文字数 2,291文字

ここで二つのことを話さなければならない。
 まず、ボンクラ、若造、アイツ、コイツ、奴、とばかりも言ってられないので、ちゃんと「杉山」と呼ぶことにする。礼儀を重んじなくなったら猫もおしまいだと、僕は考えているのである。
 頭を蹴っ飛ばされ、尻もちをついた屈辱と恨みは、さっぱり水に流すことに決めた。決めた以上は振り返らない。
 彼は今、本田先生のもとで修行をしている。来年の春からは、希望通り神学校に進める運びとなった。そうなると「杉山神学生」になるわけだが、今はまだ「杉山君」としてそこそこみんなに可愛がって貰っている。
 進学に当たり、厳しい条件が課されることになった。
「学費は全て自分で稼ぐこと。アルバイトでもなんでもやること。そしてシオンの丘に尽くすこと」
 課したのは、彼のご両親である。
 あの後すぐ、田舎からやってきた。飛んできた、と言った方が相応しいかもしれないけど。
 息子から電話があって、その内容のあまりのひどさに私は脳卒中を起こすところでした、いや、実際、血圧が上がって大変でした、と彼の父親は「はじめまして」の挨拶もそこそこに言った。がっしりとした体つきで声の大きな人だった。逆にお母さんはほっそりとして静かな人だった。
「顔から火がでる思いでした」
「なんてお詫びしたらいいのか。お恥ずかしい次第です」
「こいつは少し社会で臭い飯を食わせないと、牧師どころか人間としても、鼻もちならないバカ野郎になりますよ」
「この身の程知らず!」
 などなどコテンパンだった。挙句の果てに
「お前、牧師を舐めてんのか」
 とそこに牧師がいることも忘れたかのような興奮ぶりで、息子を怒鳴り飛ばした。とどめは
「傲慢なことを色々申し上げたようで、申し訳ありませんでした」
 というお母さんからのお詫びである。 
 そんな中、本田先生だけは一貫して、杉山に優しいまなざしを送っていた。彼がお詫びの言葉を述べた時も、
「いいんだよ、いいんだよ」
 と頷くばかりだった。
 その後は、彩子先生の紅茶ととっておきのチョコレートで、なんとか和やかになった。
「こちらの教会は霊に満ちていると、うちの母教会の牧師も言ってます」
「実際来てみて、本当にあったかくていい教会だなと思いました」
「一度、うちの教会にもおこしください。特別伝道集会の講師にお招きしたい」
「こんなことでもなければ、お会いできなかったかもしれない」
「神様のお導きですね」
 いくつもつまみ、何杯もおかわりをする。話が弾む。
 当然だけど、状況はいつもの大団円に向かって進み、やがて杉山の神学校行きも了承されたのである。
 帰り際、僕の存在に気づいたお母さんが、頭を撫ぜてくれたことも重要な出来事の一つだ。
 彼女が喜代美さんやよし子さんのように、信徒の為にごはんを作ったり、礼拝堂の掃除をしたりしている姿が思い浮かんだ。
 お父さんにしてもそうだ。高塚長老みたいに、庭の木の枝下ろしをしたり雪かきをしたり、たてつけの悪いドアを直したりするんだろうなあ、と思った。
 初めてなのに、初めてじゃない。なんだか凄く不思議な気分。
 高塚長老が「神様ネット」の事を言ったときに「なるほどねえ」と思えたのは、この感覚があったからだ。
 ま、とにかく、これが一つ目のことである。
 
 二つ目は夕海ちゃんについてだ。
 告別式の後、忍さんの亡骸は斎場という場所に運ばれた。人間の身体には、死んだら燃やさなければならないという不便さがあるらしい。でも夕海ちゃんは、その場所にも行かないと言った。喜代美さん夫妻、高塚長老、本田先生ご夫妻とで、見送ることになった。
 夕方みんなが帰って来てからも、夕海ちゃんはずっと黙っていた。今すぐにここから消えてしまいたい、そんな顔だった。
 彩子先生は讃美歌をくちずさみながらお茶の用意を始め、全員がリビングに集まる。鼻の奥がスンスンしたがもちろん僕も同席だ。
 高塚長老は布にくるまれた箱を差し出すと
「さっきまで、あったかかったんだよ」
 と言った。
「ねえ、ちょっと中、見てみたら? 真っ白で綺麗よ」(彩子先生)
「あのね、忍ちゃん、骨太だったわ。しっかりしてて、珊瑚みたいで」(喜代美さん)
「大切に拾わせて貰ったからね」(欣也さん)
「運ばせてもらえて、光栄だったよ」(高塚長老)
 と、それぞれがそれぞれに好き勝手を言う。夕海ちゃんは深く頭を下げた。喉の動きで、何か言おうとしていることが分かったけれど、結局言葉は出てこなかった。
「こういうのはね、鎖なんだよ」
 高塚長老が言った。
「おじちゃんも、いろんな人にお世話になってる。人間はみんなそうだ。だからその嬉しかったことを、今度誰かにすればいいんだ。そしたら嬉しいことが繋がって鎖になるだろう」
「それにね、人が亡くなったからって、その死にあわせて都合よく悲しんで、都合よく解消するなんて、本当はとっても馬鹿みたいな話なのよ」
 これは喜代美さんだ。
「『まだ死んで貰っちゃ困る』って場合もあるんだから。それをさ、忍ちゃんの都合に合わせて、はいご臨終、はい告別式、はい献花って言われてもね。こっちにだって心の準備ってものがあるんだって言いたいよね。勝手に死なれたら迷惑よね」
 その後、ソファーに六人ぎゅうぎゅう詰めになり、ヒソプのお茶を飲んだ。高塚長老は初体験だったらしいが「なかなかいける」と言っていた。欣也さんのリクエストで、彩子先生は「牧師館焼き」も作った。夕海ちゃんはお茶を飲み、牧師館焼きを一口だけ食べた。
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