第1話  ルリジガバチ

文字数 1,510文字

ルリジガバチ

小学生の男の子が谷戸でハチの観察をしている。その男の子はファーブルは嫌いだった。ファーブルの虫はフランスの虫で、探してもいないからだ。彼のお気に入りは山本大二郎のルリジガバチの実験観察記録だ 。彼は谷戸に持って来た「全集日本動物誌」の第25巻を開いた。その巻のうちの短編「日本昆虫記Ⅰ「青色のハチ ルリジガバチの生活」が山本大二郎のものだ。彼は「青色のハチ ルリジガバチの生活」を読みながら、ルリジガバチを探していた。そうやって、もう3日間も探しているのだ。ここにいるのはわかっている。去年もこの時期にここで見かけたのだ。すぐ見失ってしまったのだが。

ふと、偶然、何かの気配に気づいた。男の子の右横をルリ色をした昆虫が低速で飛んでいった。ルリジガバチかもしれない。彼の心臓は早鐘のように鼓動を打ち始めた。飛んでいる昆虫を良く観察した。ルリジガバチだ。間違いない。ルリジガバチは、迷わずに木片に止まった。木片は彼の右側を流れる清流にプカプカ浮かんで流れていった。それを追って少年は歩き出した。

と、急にルリジガバチを見失った。どっかに飛んだのかな、と思って、空のほうを見上げながらも、擬態によって捕食生物から逃れる技かも、という気がして、頭とあごは上がってしまったが目は離さなかった。歩きながら観察すると、木片には所々黒い箇所があった。それは、まるで字が書かれているようで、点の様な部分もあった。その点が怪しい。点をじっと見る。
「いた!」
やつは木片の点の中心にいて、木片にしっかり掴まって一緒に浮いたり沈んだりしていた。ハチは全く動いていなかったのだ。
「俺は騙されないんだからな」
彼は勝ち誇って、清流を下る木片を追った。

彼はいつの間にか夢中になって流れに沿って駆けていた。清流は左側の林の中にカ−ブしたので、慌てて細い枝や葉の中に頭から突っ込んだ。突然、木片がざあっと、飛び上がった。ハチがブ−ンと飛んで行った。勝ち誇った顔の女の子がバレリーナのような変なポーズを取って言った。
「ほら、あげる」。
男の子は瞬間あっけに取られて女の子を見た。真っ赤なウェデングドレスを着ている、ロングヘアの、細面の、目の大っきい子が、晴れやかに笑いかけていた。

ハチが、逃げてしまった…
もうどこにも見えない。男の子は不機嫌になった。そうすると、女の子も急にあからさまに不機嫌になった。
「なによ、感謝しなさいよ。このあ・た・しがあなたのために取ってあげたのよ。これが欲しくて追いかけてたんでしょ!」
女の子は右手をクルクル回すポ−ズを取って、その右手の木片を差し出した。彼は頭を振った。これだから女は!
「違う! ハチを、ハチを追いかけてたんだ」
自分でも驚くくらい大声を上げていた。
「君が。じゃましなければ…」
そこまで言った途端、とても怖い形相になった女の子が彼よりもはるかに大声で歌うかのように言った。
「何だと! このわ・た・しが、お前ごときの、邪魔だと?」
女の子は両足を開いて地面に立ち、あごを上げて彼を見下ろし、両手を腰に付けるポ−ズを取った。

女の子は男の子と同じくらいの歳のようだった。彼の通っている青葉区の小学校では彼女は見たことがなかった。いや、こんな生意気な子なんかいるわけない。

「お前、ついてこい」
女の子は大声でそう命令するとさっさと一人で林の奥のほうに行ってしまった。
「おい、お前なんかについていかないぞ!」
大声で怒鳴った彼の声は虚しくも木々に遮られて彼女に届かなかった。悔しくて、地団駄踏みたい気分だった。
「追いかけて行って、絶対に謝らせてやる」
頭に血が上っていつの間にか走り出していた。
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