第23話:兼松さんのご主人の死と米国多発テロとイラク攻撃

文字数 1,791文字

 今年も初詣で夢想夫妻と子供2人で出かけ家内安全と各人の思いを願って帰った。そして1月10日、兼松幸子さんから電話が入り旦那さんの兼松豊和さんが心臓病で入院したと知らされた。既に80歳で循環器内科の先生が心臓の機能が落ちているのが心配だと話した。兼松幸子さんは毎日病院に来ては夜家に帰る生活していると聞いた。

 1月20日朝、電話で兼松幸子さんから旦那さんの兼松豊和さんが亡くなったと言われた。息子の太郎さんが以前、交通事故で亡くなり身寄りがないと沈み込んでいた。すると、夢想世之介が優しく、それなら、うちに来て生活しましょうと言った。それじゃ悪いわと言うので、今迄、あなたに、どれほど助かられたか、それを考えると、こんな事、小さな事ですよと笑顔で言った。

 奥さんが、うちは夫婦2人きりだったかと言い泣いた。その話を聞いて人の情けって、本当にありがたいものねと兼松さんが言い涙を浮かべた。すると兼松幸子さん、僕らが困ってるときに助けてくれた恩人だから、これ位の事あたり前ですと言った。その後、葬式の手伝いもしますからというと、お願いしますと言った。後日、葬式の会場と葬儀の案内所を出す宛先を聞いて手配した。

 葬儀は1月25日となり参加者は11人とわかった。葬儀の日、保土ケ谷の家をエスティマで出て、兼松さんの親戚の4人をのせて7人で橫浜市営の葬儀場に向かった。そして、葬儀が終わり墓地へ埋葬へ言って終了した。その後、徐々に暖かくなり4月を迎えて、兼松幸子さんと3人で、熱海温泉に車で出かけた。

 熱海について、ゆっくりと温泉に入り、奥さんと兼松幸子さんが風呂で、兼松豊和さんの話や結婚後のエピソードを聞かされた。夕食後ビールを飲んで兼松幸子さんの話に夢想夫妻が耳を傾けていた。すると、私ほんとは、お酒好きでねと言い、ビールをあけていった。すると、学生時代、会社時代、旦那さんのなれそめの話、きわどい話、だまされた話など、多くの話が出た。

 しかし、夢想夫妻は何も言わず、ただひたすら幸子さんの話を聞いていると、やがて0時になり床についた。そして翌日、帰りに小田原魚センターで魚の干物を買って橫浜に帰った。兼松幸子さんが来てから、彼女が料理上手で旨いものが食べられて助かると、夢想夫妻が喜んでいた。2001年になっても株価の下げが落ち着く気配がなかった。

 そんな時、2001年2月10日、池田君から電話でシティバンク面白いから、一緒に行かないかと言われ、橫浜駅で待ち合わせた。朝10時に待ち合わせ橫浜駅西口のシェラトンホテル近くのシティバンク橫浜支店に入って説明を聞いた。すると投資勉強会と口座開設の粗品の情報が気に入って、1千万円以上のゴールドメンバーに登録した。

 そして担当者から世界株の低調な時は、円高と金、原油が動くと教えられてた。現在の円高で豪ドルの為替取引がお奨めですと説明を受けた。長期間のチャートを見せてくれた。この話に確かに言っている事は間違いないと池田も納得した。為替手数料が片道1円といわれ1豪ドル52円なら、買いで53円、売りで51円と言われた。2%なら悪くないと池田が言った。

 そして池田がシティバンクは米国でもトップクラスの金融機関なのでメインバンクとして使った方が良いかも知れないとと言うことになった。

 2001年の9月11日に、アメリカニューヨークのワールドトレードセンターにハイジャックされた2つの大型ジェット旅客機が衝突しワールドトレードセンター南棟ビルが倒壊するという大惨事が起きた。アメリカに対する、ビンラディン率いるアルカイーダによる、アメリカ同時多発テロ事件が起き、世界中に衝撃を与えた。

 その後アメリカ国防総省本庁舎ペンタゴンにハイジャクされたアメリカン航空77便が総突して爆発炎上した。これを見て、アメリカの威信が完全に揺らいでいるのを感じた。そして、21世紀は台頭してくる 中国、ロシアなどの台頭してきて、アメリカの支配力が完全に落ちてきているのを証明した形となった。

 ワールドトレードセンターへのテロ攻撃による死者は合計で2763人だった。その内訳は事件当時ワールドトレードセンターに居た民間人が2192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み