7話

文字数 4,497文字

「アキからあなたへ、誕生日プレゼントです」

「え……でも…そんなはず………」

「ノートを開いてみてください」

ゆっくりと表紙を開くと、見覚えのある懐かしい筆跡が目に飛び込んできた。

『大好きな結へ。

お誕生日おめでとう。

これを目にしている頃、
俺は隣にいないと思う。

でもね。

結なら大丈夫だよ。

P.S. 蒼吾のことは責めないであげてくれるかな。
俺が頼んだことだから。
じゃあ、今度こそ、またね。』

次のページも、その次のページにも、彼の言葉が続いていく。

『大好きな結へ

このラブレター、届いてる?

もし無事に届いていたら……』


『大好きな結へ

結が一人で悩んでる姿を見ると
結らしいなって思う。
結は……』


「これ……レターと同じ……?」

「はい。正真正銘、アキからあなたへ贈られた、ラブレターです」

「っ!!」

「これから、全てをお話しします」


***


「なあ蒼吾、聞いて欲しいことがあるんだけど」

友人代表スピーチを依頼されるずっと前。久しぶりに地元に戻ってきたアキは、俺をいつものファミレスに誘った。

「言われなくとも何でも聞くけど。改まってどうした?」

「あのな、俺、病気が見つかったんだ」

「えっ、ちょ、ちょっと待って。まさか余命宣告されたとかじゃ……」

「それはないから安心して。全然元気」

「はあ……勘弁して。冷や汗吹き出たんだけど。それに病気なのに元気ってどういう状況?」

アキは健康診断で難病が見つかったのだと言った。それは遺伝子の異常に起因する先天性のものらしく、一定の年齢になると兆候が出始めるという。最近受診した健康診断でとある検査項目に軽度異常が見つかり、精密検査の結果、発覚したそうだ。

「医師によると、この病気で命を落とすことはなくて、生まれながらに大腸とか肺が病気しやすいっていうことなんだって。たしか、三十代になると大腸がんや肺がんに罹る率が通常より高くなるとかなんとか。ただ、それらに罹る確率が高いってだけでまだ発症してないから、こうして元気でいるわけ。先天性のものだからがん予防のための推奨事項もなくてさ。あ、そうだ、早期発見できるように健康診断は欠かすなって言ってた」

「言ってたって……他人行儀な……自分の命だろ」

一番心配なのはアキだろうに、彼は明るい微笑みを浮かべ俺を瞬時に安心させた。

「そうだよ。自分の命だから、これからもっと大事にする。悲観してメソメソしながら生きるのは俺らしくないから。だから、蒼吾とも、結とも、家族とも、これまでみたいに笑って生きていくよ」

「ああ。アキらしいな。きっとそれがいい」

「そう言ってくれると思った。まあでも、病気に限らず、この命には果てる運命があるんだなって改めてわかったから、万が一のために、蒼吾にひとつお願いしとくな」

「やめろよ縁起でもない」

「とか言って、引き受けてくれるんだろ」

「…………」

「蒼吾は優しいからな。蒼吾、俺は大事な人に大事な人を託したいと思う」


***


月蜜君の話を聞けば聞くほど混乱が止まらない。

「病気の話、私にはしてくれなかった」

「花美さんを無駄に心配させないよう、アキなりの配慮だったんじゃないでしょうか」

「……たしかに、彼ならそうするかも」

「はい。そして、その後また会ったとき、このノートを渡されました。『結の幸せへの解放を手伝ってあげてほしい』という言葉と共に」

「幸せへの、解放?」

「ええ。アキと過ごした時間に囚われ過ぎず、次の愛へ進めるように、花見さんの背中を押す手伝いをしてほしいと、そう言われました……引き受けたものの、ノートが必要になる日が来るとは思いませんでしたけど。それに、ラブレターの内容や送信日時の指定など段取りは全てアキが準備してくれたので、俺はアカウントを借りて依頼通りにメールしただけです」

命の不安の中でも、私のことを考えてくれていたなんて。

月蜜君は噴水を眺めながら、淡々と言葉を続けた。

「そしてこれは条件付きでした。アキに万が一のことがあったとして、その二年後も花美さんにこれが必要そうなら実行に移してほしいという条件です。メールにアキの存在が見えた時点で連絡が来るだろうとは予期していましたが、開始早々二通目でそうされましたね。完全に無視することもできたのに、です」

「でも、それだけで必要性を判断したの?単純に興味本位で連絡している可能性だって考えられたでしょうに」

「興味だけでないことは、すぐにわかりましたよ。先月お会いした日に、俺がこのメールは本当にアキが送っていると信じているかと聞いたら、花美さん言葉に詰まりましたよね」

「ああ、あの時の」

「即座に否定されたらメールはそこで止める予定でしたが、あの反応を見て、その後もアキの指示通りに贈り続けました」

「そっか、そうだよね。今の私は、誰が見ても、未練がましく過去に固執した女に見えるよね」

「花美さん、何か勘違いしていませんか?」

「どういうこと?幸せへの解放ってそういうことでしょう。すっきりと過去を忘れて、前を向こうっていうメッセージでしょう」

「では花美さんは、アキと過ごした時間をなかったことにして否定したいんですか。アキを、拒絶したいんですか」

「そ、そんなことあるわけないじゃない!」

「ならばどうして、アキと共に前を向くという選択がないんですか」

「だって……だってもう彼はいないの!……彼とのことは、もう、終わったの……」

「終わってなんかないです。終わらないです。あなたが生きている限り、アキはあなたの中で生き続けます。あなたがそれを、拒まない限り」

「……っ……」

「俺は、過去の思い出を抱きながら未来へ前進することは可能だと思います。特に大事な人との思い出に限って言えば、共に過ごした時間を記憶から捨て去ろうとすることは、その人を拒絶することであり、ひいてはその人を愛した自分を否定することにもなると思います。それに、アキが言ってましたよね。幸せには自由に意味をつけていいって」

「うん」

「アキとの時間を、幸せな過去、辛い過去どちらに意味づけするのも、あなた次第ですよ花美さん。ただ、覚えておいてください。あなたは今日、そのノートを受け取ったんです」

「うん……?」

「ラブレターを、受け取ったんです」



そう。私は、彼に愛されていた。十年間も、ずっと、愛されていた。そしてこの世を去ってからも、こうしてずっと。

私、痛みから逃げたいだけだった。あの十年は結実しない夢を見ていたんだと諦めて、思い出から、あなたから、目を背けてた。

でも、本当はね。逢いたくて仕方なかった。素直な気持ちに蓋をして、大事な思い出を見ないようにして、でも、それが難しくて。忘却の覚悟を決めきれず、どこにも動けず、何もできない自分が嫌いで。 

だけど、あなたのおかげでようやく気づけた。そう。私は、彼を愛してた。十年間も、ずっと、愛してた。そしてこの世を去ってからも、こうしてずっと。大事な(あなた)を過去に置き去りにする必要なんてなかった。愛はずっとここにある。これからも、ずっと。

やっと、あなたの笑顔を思い出せる。優しい背中じゃなく、柔らかな笑顔を思い出せる。大好きだった笑顔を、ありありと、鮮明に、私の、隣に。



「……あ…きと……暎斗…暎斗、暎斗っ……」

久しぶりに口にした名前。ノートをぎゅっと抱きしめて、大好きな名前を何度も呼んだ。何度も、何度も、泣きながら。

「ねえ……暎斗……」

逢いたいよ。大好きって、伝えたいよ。

だからね、これからは、私の中にいるあなたへ伝えるね。「愛してる」の言葉を、「ありがとう」の言葉を、好きなときに好きなだけ届けるね。ラブレターを、贈り続けるね。

ねえ暎斗。そんな私と、これからも一緒にいてくれる?一緒に、未来(まえ)を向いてほしいの。





子どものように泣きじゃくる間、月蜜君は私の隣で静かに見守ってくれていた。そして私のハンカチも月蜜君に借りたハンカチも満水になり、互いのティッシュも底を突いた頃。ようやく涙が引き始め、会話できる程度に息も整ってきた。

「月蜜君、ごめんね。時間取らせちゃうし、ハンカチびしょびしょにしちゃうし、ティッシュ全部貰っちゃうし。あの、ハンカチは洗って返すね」

「はい」

スマホで時刻を確認すると、既に八時九分。終電の心配はなさそうだけど、お疲れであろう月蜜君に帰宅を促そうとした、そのとき。手元でメールの受信音が響く。お休みをもらっているし仕事関係ではなさそうだけど、一言詫びてから念のため開いてみると、見覚えのあるアドレスからのメールだった。

『From:letter_for_yui@email.jp
20XX/8/10 8:10
件名:二十八歳のお誕生日おめでとう
本文:

愛してる。
だから前へ進もう。

一緒に。

暎斗より』


「ねえ、これも月蜜君が送ってくれたの?」

スマホの画面を向けると、月蜜君は目を走らせながらさらっと答えた。

「いえ。俺が送ったのは七通のみです。これはノートに書いてない内容だと思いますよ」

彼は「こんなメールあったかな」と怪訝そうに首を傾げ、短い思案ののち再び口を開く。

「件名に記載された年齢から推測するに、もしかしたらアキ本人が送信予約をかけたメールかもしれません。まあ、予約日がだいぶズレたみたいですけど。……いや、違うか」

視線を向けると、クールな表情が解けて、柔らかい微笑みが私を迎えた。

「奇蹟が起きたんじゃないですか」

「……そうだね、きっと」





駅へと向かう途中、移動中は通常無言の月蜜君が珍しく話を切り出した。

「先月も、今日も、もしかしたらメールでも、俺かなり酷なこと言いましたよね。本当に申し訳ないです」

「ううん、大丈夫。月蜜君がそうしてくれたからこそ、ここまでこれたんだと思う。だから、むしろありがとう」

「いえ、とんでもない。アキみたいに優しい言葉は浮かばないですけど、花美さんは本当によくやってきたと思います。それと、これどうぞ」

紙袋から姿を現したのは小ぶりの薔薇の花束。彼は「お誕生日おめでとうございます」の言葉を添えて渡してくれた。

「綺麗ね、ありがとう。これも暎斗からの依頼?」

「いえ。俺からです」

「そう。嬉しい」

そこでちょうど駅へと到着した。月蜜君は入り口の脇で足を止め、こちらに向き直った。

「こちらで失礼します」

「ええ。今日は本当にありがとう」

「いえ、こちらこそ」

そこでいつもの挨拶が来るかと思いきや、彼は何か思い出した様子で先を続けた。

「ハンカチの件は後ほどに。ではまた」






『このラブレター、届いてる?』〈了〉

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