入学式編 5. 7層目
文字数 1,969文字
「にょろ?」
扉を開け放つと、そこにはでっぷりと横に太ったメンダコがいた。
くりりとした眼で、わたしを見つめる。
「え、えっと、新入生の方ですか? わたしも同じクラスで……えっと、東雲こころって言います。同い年なのに敬語は変ですよね、なんか緊張しちゃって……」
気は失わなかったけど、冷静さはきっぱり吹き飛んでいた。なんでまた? 逃げなくちゃ、捕まる前に! 想定外連発だよ、わたしの頭の馬鹿!
思考はぐちゃぐちゃで、優先度を判別して即断即決なんてできなかった。
「にょろにゅろにょろにゅろ~」
本来、メンダコの口は、二つの目の下にはない。このメンダコは例外のようだ。同箇所が横一列、ギザギザと割れていき、数百年閉ざされていた扉の如く、ガガガガと音を立てて縦に開いていく。
まるで口。
何かを食べる為の出入口。
わたしは凄まじい吸引力を味わい、抗う術もなくその口に呑み込まれていく。
み、みんなと、仲良く……。
これから代表挨拶だってあるのに……。
そんな恨み節は、メンダコの耳には届かなかった。
耳、あるのかな?
〇〇〇〇〇〇〇〇
起き上がる。慌てる体力はない。
状況確認だ。
立方体のちいさな空間。赤黒い壁面は生温かく、生き物みたいに脈動していた。側面四つのうち、三つは別の通路らしき暗闇が続いている。
「ひ、ひよりちゃんは……」
きょろきょろと見渡す必要はなかった。広くないんだ。ひよりはいない。
わたしが頑張るしかない。
ぶんぶんと顔を振り、弱気な心を締め出す。
もし、ううん、絶対、メンダコの遊び場。脱出手段は存在する。
式に間に合わせるんだ。
人差し指を立てれば、巻物が出現した。
『メンダコの遊び場7層目「一筆書き」
目的地まで辿り着け。
同じルートは通れない』
巻物には地図が付属されていた。
部屋は九つ。3×3の正方形を描くように並んでいる。部屋と部屋は一部が通路で繋がり、一部が断絶している。
スタートにはS、ゴールにはGと記載があり、Sの通路の配置から天地が判読できた。
ちょっと腰を据えて考えてみれば、わけない。一筆書きルートは一択、何度確認しても、同じ結論に至る。
「これなら……!」
わたしは一歩目を踏み出す。ぶよぶよする足元に気をつけながら、暗闇に向かって、勇気を振り絞って歩いていく。
部屋を出れば、出口が肉壁で埋まった。歩くほど、来た道が閉ざされていく。
後戻りはできない。
わたしはゴクリ、生唾を呑んだ。
二つ目の部屋に入る。通路は左と右の二か所、地図通りだ。兜を被り、三又槍を携えたメンダコが中央で警戒していた。
背後には、宝石や金箔で装飾された、いかにも宝箱らしい箱が置かれている。
「にょろぉおお」
武装メンダコが、闖入者に槍を向ける。人でいう口の付近から、気合の吐息が白く零れていた。狭い空間に敵意が充満していく。
わたしは壁に背中を貼り付けて、強盗じゃないです、お宝には興味ないです、通るだけだから赦してお願い赦してと、脳内で繰り返し喋った。
背で壁を這うように、右の通路に向かう。メンダコは動かない。ありがとう。わたしは通路に駆け込んだ。
出口が塞がり、メンダコが視界から消える。
ほっとする。再び気を引き締めて、先に進んでいく。
三つ目の部屋に入ると、ちょうど別の通路からやって来たらしいひよりと再会した。
「ひよりちゃん!」
忠犬みたいに近寄る。両手をぎゅっと掴む。
「こ、こころ? あなたも来ていたの?」
ひよりは目をぱちくりとさせた。工事現場のダンディなおじさまよろしく、つるはしの柄を肩に預けている。恰好はぺったんこペッタンの時と同じだけど、シャツがところどころ破けて、肌に血が固まっていた。
ツインテールの片方が切れて、左右非対称になっている。
顔色も悪い。疲れている。わたしは心配で捲し立てた。
「す、す、すごい怪我してる! て、手当、えっと、わたし、包帯が、ううん、携帯用救急セットが鞄に――つ、つつ、使ったことないけど、だ、大丈夫、できる!」
「気にしないで。痛くないし」
「で、でも、」
「それより厄介なことになったね」
「え?」
ひよりは顎で後ろを差した。
そこには、埋まった通路の名残があるだけだ。おかしいことは何もない。わたしはこれからその通路を通ってゴールへ……。
息が止まる。
もともと、この部屋には通路が二つしかない。
わたしもひよりも、一つずつ消費して、この部屋までやってきた。
「簡単すぎるとは思っていたけど、プレイヤー二人の一筆書きなんて、なかなかどうして、粋じゃない」
ひよりは難問を前にした科学者さながら、生き生きと呟く。
「と、閉じ込められた!」
わたしはひよりのようにはいかなくて、声高く叫んでしまう。その悲鳴は部屋に反響し、逃げ場がないから、いつまでもわたし達の耳に届いた。