入学式編 2. 意外と快適な不思議のダンジョン
文字数 1,904文字
「桜餅、食べたいな。あんこがうんと詰まったやつ。熱いお茶も一緒だと最高……青空と満開の桜がセットなら、いうことなしね」
「あ……」
「紅白饅頭のほうが適切かな?」
「う、うぅぅう」
わたしはショックで涙が出てくる。桜餅も紅白饅頭も持っていない。命の恩人が和菓子好きだと、どうして想定できなかったのだろうか。自分の想像力の貧困さに、呆れてものも言えない。
「お、おむすびで、よければ……」
屈辱に唇を噛みながら、女の子が塩むすび(具は焼きたらこ)好きだと期待して、おずおずとおむすびを差し出した。
「あれ?」
女の子がバネみたいに立ち上がる。体幹が強いのか、着地が全然ぶれない。長いまつげをぱちぱちと動かし、物珍しげにわたしの顔を見る。
おむすびに視線を遣る。
「くれるの?」
「う、うん。わたしが握ったものでよければ……」
「ありがと」
女の子はざっとおむすびを手に取り、ラップを剥いて噛みついた。米粒の塊は二口で胃に収まり、指先に残った塩気を、女の子は行儀悪く舐めとる。
そんな様さえ、英雄然として、かっこいい。
「私は日暮ひより。あなたは?」
「わ、わたしは、東雲こころ……」
「そ。よろしく」
ひよりがそっけなく言う。何か怒らせたかな? わたしは不安でいっぱいだった。
「こころは遊び場、はじめて?」
「あ、遊び場?」
「そこからか。なら、右も左もわからなくて、大変だったでしょ」
「いきなりメンダコに襲われて……」
「ほんと、あれ、止めてほしいよね」
ひよりが嘆息する。わたしはびくりと肩が震える。わたしに、じゃないよね?
「私もここがどこで、メンダコの目的が何か、なんて知らないけどさ。中学の頃から巻き込まれているから、他のことは多少は知っているよ。たとえば、脱出方法とか」
「脱出方法! そ、それは、大事だね」
「ね、大事。こころ、人差し指、上に向けてみて」
ひよりの声に従うと、ぽんと小さな破裂音と煙が出て、指先に巻物が立った。
「わわっ!」
驚いて身を引く。巻物は床に落ち、封が切れて広がっていく。
『メンダコの遊び場3層目「ぺったんこペッタン」
10体の拳闘メンダコを倒せ。
武器支給済み』
巻物に書かれた課題らしき指示に、わたしは目を丸くした。
ひよりがあっけらかんと言う。
「10体なんて、ラクショーだよね。すでに私が4体仕留めたから……残り6体か。うん、ま、頑張って」
「……」
「指示をこなせば、もとの場所に帰れるよ」
まだ言葉が出ない。ひよりは訝しげな視線をわたしに送る。
「あんなにいっぱいいたのに、10体だけなんて、変だけどね。気遣ってんのってカンジ」
「……」
「こころ?」
わたしは膝が折れて、ふにゃふにゃとその場に座り込んだ。
メンダコを、倒す? 六体も? 不可解に追いかけられた恐怖が呼び起こされる。あの猛攻をかわして、鰹節で叩き潰すなんて……虫も殺せないのに?
そんなの、絶対、無理だよ。結局、わたしは入学式に遅刻して……反社会的勢力と疑われて……昏い学生生活を……。
「ひ、ひよりちゃんは?」
情けなくも、わたしはひよりに頼ろうとしていた。うるうると瞳が揺れる。
「私? 私は、そうね、入学式、ちょっとだるそうだし、まあ二、三日ぐだぐだするのもいいかなって」
「そ、そんなに? いいの? 食事とか……」
「三食きっちり出るから。お風呂も入り放題。死んでも不思議なパワーですぐ復活するし、最悪課題がクリアできなくても、一週間立てば強制送還。万事解決ってね」
「……」
「だから、そんな深刻に考えなくても」
いいわけない。高校入学直後の一週間は、お小遣い一年分にも匹敵するって、わたしは知っている。
「そ、そっか。そしたら、わ、わたしが――や、やや、やるしかないってこと?」
言葉にすると、実感が湧いて、身震いした。想像する。
わたしは蹲り、メンダコのタコ殴りに遭い、アッパーカットで空中に投げ出されて、ジェット推進からの突撃を何発も受けて、気を失ったまま頭から大理石の床に……。
終わりだ。終わった。どう転んでも勝負にならない。
「手伝うよ?」
神がかった提案に、わたしは両手を組んで神を仰いだ。
「こころが、頑張るならね」
ひよりはやんわりと付け足す。
固く組んだ両手が緩くなる。表情が落胆に沈む。
そうじゃないよ。
ぶんぶんと首を振り、わたしは愚かな考えを振り払おうとした。
強いのだから、経験者だから、弱いわたしを護るのは当然でしょ? そんな思考に陥っていた自分に、身勝手極まりないと、嫌悪感が膨れる。ひよりがわたしに協力する理由はどこにもないのに。
これじゃ、今までと同じじゃない。
進学を機に、変わるんだって、決めたはずでしょ?
「あ……」
「紅白饅頭のほうが適切かな?」
「う、うぅぅう」
わたしはショックで涙が出てくる。桜餅も紅白饅頭も持っていない。命の恩人が和菓子好きだと、どうして想定できなかったのだろうか。自分の想像力の貧困さに、呆れてものも言えない。
「お、おむすびで、よければ……」
屈辱に唇を噛みながら、女の子が塩むすび(具は焼きたらこ)好きだと期待して、おずおずとおむすびを差し出した。
「あれ?」
女の子がバネみたいに立ち上がる。体幹が強いのか、着地が全然ぶれない。長いまつげをぱちぱちと動かし、物珍しげにわたしの顔を見る。
おむすびに視線を遣る。
「くれるの?」
「う、うん。わたしが握ったものでよければ……」
「ありがと」
女の子はざっとおむすびを手に取り、ラップを剥いて噛みついた。米粒の塊は二口で胃に収まり、指先に残った塩気を、女の子は行儀悪く舐めとる。
そんな様さえ、英雄然として、かっこいい。
「私は日暮ひより。あなたは?」
「わ、わたしは、東雲こころ……」
「そ。よろしく」
ひよりがそっけなく言う。何か怒らせたかな? わたしは不安でいっぱいだった。
「こころは遊び場、はじめて?」
「あ、遊び場?」
「そこからか。なら、右も左もわからなくて、大変だったでしょ」
「いきなりメンダコに襲われて……」
「ほんと、あれ、止めてほしいよね」
ひよりが嘆息する。わたしはびくりと肩が震える。わたしに、じゃないよね?
「私もここがどこで、メンダコの目的が何か、なんて知らないけどさ。中学の頃から巻き込まれているから、他のことは多少は知っているよ。たとえば、脱出方法とか」
「脱出方法! そ、それは、大事だね」
「ね、大事。こころ、人差し指、上に向けてみて」
ひよりの声に従うと、ぽんと小さな破裂音と煙が出て、指先に巻物が立った。
「わわっ!」
驚いて身を引く。巻物は床に落ち、封が切れて広がっていく。
『メンダコの遊び場3層目「ぺったんこペッタン」
10体の拳闘メンダコを倒せ。
武器支給済み』
巻物に書かれた課題らしき指示に、わたしは目を丸くした。
ひよりがあっけらかんと言う。
「10体なんて、ラクショーだよね。すでに私が4体仕留めたから……残り6体か。うん、ま、頑張って」
「……」
「指示をこなせば、もとの場所に帰れるよ」
まだ言葉が出ない。ひよりは訝しげな視線をわたしに送る。
「あんなにいっぱいいたのに、10体だけなんて、変だけどね。気遣ってんのってカンジ」
「……」
「こころ?」
わたしは膝が折れて、ふにゃふにゃとその場に座り込んだ。
メンダコを、倒す? 六体も? 不可解に追いかけられた恐怖が呼び起こされる。あの猛攻をかわして、鰹節で叩き潰すなんて……虫も殺せないのに?
そんなの、絶対、無理だよ。結局、わたしは入学式に遅刻して……反社会的勢力と疑われて……昏い学生生活を……。
「ひ、ひよりちゃんは?」
情けなくも、わたしはひよりに頼ろうとしていた。うるうると瞳が揺れる。
「私? 私は、そうね、入学式、ちょっとだるそうだし、まあ二、三日ぐだぐだするのもいいかなって」
「そ、そんなに? いいの? 食事とか……」
「三食きっちり出るから。お風呂も入り放題。死んでも不思議なパワーですぐ復活するし、最悪課題がクリアできなくても、一週間立てば強制送還。万事解決ってね」
「……」
「だから、そんな深刻に考えなくても」
いいわけない。高校入学直後の一週間は、お小遣い一年分にも匹敵するって、わたしは知っている。
「そ、そっか。そしたら、わ、わたしが――や、やや、やるしかないってこと?」
言葉にすると、実感が湧いて、身震いした。想像する。
わたしは蹲り、メンダコのタコ殴りに遭い、アッパーカットで空中に投げ出されて、ジェット推進からの突撃を何発も受けて、気を失ったまま頭から大理石の床に……。
終わりだ。終わった。どう転んでも勝負にならない。
「手伝うよ?」
神がかった提案に、わたしは両手を組んで神を仰いだ。
「こころが、頑張るならね」
ひよりはやんわりと付け足す。
固く組んだ両手が緩くなる。表情が落胆に沈む。
そうじゃないよ。
ぶんぶんと首を振り、わたしは愚かな考えを振り払おうとした。
強いのだから、経験者だから、弱いわたしを護るのは当然でしょ? そんな思考に陥っていた自分に、身勝手極まりないと、嫌悪感が膨れる。ひよりがわたしに協力する理由はどこにもないのに。
これじゃ、今までと同じじゃない。
進学を機に、変わるんだって、決めたはずでしょ?