1話
文字数 3,457文字
「おはよう、結。朝ごはんできてるよ。スクランブルエッグとスクランブルエッグ、どっちがいい?」
「両方同じじゃない。さては、また卵が上手く割れなかったわね?」
「バレたか」
笑永暎斗 。少し不器用だけど、朝から私を笑顔にさせる幸せの天才で世界一優しい人だった。私、花美結 のフィアンセ。
私たちの出逢いは大学一年のとき。たまたま筆箱を忘れた彼がたまたま隣に座った私にシャーペンを借りたことにより偶然始まっていった幸せの物語。付き合ってしばらくしてから暎斗が言うには、一目惚れで、一瞬のうちに運命の出逢いだと確信したらしい。
「結の瞳に見つめられた瞬間に、この人だって、わかったよ」
「別に見つめてなかったと思うけど。それに、そんな簡単にわかるものなの?」
暎斗と違い運命などといった実体がなく感覚的なものに対して懐疑的な私は、その発言に異論を唱えずにはいられなかった。けれど、彼はとろける笑顔で断言した。
「うん。だって心臓止まったもん」
そして私はお腹が痛くなるまで笑い転げて、運命に感謝するようになった。
*
感覚に素直でマイペースな暎斗と思考型で慎重な私は一見すると火と水のように相入れないものだったけれど、彼の器の大きさの前には何も障害にならなかった。その存在を形容するなら、月の光。淡く優しく、けれど確かに私を光で照らし、遠くにいても近くに感じ、暗闇の中でも一緒にいてくれる。いつだって、彼に支えられていた。
自然と同棲も始まり、無事に十周年を迎えた六月七日の記念日に彼はとある約束をしてくれた。
「結の二十八歳のお誕生日に、名字を、お揃いにしよう」
その一ヶ月後。彼は不慮の事故でこの世を去った。
翌月の誕生日は、一人で迎えた。次の日も、花美結だった。
***
あれから約二年が経過し、彼とのことは他の思い出と同様に距離ができ始め、特別な感情が湧きにくくなっていることを自覚している。さすがに十年もの長い間一緒にいたので、完全に忘れ去ることは難しいけれど、もうあの声が聴けないという事実をしっかり受け止めているつもり。
時間が最大のクスリとは、本当によくいったものだと思う。七月二日の命日を明日に控えながらも、去年のように泣き通しによる頭痛で欠勤することはなかった。
そんな私の心境の回復を察知してくれたのか、最近になって真那からいい人を紹介してもらったり、飲み会に誘われるようになっていた。その出会いの中にはもちろん素敵な方もいたけれど、一途に十年も同じ人を想い続けた女は重過ぎるだろうし、年齢も年齢なので強気になれないでいる。一向に成果を生み出さない私を真那は責めるでもなく、「じゃあ違うタイプの人紹介するね」とカラッとした爽やかさで応援してくれていて、会う度に元気をもらっていた。
前回の軍議から一週間後の金曜夜。真那に緊急招集され、お気に入りのお店で軍議を開くことに。入店するなり真那はアルコールを三杯オーダーした。もちろんそれは、一人分。
「もうー!聞いてよ結ー!」
顔にかかった巻き髪を払い、モヒートを一気に飲み干す若々しい勢いに拍手したくなるとともに、そこまで彼女を追い詰めた原因が気になり始める。仕事に対する不平不満は滅多に口にしないタフな彼女のことだから、ご縁界隈での話だろうと推測できた。
「大丈夫?一昨日の合コン、そんなに酷かったの?」
「いやもうなんかありえないの。あのね、井立さんって人と連絡先交換しようとしたのね。メンバーの中で唯一気になる人だったんだけど。メッセージアプリのライトで繋がろうと思ったら使ってないって言われて。なんか、ライト使うのは俺の信念に反するとか言って、大事な想いは手軽なライトじゃ伝わらないとか、スタンプの応酬は幼稚とか、聞いてもないのに熱弁し始めたの。もう『はぁ?』しか言えなかった」
「その時の真那の表情が目に浮かぶ」
「うん、やっぱ結ならわかってくれると思った。それでね、メルアド聞かれたんだけど持ってないって見え透いたウソついといた。あれ何だったんだろう、ライトとメールでは言葉の重みが異なるって自論?ありえなくない?どうでもいいけど、意識高く見せたいだけのこじらせお坊ちゃんだったわ」
モヤモヤを出しきってスッキリしたのか、彼女は思い出し笑いを肴に二杯目に手を伸ばす。何度ハズレくじを引こうと「次はいけると思うなあ」と前向きな姿勢を崩さない彼女の気概に、不思議と励まされた気分になった。
「何だかんだ言っても、真那は恋バナしてる時が一番イキイキしてるよね」
「当たり前じゃない、楽しいんだもん」
「そう?この前、ご両親に結婚急かされてうんざりしたって言ってなかった?」
「うん、言った。だって恋愛も結婚も人に言われてやるものじゃないと思うから」
「それもそうね」
「でしょ。それにね、相手に求める条件は低めだし、相性抜群の彼に絶対逢えると思うの」
「笑いと食の価値観が合う人だっけ」
「そうそう。結婚は二人で一緒に生きることだから、互いに生きる要が同じなら、一生笑顔で生きていけると思うんだよね」
「真那に泣き顔は似合わないもんね。というか、想像できないかも」
「ああ、言われてみれば人前で泣いたことないかな。どんな困難も顔で笑って心で泣く配慮ができる、大人のオンナですから」
「ふふふ。ご立派です」
その後も話題は尽きず、新しい習い事や週末旅行の計画を立てているうちにあっという間に夜が更けていく。翌日も会う約束をし、駅のホームで別れた。
***
帰宅すると時刻は十一時半過ぎ。ソファの上で静かに歯磨きをしながら、真那のエピソードが思い出された。
「大事な想いは手軽なライトじゃ伝わらない」
その意見に賛同するつもりはないし、いかなる手段であれ想いは伝わると思う。けれど、メールでのやりとりに特別感を抱いていることについて彼女に打ち明けることはしなかった。次第に過去が今に押し寄せて、意識が覚醒する。指が勝手にスマホに触れた。
*
『From:letter_for_yui@email.jp
20XX/10/18 10:18
件名:ラブレター
本文:
大好きな結へ
これから毎月一通、ラブレターを贈ろうと思います。
手書きも検討しましたが、
経年劣化でインクが消えることもあると聞いたので、
永遠に残るメールを選択しました。
あれ、何で敬語で書いてるんだろう。
まあいっか。ゆるくお付き合いください。
最初のラブレターで伝えたいことは次の言葉です。
いつもありがとう。
では、来月も書くので、読んでくれると嬉しいです。
暎斗より
P.S.結の作ってくれるカレーが大好きです。辛さが絶妙です。』
当初、見知らぬメールアドレスから「ラブレター」という件名で受信した時は迷惑メールかと疑ったけれど、頭に浮かんだ言葉をそのまま落とし込んだような文面はまさに暎斗らしさ全開。読了後、重要タグを付けて専用フォルダに保存した。
最初のうちは私も楽しみながら返信していたものの、忙しさにかまけて徐々に返信が滞り対面で感謝を述べるだけになっていった。返信をせがまれることはなく、ありがとうの一言で済ませても文句を言われず、ラブレターは五年間毎月欠かすことなく贈られ続けた。私はそれを何度も読み直し、何度も恋に落ちた。
逢えなくなったあの日から読み返すことをやめ、内容も忘れかけていたのに。久しぶりに開いたラブレターのせいでまた鮮やかに恋に落ちかけている自分がいる。
でも、逢いたいなんて、言わない。絶対に、言わない。
スマホの時計が午前零時に切り替わり、七月二日がやって来た。早起きに備えるためソファを離れた、そのとき。手元でメールの受信音が響く。時間的に仕事関係ではなさそうだが念のため開いてみると、見覚えのあるアドレスから、見覚えのある件名のメールを受信していた。
『From:letter_for_yui@email.jp
件名:ラブレター
本文:
大好きな結へ
このラブレター、届いてる?
もし無事に届いていたら、次からが本題です。
これから毎週一通、ラブレターを贈ろうと思います。
怖がらずに読んでくれると嬉しいです。
P.S. 今回はP.S.メッセージはありません。』
「両方同じじゃない。さては、また卵が上手く割れなかったわね?」
「バレたか」
私たちの出逢いは大学一年のとき。たまたま筆箱を忘れた彼がたまたま隣に座った私にシャーペンを借りたことにより偶然始まっていった幸せの物語。付き合ってしばらくしてから暎斗が言うには、一目惚れで、一瞬のうちに運命の出逢いだと確信したらしい。
「結の瞳に見つめられた瞬間に、この人だって、わかったよ」
「別に見つめてなかったと思うけど。それに、そんな簡単にわかるものなの?」
暎斗と違い運命などといった実体がなく感覚的なものに対して懐疑的な私は、その発言に異論を唱えずにはいられなかった。けれど、彼はとろける笑顔で断言した。
「うん。だって心臓止まったもん」
そして私はお腹が痛くなるまで笑い転げて、運命に感謝するようになった。
*
感覚に素直でマイペースな暎斗と思考型で慎重な私は一見すると火と水のように相入れないものだったけれど、彼の器の大きさの前には何も障害にならなかった。その存在を形容するなら、月の光。淡く優しく、けれど確かに私を光で照らし、遠くにいても近くに感じ、暗闇の中でも一緒にいてくれる。いつだって、彼に支えられていた。
自然と同棲も始まり、無事に十周年を迎えた六月七日の記念日に彼はとある約束をしてくれた。
「結の二十八歳のお誕生日に、名字を、お揃いにしよう」
その一ヶ月後。彼は不慮の事故でこの世を去った。
翌月の誕生日は、一人で迎えた。次の日も、花美結だった。
***
あれから約二年が経過し、彼とのことは他の思い出と同様に距離ができ始め、特別な感情が湧きにくくなっていることを自覚している。さすがに十年もの長い間一緒にいたので、完全に忘れ去ることは難しいけれど、もうあの声が聴けないという事実をしっかり受け止めているつもり。
時間が最大のクスリとは、本当によくいったものだと思う。七月二日の命日を明日に控えながらも、去年のように泣き通しによる頭痛で欠勤することはなかった。
そんな私の心境の回復を察知してくれたのか、最近になって真那からいい人を紹介してもらったり、飲み会に誘われるようになっていた。その出会いの中にはもちろん素敵な方もいたけれど、一途に十年も同じ人を想い続けた女は重過ぎるだろうし、年齢も年齢なので強気になれないでいる。一向に成果を生み出さない私を真那は責めるでもなく、「じゃあ違うタイプの人紹介するね」とカラッとした爽やかさで応援してくれていて、会う度に元気をもらっていた。
前回の軍議から一週間後の金曜夜。真那に緊急招集され、お気に入りのお店で軍議を開くことに。入店するなり真那はアルコールを三杯オーダーした。もちろんそれは、一人分。
「もうー!聞いてよ結ー!」
顔にかかった巻き髪を払い、モヒートを一気に飲み干す若々しい勢いに拍手したくなるとともに、そこまで彼女を追い詰めた原因が気になり始める。仕事に対する不平不満は滅多に口にしないタフな彼女のことだから、ご縁界隈での話だろうと推測できた。
「大丈夫?一昨日の合コン、そんなに酷かったの?」
「いやもうなんかありえないの。あのね、井立さんって人と連絡先交換しようとしたのね。メンバーの中で唯一気になる人だったんだけど。メッセージアプリのライトで繋がろうと思ったら使ってないって言われて。なんか、ライト使うのは俺の信念に反するとか言って、大事な想いは手軽なライトじゃ伝わらないとか、スタンプの応酬は幼稚とか、聞いてもないのに熱弁し始めたの。もう『はぁ?』しか言えなかった」
「その時の真那の表情が目に浮かぶ」
「うん、やっぱ結ならわかってくれると思った。それでね、メルアド聞かれたんだけど持ってないって見え透いたウソついといた。あれ何だったんだろう、ライトとメールでは言葉の重みが異なるって自論?ありえなくない?どうでもいいけど、意識高く見せたいだけのこじらせお坊ちゃんだったわ」
モヤモヤを出しきってスッキリしたのか、彼女は思い出し笑いを肴に二杯目に手を伸ばす。何度ハズレくじを引こうと「次はいけると思うなあ」と前向きな姿勢を崩さない彼女の気概に、不思議と励まされた気分になった。
「何だかんだ言っても、真那は恋バナしてる時が一番イキイキしてるよね」
「当たり前じゃない、楽しいんだもん」
「そう?この前、ご両親に結婚急かされてうんざりしたって言ってなかった?」
「うん、言った。だって恋愛も結婚も人に言われてやるものじゃないと思うから」
「それもそうね」
「でしょ。それにね、相手に求める条件は低めだし、相性抜群の彼に絶対逢えると思うの」
「笑いと食の価値観が合う人だっけ」
「そうそう。結婚は二人で一緒に生きることだから、互いに生きる要が同じなら、一生笑顔で生きていけると思うんだよね」
「真那に泣き顔は似合わないもんね。というか、想像できないかも」
「ああ、言われてみれば人前で泣いたことないかな。どんな困難も顔で笑って心で泣く配慮ができる、大人のオンナですから」
「ふふふ。ご立派です」
その後も話題は尽きず、新しい習い事や週末旅行の計画を立てているうちにあっという間に夜が更けていく。翌日も会う約束をし、駅のホームで別れた。
***
帰宅すると時刻は十一時半過ぎ。ソファの上で静かに歯磨きをしながら、真那のエピソードが思い出された。
「大事な想いは手軽なライトじゃ伝わらない」
その意見に賛同するつもりはないし、いかなる手段であれ想いは伝わると思う。けれど、メールでのやりとりに特別感を抱いていることについて彼女に打ち明けることはしなかった。次第に過去が今に押し寄せて、意識が覚醒する。指が勝手にスマホに触れた。
*
『From:letter_for_yui@email.jp
20XX/10/18 10:18
件名:ラブレター
本文:
大好きな結へ
これから毎月一通、ラブレターを贈ろうと思います。
手書きも検討しましたが、
経年劣化でインクが消えることもあると聞いたので、
永遠に残るメールを選択しました。
あれ、何で敬語で書いてるんだろう。
まあいっか。ゆるくお付き合いください。
最初のラブレターで伝えたいことは次の言葉です。
いつもありがとう。
では、来月も書くので、読んでくれると嬉しいです。
暎斗より
P.S.結の作ってくれるカレーが大好きです。辛さが絶妙です。』
当初、見知らぬメールアドレスから「ラブレター」という件名で受信した時は迷惑メールかと疑ったけれど、頭に浮かんだ言葉をそのまま落とし込んだような文面はまさに暎斗らしさ全開。読了後、重要タグを付けて専用フォルダに保存した。
最初のうちは私も楽しみながら返信していたものの、忙しさにかまけて徐々に返信が滞り対面で感謝を述べるだけになっていった。返信をせがまれることはなく、ありがとうの一言で済ませても文句を言われず、ラブレターは五年間毎月欠かすことなく贈られ続けた。私はそれを何度も読み直し、何度も恋に落ちた。
逢えなくなったあの日から読み返すことをやめ、内容も忘れかけていたのに。久しぶりに開いたラブレターのせいでまた鮮やかに恋に落ちかけている自分がいる。
でも、逢いたいなんて、言わない。絶対に、言わない。
スマホの時計が午前零時に切り替わり、七月二日がやって来た。早起きに備えるためソファを離れた、そのとき。手元でメールの受信音が響く。時間的に仕事関係ではなさそうだが念のため開いてみると、見覚えのあるアドレスから、見覚えのある件名のメールを受信していた。
『From:letter_for_yui@email.jp
件名:ラブレター
本文:
大好きな結へ
このラブレター、届いてる?
もし無事に届いていたら、次からが本題です。
これから毎週一通、ラブレターを贈ろうと思います。
怖がらずに読んでくれると嬉しいです。
P.S. 今回はP.S.メッセージはありません。』