2話
文字数 3,807文字
翌日。ずっと観たかった映画の鑑賞も、真那が予約してくれたランチビュッフェも上の空。私の異変を察知した真那は午後の予定を変更して落ち着いたカフェへと誘ってくれた。
「結、ごめん。やっぱり今日は一人でゆっくりしたかったよね」
「ううん、いいの。好き好んで感傷に浸りに行くタイプじゃないし、むしろ親友と一緒に普通の週末として迎えられたことが嬉しいかな。だから私の方こそごめんね。変な心配させたよね」
「ねえ、結。私といるときは無理して欲しくない。どんな感情もどんな言葉も、遠慮なくぶつけてもらっていいから」
「ありがとう」
彼女の優しさに背中を押され、昨夜の出来事を打ち明けることにした。予想通りに驚いていたけれど、実際にレターを読み終えた彼女の表情には明確な意見が浮かんでいる。言葉を選びながらゆっくりと口を開く真那。
「うーん。そうね、何て言ったらいいかな。迷惑メールやなりすましメールだと判断するには、この言葉選びは、あまりに……」
そこで彼女は口籠る。けれど私と同じ意見であることが十分理解でき、私が続きを引き取った。
「あまりに、彼らしい」
「うん、同じこと思った。特にP.S.メッセージがいい感じに抜けてて……ご、ごめん!けなしてる訳じゃなくて、良い意味で!」
「ふふっ、わかってる。それに同じこと思ってた」
「そっか。でも冷静に考えたら彼からメール来るのは不思議だよね。目的も不明で、なぜこのタイミングなのかもわからないし……」
真那はヒートアップした頭をアイスカプチーノを飲んで冷却したのち、懐かしい名前を口にした。
「ここはハニー君にあたるのが適切とみた」
「ああ、月蜜 君のこと?」
「そうそう。たまに連絡取り合ってるって言ってなかった?」
「まあね。連絡と言っても、年に数回ご機嫌伺いの短いやり取りをしてる程度だけど」
月蜜蒼吾 君は暎斗の地元の同級生で、彼の親友。結婚式の日取りを決める前から友人代表スピーチを依頼するほど暎斗の大切な存在なので、真那の言う通り彼なら何か知っている可能性が高そう。
ただ、面識があるとはいえ共通項の暎斗がいない今、いくら甘く見積もっても親しい間柄と称するにはおこがましい関係。いつも向こうからスタートする連絡も、単純に私が悲嘆に暮れた末に自害していないかチェックするためだと思っている。私はそんなに弱くないけれど、気遣いに感謝しつつ当たり障りのない言葉を交換して彼の「ではまた」で終えるのがお決まりになっていた。
真那と別れ帰宅途中の電車の中、やや緊張しながらスマホを手に取る。ライトの連絡先一覧から月蜜君を探し、会って相談したいことがある旨を手短かに綴り思い切って送信ボタンを押した。間もなくして戻ってきた返信はいつものように簡潔で、暎斗の文章とは異なる雰囲気を纏っていた。
『了解しました。
来週水曜、仕事で都内に出るので
その日の夜はどうですか。
希望の時間、場所を
教えてください。』
こちらの都合に合わせてもらってばかりでは申し訳ないので、月蜜君の訪問先に近い場所で落ち合うことに。そして彼の『ではまた』で連絡が終息した。
***
一通目のレターを受け取ってから三日後の月曜午前零時。届いた二通目を開封し、鳥肌が立つ。
『From:letter_for_yui@email.jp
件名:ラブレター
本文:
大好きな結へ
スクランブルエッグはまだ好きですか?
美味しいものを食べている時の
結の喜びの表情を見るのが好きです。
結が大好きだと言えることを
たくさんしてください。
(太るとか気にせずにね。
あ、もちろんスクランブルエッグに
限定せずだよ。)
P.S.疲れて帰ってきて、
手作りおにぎりを頬張る横顔も好きです。
残業、少なくなってるといいな。』
彼はもう、いない。けれど同棲を始めてからスクランブルエッグが好きになったことも、帰宅が遅くなった平日夜のお夕飯に彼のお手製おにぎりを好んで食べていたことも、知っているのは暎斗だけ。
彼の存在を色濃く感じさせる文面に戸惑うばかり。単なる悪戯だと跳ね除けられない脆弱な意志に溜息が止まらない。彼とは関係ないと割り切れたらいいのに。決して実らない期待なんか持ちたくないのに。
誰が書いているの。なぜ私たちのことを知っているの。私にどうしろと言うの。
あなたは、誰なの。
***
約束の水曜日。人通りの多い駅前にも関わらず、すんなり月蜜君を見つけることができた。すらっと背の高い彼はそれだけで目立つけど、暎斗曰く「誰かを待つ時は必ずイヤホン着けて遠くを見つめてるんだ。特に意味は無いって言ってたけど、多分、逢えるワクワクを隠したいんじゃないかな」が当てはまっていた。今日の呼び出しにワクワクしているとは思わないけれど、やはりイヤホンをして遠くの雑踏を見流している。
こちらに気づいた彼はイヤホンを外し会釈してくれた。
「お久しぶりです」
抑揚が控えめな話し方と、クールな表情で安定している彼。婚約のお祝いをしてくれた時から、全然変わっていない。
「月蜜君、お久しぶり。忙しいでしょうに、急に呼び出してごめんなさい」
「いえ。多忙ではないですし、移動距離もさほど遠くないのでお気になさらず。お店はあっちですよね?」
「ええ。行きましょうか」
彼はその場しのぎの世間話を必要とせず、かつ、会話がなくとも気まずくならない雰囲気を出せる独特な空気感のある人。お店に到着してからも口数は少なめで、こちらの好みを伺いつつスマートにオーダーを済ませ、早速本題に入ってくれた。
「それで、どうされました?俺に相談するってことは、アキのことかと思いますけど」
「お察しの通り。実は・・・」
メールレターの詳細を説明しても戸惑いや驚きは表面化せず、彼は冷静な面持ちのまま淡々と意見を述べる。
「迷惑メールの可能性はありませんか」
「私も最初はそう思ったんだけど、なんだか違う気がして。特に二通目は二人しか知らないはずのことが書かれているし、それも怖いくらい具体的に……」
「その『二人しか知らないはずのこと』を誰かに話したりしてないですか。対面だけじゃなく、SNSも含めて一度も口外していないと断言できますか」
「してないと思う」
「思う?」
「ええ。友達にもSNS上でも惚気話は一切してないはずなの。けど、誰かと共有したことを覚えてないだけかもしれない」
「自分の記憶を信じないんですか?」
「もう若くはないから」
記憶力は良いほうだけど、暎斗が関わった途端に話が変わってくる。彼との思い出は、霞がかっている程度で丁度良い。現に今も、思い浮かぶのは淡くぼやけた彼の背中。
「そうですか。であれば、お二人のことを知る誰かによる悪戯の可能性は否定できませんね」
「親しい人にそんなことする人いないと思うけど」
「いえ、親しい者の仕業に限定していません。一つの可能性の話です。先ほど、過去に同様のメールをもらっていたとおっしゃいましたね。もしメールアカウントがハッキングされていたとしたら、過去の送受信履歴を参考にこの程度の文章を書き上げることは容易いと思います」
「そうかな。かなり独特な言い回しだと思うけど」
「ハッキングを前提とするなら、過去メールを分析の上、口ぶりのパターンを模倣するのは難しくないのでは。まあ、メールの総数が一桁の場合は別ですが」
「ううん。約五年間毎月だから、えっと・・・」
「十分に参考文があるんですね」
「そうだけど……でも何のためにこんなことを」
「あなたを困らせたいからじゃないですか?」
「え……」
「迷惑メールは読んで字のごとくな存在。違いますか」
そう、これは迷惑メール。偶然、暎斗のレターに似ているだけ。客観的に考えれば迷わずそうと判断できるのに。
「それとも、本当にアキが送っていると信じたいのですか」
その言葉は、私の淡い期待を射抜いて堕とした。きっと月蜜君なりの、幻想から目覚めさせるための優しさでしょう。素直に受け止めるべきなのに、耳が痛い。いえ、心が痛い。
暎斗はもういない。いないの。だから彼を忘れて、進むべきなの。
だけどそれが、できないの。なんて弱いのかしら。
真那のように颯爽と思考を切り替えたい。過去は全て経験値だと受け止めて、時間が涙を忘れさせてくれると楽観視して、上手に生きたい。
だけどそれが、できないの。なんて弱いのかしら。
「あの、配慮に欠ける発言でしたよね。申し訳ないです」
「ううん、いいの。謝らないで。本当にその通りよね。彼がメールくれるはず、ないもの」
そして運ばれてきたパスタの味は、あまり覚えていない。
お店を出て最寄り駅へと月蜜君を送る途中、彼から提案を受けた。
「もし可能であれば、今後送られてくるメールを転送で共有してもらってもいいですか。何か気づくことがあるかもしれないので」
「うん、そうする。ありがとう月蜜君」
「いえ」
そして目的地へ到着し、彼はお馴染みの言葉を残して去っていった。
「帰りもお気をつけて。ではまた」
「結、ごめん。やっぱり今日は一人でゆっくりしたかったよね」
「ううん、いいの。好き好んで感傷に浸りに行くタイプじゃないし、むしろ親友と一緒に普通の週末として迎えられたことが嬉しいかな。だから私の方こそごめんね。変な心配させたよね」
「ねえ、結。私といるときは無理して欲しくない。どんな感情もどんな言葉も、遠慮なくぶつけてもらっていいから」
「ありがとう」
彼女の優しさに背中を押され、昨夜の出来事を打ち明けることにした。予想通りに驚いていたけれど、実際にレターを読み終えた彼女の表情には明確な意見が浮かんでいる。言葉を選びながらゆっくりと口を開く真那。
「うーん。そうね、何て言ったらいいかな。迷惑メールやなりすましメールだと判断するには、この言葉選びは、あまりに……」
そこで彼女は口籠る。けれど私と同じ意見であることが十分理解でき、私が続きを引き取った。
「あまりに、彼らしい」
「うん、同じこと思った。特にP.S.メッセージがいい感じに抜けてて……ご、ごめん!けなしてる訳じゃなくて、良い意味で!」
「ふふっ、わかってる。それに同じこと思ってた」
「そっか。でも冷静に考えたら彼からメール来るのは不思議だよね。目的も不明で、なぜこのタイミングなのかもわからないし……」
真那はヒートアップした頭をアイスカプチーノを飲んで冷却したのち、懐かしい名前を口にした。
「ここはハニー君にあたるのが適切とみた」
「ああ、
「そうそう。たまに連絡取り合ってるって言ってなかった?」
「まあね。連絡と言っても、年に数回ご機嫌伺いの短いやり取りをしてる程度だけど」
ただ、面識があるとはいえ共通項の暎斗がいない今、いくら甘く見積もっても親しい間柄と称するにはおこがましい関係。いつも向こうからスタートする連絡も、単純に私が悲嘆に暮れた末に自害していないかチェックするためだと思っている。私はそんなに弱くないけれど、気遣いに感謝しつつ当たり障りのない言葉を交換して彼の「ではまた」で終えるのがお決まりになっていた。
真那と別れ帰宅途中の電車の中、やや緊張しながらスマホを手に取る。ライトの連絡先一覧から月蜜君を探し、会って相談したいことがある旨を手短かに綴り思い切って送信ボタンを押した。間もなくして戻ってきた返信はいつものように簡潔で、暎斗の文章とは異なる雰囲気を纏っていた。
『了解しました。
来週水曜、仕事で都内に出るので
その日の夜はどうですか。
希望の時間、場所を
教えてください。』
こちらの都合に合わせてもらってばかりでは申し訳ないので、月蜜君の訪問先に近い場所で落ち合うことに。そして彼の『ではまた』で連絡が終息した。
***
一通目のレターを受け取ってから三日後の月曜午前零時。届いた二通目を開封し、鳥肌が立つ。
『From:letter_for_yui@email.jp
件名:ラブレター
本文:
大好きな結へ
スクランブルエッグはまだ好きですか?
美味しいものを食べている時の
結の喜びの表情を見るのが好きです。
結が大好きだと言えることを
たくさんしてください。
(太るとか気にせずにね。
あ、もちろんスクランブルエッグに
限定せずだよ。)
P.S.疲れて帰ってきて、
手作りおにぎりを頬張る横顔も好きです。
残業、少なくなってるといいな。』
彼はもう、いない。けれど同棲を始めてからスクランブルエッグが好きになったことも、帰宅が遅くなった平日夜のお夕飯に彼のお手製おにぎりを好んで食べていたことも、知っているのは暎斗だけ。
彼の存在を色濃く感じさせる文面に戸惑うばかり。単なる悪戯だと跳ね除けられない脆弱な意志に溜息が止まらない。彼とは関係ないと割り切れたらいいのに。決して実らない期待なんか持ちたくないのに。
誰が書いているの。なぜ私たちのことを知っているの。私にどうしろと言うの。
あなたは、誰なの。
***
約束の水曜日。人通りの多い駅前にも関わらず、すんなり月蜜君を見つけることができた。すらっと背の高い彼はそれだけで目立つけど、暎斗曰く「誰かを待つ時は必ずイヤホン着けて遠くを見つめてるんだ。特に意味は無いって言ってたけど、多分、逢えるワクワクを隠したいんじゃないかな」が当てはまっていた。今日の呼び出しにワクワクしているとは思わないけれど、やはりイヤホンをして遠くの雑踏を見流している。
こちらに気づいた彼はイヤホンを外し会釈してくれた。
「お久しぶりです」
抑揚が控えめな話し方と、クールな表情で安定している彼。婚約のお祝いをしてくれた時から、全然変わっていない。
「月蜜君、お久しぶり。忙しいでしょうに、急に呼び出してごめんなさい」
「いえ。多忙ではないですし、移動距離もさほど遠くないのでお気になさらず。お店はあっちですよね?」
「ええ。行きましょうか」
彼はその場しのぎの世間話を必要とせず、かつ、会話がなくとも気まずくならない雰囲気を出せる独特な空気感のある人。お店に到着してからも口数は少なめで、こちらの好みを伺いつつスマートにオーダーを済ませ、早速本題に入ってくれた。
「それで、どうされました?俺に相談するってことは、アキのことかと思いますけど」
「お察しの通り。実は・・・」
メールレターの詳細を説明しても戸惑いや驚きは表面化せず、彼は冷静な面持ちのまま淡々と意見を述べる。
「迷惑メールの可能性はありませんか」
「私も最初はそう思ったんだけど、なんだか違う気がして。特に二通目は二人しか知らないはずのことが書かれているし、それも怖いくらい具体的に……」
「その『二人しか知らないはずのこと』を誰かに話したりしてないですか。対面だけじゃなく、SNSも含めて一度も口外していないと断言できますか」
「してないと思う」
「思う?」
「ええ。友達にもSNS上でも惚気話は一切してないはずなの。けど、誰かと共有したことを覚えてないだけかもしれない」
「自分の記憶を信じないんですか?」
「もう若くはないから」
記憶力は良いほうだけど、暎斗が関わった途端に話が変わってくる。彼との思い出は、霞がかっている程度で丁度良い。現に今も、思い浮かぶのは淡くぼやけた彼の背中。
「そうですか。であれば、お二人のことを知る誰かによる悪戯の可能性は否定できませんね」
「親しい人にそんなことする人いないと思うけど」
「いえ、親しい者の仕業に限定していません。一つの可能性の話です。先ほど、過去に同様のメールをもらっていたとおっしゃいましたね。もしメールアカウントがハッキングされていたとしたら、過去の送受信履歴を参考にこの程度の文章を書き上げることは容易いと思います」
「そうかな。かなり独特な言い回しだと思うけど」
「ハッキングを前提とするなら、過去メールを分析の上、口ぶりのパターンを模倣するのは難しくないのでは。まあ、メールの総数が一桁の場合は別ですが」
「ううん。約五年間毎月だから、えっと・・・」
「十分に参考文があるんですね」
「そうだけど……でも何のためにこんなことを」
「あなたを困らせたいからじゃないですか?」
「え……」
「迷惑メールは読んで字のごとくな存在。違いますか」
そう、これは迷惑メール。偶然、暎斗のレターに似ているだけ。客観的に考えれば迷わずそうと判断できるのに。
「それとも、本当にアキが送っていると信じたいのですか」
その言葉は、私の淡い期待を射抜いて堕とした。きっと月蜜君なりの、幻想から目覚めさせるための優しさでしょう。素直に受け止めるべきなのに、耳が痛い。いえ、心が痛い。
暎斗はもういない。いないの。だから彼を忘れて、進むべきなの。
だけどそれが、できないの。なんて弱いのかしら。
真那のように颯爽と思考を切り替えたい。過去は全て経験値だと受け止めて、時間が涙を忘れさせてくれると楽観視して、上手に生きたい。
だけどそれが、できないの。なんて弱いのかしら。
「あの、配慮に欠ける発言でしたよね。申し訳ないです」
「ううん、いいの。謝らないで。本当にその通りよね。彼がメールくれるはず、ないもの」
そして運ばれてきたパスタの味は、あまり覚えていない。
お店を出て最寄り駅へと月蜜君を送る途中、彼から提案を受けた。
「もし可能であれば、今後送られてくるメールを転送で共有してもらってもいいですか。何か気づくことがあるかもしれないので」
「うん、そうする。ありがとう月蜜君」
「いえ」
そして目的地へ到着し、彼はお馴染みの言葉を残して去っていった。
「帰りもお気をつけて。ではまた」