入学式編 8. わたしの一番大事なこと

文字数 1,802文字


 つるはしを拾い直す。震える太腿を叩いて、膝を上げる。涙が止まらない。
 いつメンダコが三叉槍で背中を突くか、わからない。確認する余裕はない。えずいて、声が出ない。情けない。怖い。
 なんでこんな目に、華やかな学園生活はどうしたの。

 一番大事なこと。
 いま一番痛いのは、ひよりなんだ。

「馬鹿な子……私を見捨てれば……そんな無理して……」

 ひよりを支える。二人、気力を振り絞り、出口に向かう。メンダコは意気消沈して、潰れた体を深々と潰していた。
 穴があったら入りたいと言わんばかりに、床に貼り付いている。しょげて垂れた耳(ひれ)が子犬みたい。

「だ、だって、」
 勇気を振り絞る。

「ひよりちゃんも、わたしを見捨てなかった」

 わたしたちが通路に入れば、出口が肉壁に閉じていく。

 落ち込んだメンダコの視線が気になったけれど、それよりひよりだった。次の部屋に武装メンダコがいませんように。安全でありますように。

 たとえ危機が迫っても、わたしの勇気が持ちますように。

 わたしは祈りながら、ゆっくりとけれど急いで、次の部屋に向かった。

 〇〇〇〇〇〇〇〇

 ひよりの傷は数分で回復した。わたしが救急セットを前に右往左往しているうちに、すべて塞がっていた。入学式が終わったら、使い方を復習しておこう。

 盛大に破けた制服はもとに戻らない。
 入学式なのに……。

「そろそろ行こうか。こころも急ぐでしょ?」
「う、うん。そうだね」

 わたしは(3,1)に繋がる壁に、つるはしを突き刺した。先と同じように壁がひび割れ、がらがらと通路が開けていく。

「私、こっちだから。助けてくれてありがと」
「うん……」

 見送りに上げたわたしの手は、弱弱しかった。

「ま、待って!」

 通路に踏み出す一歩手前、ひよりが足を止める。

「何?」

 ひよりが無感動に問うから、わたしは大慌てだった。

 ありがとうだけだと物足りない。入学式のことを訊きたいけど、しつこいって思われそう。
 明日からは学校来るのって、ちゃんと確かめたい。伝えないといけない気持ち、たくさんあるのに、考えがまとまらない。

 引き留めるのも悪い。急いでいるみたいだったし……。

 心臓がバクバクと鳴る。本人はデフォルトと主張する、ひよりの無表情に射竦められる。

 行動に勝る経験はない。
 言え。

「ま、またね!」

 たった一言に、万感の思いを込める。

「ええ」

 返事は淡泊だった。

 壁が閉じ、ひよりの背中が見えなくなる。わたしはひと呼吸おいて、背筋を伸ばした。わたしも行こう。現実で再会できる時を願って、いまは進まなくちゃ。

 挨拶をきっちりこなして、自己紹介を終えて。
 それで、それで。
 あれ、なんだっけ?

 わたしは首を傾げた。

 ゴール地点には、まあるい光が灯っていた。触れてみれば、全身が同じように光り出す。お月様みたいで優しい。

 自由落下エンドじゃなくて良かったと、心から思っていた。

 〇〇〇〇〇〇〇〇

 教室には、誰もいなかった。
 体育館に走り出す。

 重い扉を慎重に開ける。校長先生の式辞が長くて助かった。わたしの出番は、まだ先のようだ。クラスの列の最後尾につく。

 新入生代表挨拶と、わたしの名前が呼ばれる。
 元気よく返事する。

 壇上に立つ。昨晩はあんなにあたふたしていたのに、いまは全然だ。メンダコに比べれば、大勢の前で話すだけなんて、なんてイージーな課題だろう。

 胸ポケットのカンペは要らない。

 わたしは朗々と、挨拶を述べ始めた。

 〇〇〇〇〇〇〇〇

 クラスメイトの自己紹介が始まっても、ひよりの姿は確認できなかった。

 一字一句を覚える予定だったのに、どうにも頭に入らない。

 今頃、何しているのかな?
 制服、直せるのかな?
 窓向こうに漂う、雲の塊を見上げる。

「にょろ?」

 ちいさなメンダコが、正確に言えば通常サイズのメンダコが、魔法のステッキを持ってホバリングしていた。

 とんがり帽子が様になっている。

 わたしは顔を引き攣らせた。

「さ、三回目、かな?」
「にょにょにょ~」
「ううぅ」

 遅刻の件でも心象悪いのに、ここで再びの失踪。クラスメイトとは一言も話せていないし、自己紹介は聞き逃すし、前途多難が過ぎるよ。

 メンダコがステッキをひと振りする。

 足元に円形の穴が生じて、わたしと椅子はすとーんと落ちた。

 自由落下はさっぱり馴れなくて、心臓が浮き上がってたまらないけれど、もしかしたらこの先に――そんな予感があった。
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