入学式編 1. 鰹節の戦乙女
文字数 1,824文字
「にょろにゅろにょろにゅろ~」
フリスビーと合体した巨大メンダコがUFOみたいに空から現れて、半開きの目からレーザービームを照射した。
直撃だった。
頭がふらふらして、わたしは気絶した。
「つ、次からは、武装メンタコに襲われる予習もしとこう……」
覚醒前におさらい。
メンダコは潰れたような深海のタコだ。見た目は膨れたスカートにそっくり。八本の足がミルク・クラウンのギザギザみたいに生えている。突き出た二つの耳はネズミのそれのよう(耳ではなく、実はヒレらしい)。
目が覚めたら、無数のメンダコに囲まれていた。
大きさはバスケットボールと同じくらい。両端の二本の足にボクシンググローブを装着している。好戦的な目の下には、歴戦の戦士みたいな切り傷があった。
「にょろろ~!」
足が輪ゴムみたいに伸び、いくつものグローブがわたしを殴る。痛い! 痛いよ! 痛いって――わたしは起き上がって走り出した。
大理石の床を駆ける。朝なのに空は真っ暗で、見たことない星座がぴかぴかしていた。木星が目前に迫り、縞模様が緩やかに回転している。
ここは宇宙空間? キャトルミューティレーションなの? だけど呼吸は問題ないし、重力も変わらない。
あるメンダコが六本足でぱたぱたと地上を進む。あるメンダコがぷよぷよと浮かび、水中を泳ぐように空中を飛ぶ。必死にひれを動かす姿がお茶目だ。
グローブが届く範囲まで近づくと、容赦なくわたしを殴る。
ロケットみたいに吹き飛び、全身でわたしにぶつかる。
わたしは背中を撃たれ、仰け反ったまま進行方向に倒れた。受け身もとれず、鼻頭を思いっきり擦りむいてしまう。
鼻が赤くなっていないか、わたしは大急ぎで鏡を取り出した。
傷になってる!
セットした前髪がなんか変!
髪飾りが歪んでる!
呆然。
これじゃ、みんなに変な子って思われちゃうよ!
わたしは振り返って抗議した。
「なんなのよ! わたしが何したの!」
「にゅにょにょ~!」
意思の疎通がとれない。地上は兎の群れみたいにメンダコが囲い、空は積雲の群れみたいにメンダコで埋まる。しゅっしゅと突き出す拳の風切り音が涼しい。
このままメンダコにタコ殴りにされて、人目につけない容姿にされるんだ。腫れた顔で入学式に参加するんだ。しかも遅刻。
裏で悪いことしているとか、家で虐待されているとか、変な噂が立って、高校生活が崩壊するんだ。
友達もできない。内申に響いて、勉強にも集中できず、受験に落ちて何年も浪人して、社会を生き抜く自信を失うんだ。
そうやって、わたしの人生、終わっていくんだ。
高校こそは、中学の二の舞を避けて、誇らしく過ごすんだって……。
そう思っていたのに。
入学式、ちゃんとしたかったな。
すごい勢いで飛んできたメンダコの打撃を避ける気力は、わたしにはなかった。
ばいばい。
「――うるさい」
何が起きたか、目を閉じていたから、わからなかった。
顔にジャブの衝撃はなかった。何かがぐしゃりと潰れ、大理石が硬い物質で打ち鳴らされる。
「にょにょ~!」といった悲鳴がひっきりなしに聞こえ、バタバタと地上を、しゅしゅーと空を逃げ惑うメンダコの足掻きが響く。
メンダコより大きな塊が動く。人の息遣いがする。またぐしゃりと潰れて、わたしの頬に液体が付着した。瞬く間に液体は蒸発する。
少しして、静寂。無音は心地よく、メンダコの気配も既にない。
こわごわと目を開ける。
ぺったんこになったメンダコの中央で、同年代の女の子が鰹節を掲げていた。
半袖のワイシャツに、紺のネクタイを締めている。腰にセーターを巻き、短いスカートから伸びる足はすらりと長かった。
ツインテールの髪が重力に反して漂い、美しく円を描く。削られていない鰹節は、舟形のまま、鋼鉄の硬さを保っていた。
横顔は凛々しく、立ち姿は軍旗を立てる英雄そのもので、見惚れてしまう。
助けてくれたの?
でも、なんで、鰹節?
「やっと静かになった」
女の子は無感動に呟き、寝っ転がった。
ぺったんこのメンダコは気化し、木星まで立ち昇っていく。水痕さえ残らない。
いま、大理石の床に残るは、わたしと女の子と、漁網、鋼鉄の盾、ボウガン、ブルーシート、杖、雑に捨てられたブレザーとリボンだけだった。
同じ制服、同じ色のリボン。
感激のあまり、わたしは泣き出しそうになった。
「お腹空いた」
女の子はやる気なく、ごろごろと床を転がる。
スカートが皺になっちゃう!