第4話:夢想の新婚生活と出産

文字数 1,583文字

費用は全部、黒木さんが出してくれたが、奥さんも久しぶりに良い行いができて私達にも幸せが来るはずよと大喜びしてくれた。やがて1975年があけた。初詣で今年の目標として自分達の資産合計が100万円を越えたら子供を作ろうと世之介が勝子に言うと目に涙を一杯ため、うれしい、世之介さんが大好きと抱き付いた。よせよ、みんなが見てるじゃないかと、てれた。

 100万円が貯まったら、そうしましょう、お天道様も、きっと私達の味方をしてくれるはずだと勝子が言った。その後も、せっせと奥さんは、炊事、洗濯、世之介は買い物、掃除をして、契約している学生への家庭教師に自転車で出かけていった。やがて春になり、今年は、橫浜の桜の名所へ、2人で弁当持参で自転車で出かけた。

 その後も桜木町の海側の桜並木や野毛山動物園、掃部山公園、上大岡の大岡川の桜を眺めて来た。橫浜にも数多くお桜の名所があると驚いたくらいだった。5月、6月と暑くなり、お盆を過ぎて涼しくなった。その後も2人は暇ができると横浜の海や野毛山動物園を楽しそうに散歩して、秋、冬が過ぎ、やがて1976年を迎えた。新年のおせち料理も今迄よりも品数が増えて豪華にした。

 そして1976年2月に岩瀬勝子の妊娠がわかり赤飯を炊いて祝った。その後、1976年4月17日に資生堂株が上昇してるとN証券の池田から電話が入り指示通り770円で全株売りを指示した。昼に売れたと電話が入り純利益1400万で投資残金1600万円になり絶句した。そして奥さんの出産予定日が1976年8月10日とわかった。

 その後、岩瀬勝子の出産のため安全のため、彼女は、家庭教師は7月中に辞めた。その代わり夢想が、家庭教師を増やす事にした。春になり、夢想が、心配する程、勝子のお腹が大きくなった。検診の結果、双子の可能性があると医師から告げられた。夢想が岩瀬の実家にも、知らせた方が良いと言ったが勝手に家を飛び出したので、できないと拒否した。

しかし、夢想は、自分たちの面子よりも生まれてくる子供の事を最優先に考えるべきだと諭した。するとわかったと、言い。勝子が、実家に電話を入れた。まず電話をかけて、久しぶり元気だったと聞くと、実家の両親は元気であり安心した。今、結婚して今年の8月、橫浜で赤ちゃんを産むと伝えると、母が泣き崩れ、父が代わり良かったと語った。

 それで、いつ頃から、そっちに手伝いに行ったら良いかと、父が聞くので7月になったら、来て欲しいと言うと、わかったと言い、父は大喜びしてくれた。もう実家には、両親だけで、兄弟達は家にいないと話していた。岩瀬の実家は、東京から近い、埼玉の昔からの大農家で、比較的裕福な家に育ったようだ。

 世之介が、岩瀬のお父さんに、電話で挨拶し、東大を卒業した、人付き合いが苦手で家庭教師の仕事をしながら岩瀬勝子さんと2人で、質素に暮らし、昨年秋に結婚しましたと丁寧に説明した。それを聞き、そーか、とだけ言った。後日、2人でご挨拶に伺いますというと、わかったと言って電話を切った。5月の連休に2人で川越の実家へ向かった。

 橫浜から東横線で渋谷へ山手線に乗換え池袋へ、そこから東武東上線急行で30分で川越へ1時間20分ほどで到着した。世之介が両親に挨拶して手土産の崎陽軒のシュウマイを手渡した。すると義理の母がサツマイモと、お茶を出してくれた。世之介がサツマイモを食べると、旨い、甘いと驚くと、そうだろう。

 ここ川越は、旨い、さつまいもの産地なんだと、誇らしげに語った。漬物もあうよと出してもらい、食べてみると確かに絶品。そして勝子を見て、おまえ、ひょっとしたら、双子かいと驚いた様に言うと、そうらしいと答えた。そりゃ大変だ、難産にならなきゃ良いがねと母が心配した。1976年7月1日に、そっちへ行き家事や、お前の面倒を見てやるよと話した。
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