07 こうなったら早い方がいい
文字数 2,467文字
沈黙が降りた。
少年はどこか気まずそうにうつむいた。戦士は頭に思い浮かぶ数々の何から言えばいいものか迷い、金魚 のように口をぱくぱくとさせた。
「言っておくが」
先に言葉を紡いだのはレイヴァスの方だった。
「僕がこれまで言ってきたのは嘘じゃない。僕はアルディルムだが、アストールの子孫じゃない」
「いや、待てよ。おかしいだろう、それは」
シュナードは片手を上げた。
「手記が伝わってきてるんだろう? それはつまり、証拠じゃないのか」
もちろん、「そうである」ということの。
「異なる場合もある」
少年は書物を弄んだ。
「言い方を変えよう。僕はアルディルムという姓を名乗ることを許されているが、その血を引いてはいない」
「……それってのは、つまり」
彼は考えた。
一度は考えたことだ。だがいろいろ矛盾 があるようで、違うかもしれないと思っていた。もとより突き詰めて尋ねるつもりもなかった。
「養子、か」
「その通り」
ぱたん、と少年は手持ちぶさたに開いた書物を閉ざす。
「僕の養父母はそこそこ裕福な人間で、僕を引き取り、育てた。だが僕が成人した年、不審火に遭って焼死した。おそらく、彼らの商売の成功を妬んだ者の仕業だったんだろうと思う」
淡々と彼は語った。
「僕は彼らの遺産を受け取り、倉庫のように使われていたあの小屋を改造してひとりで住んだ。手記はそこにあったために焼失を免れ、僕の手に渡った」
彼は肩をすくめた。
「これが一種の魔術書だと言うのは嘘じゃない。ただの帳面ならとっくにもうぼろぼろだっただろう」
「な、成程」
魔術で保護されているというようなことか。非魔術師にはぴんとこないが、レイヴァスの言うのがそういう意味であることは判った。
「それから僕はいろいろと調べたが、世の中に伝わっている以上のことはほとんど判らなかった」
「お前……」
それは苦痛な作業だったのではないかと推測できた。
アルディルムでありながらアルディルムではない。たくさんの知識を身につけたところで、彼は「アストールの血を引く者」ではない。それはその他の人間――シュナードも含む――が英雄の血を引かないこととは違う。
彼はそれでも、レイヴァス・アルディルムなのだ。
「何て顔をしている」
少年は鼻を鳴らした。
「僕は自虐で調べた訳じゃない。お前たちの言い方を使うなら下世話な好奇心だ」
(それはお前の言い方だ)
との指摘は避けた。
「もちろん……もしできることがあるならば、との思いもあった。しかし調べれば調べるほど、『血筋』だけが重要なんだと判るだけ。たとえ僕が完璧な知識を身につけて封印を再度施そうとしたところで、封印の岩はそれを認めない」
(岩が)
(認めないわ)
耳に蘇ったミラッサの言葉。
だがそれは少々、意味合いが違ったような。
「しかし、何でだ」
シュナードは首をかしげた。
「血縁にしかできないなんて、英雄ともあろう者が何でそんな阿呆らしい制限をつけたんだ。血が続くとは限らんし、だいたい、口伝だって失われるかもしれない……いや実際、失われた訳だろう」
彼は言い直した。
「アストールが好きこのんでそうした訳じゃない。それしか方法がなかったんだ」
レイヴァスは肩をすくめた。
「封印には、血を使う。これは文字通り、血液ということだ」
「なる、ほど」
判ったような、納得しがたいような。
「アストールの血を引く者でなければ、スフェンディアを封印の岩から抜くことはできない。スフェンディアで自らを斬りつけ、その血を岩に垂らすこともできない」
「……ふむ」
それが封印を緩めずに続けていく方法ということか。
「ん? それじゃ」
はたとシュナードは気づいた。
「封印方法は判ってるのか。口伝がどうのと言うのは」
「さあな。口伝のことは僕には判らない。ただ、封印については手記にあった」
ぽんとレイヴァスは本を軽く叩いた。
「もっとも彼は、永遠にそれを続けていけと子々孫々に命じた訳じゃなかった。ほかの手段が見つかるまでの、つなぎのつもりだったんだ。生憎と、誰もほかの手段を見つけないまま、この時代までやってきたことになるが」
「ほかの手段」
息の根を止められ、灰と化してもその邪を振りまき続けた魔術王エレスタン。封印を続ける以外にどんな方法があるのか。いずれは怖ろしい邪気が薄れることを期待して、続けるしかないのではないか。
(まあ、本当に復活しつつあるなら、薄れなかったってことになるんだろうが)
「シュナード。僕は封印の岩と剣を確かめに行こうと思う」
少年は戦士から視線を外し、どこか違う方角――そちらに問題の地があるのだろうか――を見た。
「確かめて、どうするんだ? 封印が緩んでいることが判ったら」
酷な問いだとは思った。だが問わなければならないことだ。
「探すしかない。僕ではない、だがどこかに残されているかもしれない、アストールの子孫を」
「途方もない話だな」
もし仮にいるとしても、アルディルム姓ではなかったら見つけようがない。
「判っている」
レイヴァスは遠くを見たままで言った。
「封印の岩は英雄の血に反応するとされている。まだ不確かで調べが必要だが、岩のかけらか、最悪、粉だけでも採取して、血筋の確認に使えないだろうかと考えている」
「そう、か」
ううむ、と彼はうなった。
「だがそれにしたって、途方もない話であることには変わらんぞ?」
「判っている」
再度、返事がきた。
「だが僕は、そうしたいんだ」
「そう、か」
シュナードもまた、同じ相槌を返した。
「さて」
彼は伸びをした。
「どっちだ?」
「……何?」
「行くんだろう? その封印の地へ。こうなったら早い方がいい。お前は十中八九、いや、それ以上確かに狙われているんだし、立派な魔術は使えるが、昨夜のように限界がある」
つまり、と戦士はにやりとした。
「護衛が要るだろ?」
少年はどこか気まずそうにうつむいた。戦士は頭に思い浮かぶ数々の何から言えばいいものか迷い、
「言っておくが」
先に言葉を紡いだのはレイヴァスの方だった。
「僕がこれまで言ってきたのは嘘じゃない。僕はアルディルムだが、アストールの子孫じゃない」
「いや、待てよ。おかしいだろう、それは」
シュナードは片手を上げた。
「手記が伝わってきてるんだろう? それはつまり、証拠じゃないのか」
もちろん、「そうである」ということの。
「異なる場合もある」
少年は書物を弄んだ。
「言い方を変えよう。僕はアルディルムという姓を名乗ることを許されているが、その血を引いてはいない」
「……それってのは、つまり」
彼は考えた。
一度は考えたことだ。だがいろいろ
「養子、か」
「その通り」
ぱたん、と少年は手持ちぶさたに開いた書物を閉ざす。
「僕の養父母はそこそこ裕福な人間で、僕を引き取り、育てた。だが僕が成人した年、不審火に遭って焼死した。おそらく、彼らの商売の成功を妬んだ者の仕業だったんだろうと思う」
淡々と彼は語った。
「僕は彼らの遺産を受け取り、倉庫のように使われていたあの小屋を改造してひとりで住んだ。手記はそこにあったために焼失を免れ、僕の手に渡った」
彼は肩をすくめた。
「これが一種の魔術書だと言うのは嘘じゃない。ただの帳面ならとっくにもうぼろぼろだっただろう」
「な、成程」
魔術で保護されているというようなことか。非魔術師にはぴんとこないが、レイヴァスの言うのがそういう意味であることは判った。
「それから僕はいろいろと調べたが、世の中に伝わっている以上のことはほとんど判らなかった」
「お前……」
それは苦痛な作業だったのではないかと推測できた。
アルディルムでありながらアルディルムではない。たくさんの知識を身につけたところで、彼は「アストールの血を引く者」ではない。それはその他の人間――シュナードも含む――が英雄の血を引かないこととは違う。
彼はそれでも、レイヴァス・アルディルムなのだ。
「何て顔をしている」
少年は鼻を鳴らした。
「僕は自虐で調べた訳じゃない。お前たちの言い方を使うなら下世話な好奇心だ」
(それはお前の言い方だ)
との指摘は避けた。
「もちろん……もしできることがあるならば、との思いもあった。しかし調べれば調べるほど、『血筋』だけが重要なんだと判るだけ。たとえ僕が完璧な知識を身につけて封印を再度施そうとしたところで、封印の岩はそれを認めない」
(岩が)
(認めないわ)
耳に蘇ったミラッサの言葉。
だがそれは少々、意味合いが違ったような。
「しかし、何でだ」
シュナードは首をかしげた。
「血縁にしかできないなんて、英雄ともあろう者が何でそんな阿呆らしい制限をつけたんだ。血が続くとは限らんし、だいたい、口伝だって失われるかもしれない……いや実際、失われた訳だろう」
彼は言い直した。
「アストールが好きこのんでそうした訳じゃない。それしか方法がなかったんだ」
レイヴァスは肩をすくめた。
「封印には、血を使う。これは文字通り、血液ということだ」
「なる、ほど」
判ったような、納得しがたいような。
「アストールの血を引く者でなければ、スフェンディアを封印の岩から抜くことはできない。スフェンディアで自らを斬りつけ、その血を岩に垂らすこともできない」
「……ふむ」
それが封印を緩めずに続けていく方法ということか。
「ん? それじゃ」
はたとシュナードは気づいた。
「封印方法は判ってるのか。口伝がどうのと言うのは」
「さあな。口伝のことは僕には判らない。ただ、封印については手記にあった」
ぽんとレイヴァスは本を軽く叩いた。
「もっとも彼は、永遠にそれを続けていけと子々孫々に命じた訳じゃなかった。ほかの手段が見つかるまでの、つなぎのつもりだったんだ。生憎と、誰もほかの手段を見つけないまま、この時代までやってきたことになるが」
「ほかの手段」
息の根を止められ、灰と化してもその邪を振りまき続けた魔術王エレスタン。封印を続ける以外にどんな方法があるのか。いずれは怖ろしい邪気が薄れることを期待して、続けるしかないのではないか。
(まあ、本当に復活しつつあるなら、薄れなかったってことになるんだろうが)
「シュナード。僕は封印の岩と剣を確かめに行こうと思う」
少年は戦士から視線を外し、どこか違う方角――そちらに問題の地があるのだろうか――を見た。
「確かめて、どうするんだ? 封印が緩んでいることが判ったら」
酷な問いだとは思った。だが問わなければならないことだ。
「探すしかない。僕ではない、だがどこかに残されているかもしれない、アストールの子孫を」
「途方もない話だな」
もし仮にいるとしても、アルディルム姓ではなかったら見つけようがない。
「判っている」
レイヴァスは遠くを見たままで言った。
「封印の岩は英雄の血に反応するとされている。まだ不確かで調べが必要だが、岩のかけらか、最悪、粉だけでも採取して、血筋の確認に使えないだろうかと考えている」
「そう、か」
ううむ、と彼はうなった。
「だがそれにしたって、途方もない話であることには変わらんぞ?」
「判っている」
再度、返事がきた。
「だが僕は、そうしたいんだ」
「そう、か」
シュナードもまた、同じ相槌を返した。
「さて」
彼は伸びをした。
「どっちだ?」
「……何?」
「行くんだろう? その封印の地へ。こうなったら早い方がいい。お前は十中八九、いや、それ以上確かに狙われているんだし、立派な魔術は使えるが、昨夜のように限界がある」
つまり、と戦士はにやりとした。
「護衛が要るだろ?」