝視していた。僕はたまちゃんと目を見合わせた。どういう訳かスカスカな者同士、引かれ合う性質でもあるのかもしれない。こんなもの見たことがないのだから、偶然とは考えられない。この猫もよく観察した方がいいかもしれない。見る限り、ただの大人しそうなか、かわいらしい猫なのだが、池田さんみたいに恐ろしい一面もあるのかもしれない。まあとりあえずはもう少し池田さんを中心に調査していこうと思う。


そして3日目も4日目も、彼女の放課後の行動は同じだった。友達と遊んだり、そろばんの稽古に行ったりすることもなかった。クラスでの様子通り、あまり楽しそうな生活はしていないようだ。
このように、それから一週間はさっぱり何事もなく過ぎていった。

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