第29話:宗像善一の結婚式とリーマンショック

文字数 1,763文字

 春が過ぎて若葉の頃の6月8日、山下公園の前のホテルニューグランドで11時からの長男、夢想善一と恒子さんの結婚式に臨んだ。洋式の結婚式で宣誓と指輪交換をして最後のブーケトスで終了した。その後、海が一望できる披露宴会に場所を移し、挨拶や歌、余興が繰り広げられ両親の挨拶の時に母は昔を思い出して涙声で話を終えた。

 これが感動的にに聞こえたようで、兼松幸子さんが素晴らしいスピーチだったよとほめてくれ、思わず、こっちも涙が出たよと言ってくれた。結婚式が終わった後、家でうまい料理を買って帰り、お酒を飲んで、子供が生まれた頃からの話が延々と語られ、可愛い頃の善一の姿が思い出され、涙をふきながら、0時ころまで、話し続け、床についた。

 その後、大きな金融事件がヨーロッパで起きた。2006年の夏から米国住宅価格は下がり始め、延滞率の上昇など住宅市場の問題はある程度市場では認識されていた。一部に住宅ローン業者の破綻などもあったが、米国の株価は順調に上がり続け市場は安定していた。2007年7月18日に、米ベア・スターンズが「参加の二つのヘッジファンドの資産価値がゼロとなった」と発表した。

 その翌日バーナンキFRB議長が「サブプライム問題による損失は500~1000億ドル」と議会証言して以降、米国株価を中心に軟調な地合いが生じ、為替市場でも若干の円高ユーロ安の動きがあったが、市場のボラティリティーはさほど大きくなかった。円は、対ドル120円前後で推移していた。

 豪ドル円も円安だったので2007年7月19日に106円で177万豪ドルを売ると16922万円で世之介の残金2億円との合計残高が36922万円と言い、池田さんの残高15000万円との合計残高が31922万円と教えられた。2007年8月7日の米国FOMCでは、政策金利を据え置いた。

 その声明では、足元の金融市場の変動に言及しつつも、米国経済は今後数四半期にわたり穏やかに拡大を続ける見通しだとし、成長の下方リスクは幾分高まったが、最も懸念するのは引き続きインフレ・リスクだと表明していた。8月9日、仏金融大手パリバは、「米サブプライム問題により、三つのファンドの価格の算出、募集、償還を一時的に停止する」と発表した。

 ここから急な円高やユーロ安、株安が進んでいく。パリバの発表当時、円は対ドルで119円50銭程度であったが、8月17日には、一時111円台を付ける「2006年6月以来の円高水準」こととなる。8月9日、ECBは、パリバの発表を受けて、短期金融市場の流動性低下に対応するため948億ユーロの緊急資金供給オペを実施した。

 しかし、2001年9月の米国同時多発テロ時の供給額「693億ユーロ」を上回る額であった事から、かえって問題の根深さについて市場の憶測を呼ぶ事となった。翌日、米FRBは、「金融市場の秩序ある機能を支援するため流動性を供給する」との緊急声明を出し、資金供給オペを実施。市場は一旦落ち着いた。これで落ち着いたかに見え、2007年を終え2008年となった。

2008年になるとすぐの1月2日に 原油先物相場が急騰が止まらず、ニューヨークでは一時1バレル、100ドルドルを記録し、初の100ドル台をつけた。この後も7月半ばまで断続的に価格が上昇した。1月21日に東京証券取引所の日経平均株価が535円35銭値下げしたのをはじめ、インド・ムンバイ証券取引所で平均株価が一日当たり過去最大の下げ幅を記録した

その他、アジア各地の証券市場が軒並み暴落。翌1月22日米FRB、前日から続く世界同時株安に対応するため、フェデラルファンド金利の075%緊急利下げを行うが、祝日明けのニューヨーク証券取引所でも暴落。翌1月23日、日本を含むアジア各国市場は回復も、ヨーロッパではヨーロッパ中央銀行が利下げに慎重な姿勢を示したため不安定な状況が続いた。

 2008年2月20日に世之介の所に息子の善一から子供ができたと知らせが入り、出産予定日が8月23日とわかった。2008年3月13日 円高が進み、東京外国為替市場で一時1ドル100円を割りこむ。100円を下回ったのは1995年以来12年ぶりだった。7月に入ると奥さんのお腹も大きく、検診で双子の可能性が高いと言われた。
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