08 どういう気持ちでいたんだろうか
文字数 3,816文字
「いいんだ。私が、姉は間違っていなかったと知ることができた。もちろん、疑っていた訳じゃない。だが真実として私の前に現れることがなければ、いつかは疑念のようなものを持ってしまっただろう。そしてそのあとでやはり真実だったと判れば、消えることのない罪悪感を抱いて生きることになったろうな」
女剣士はどこか遠くを見て語るように話した。
「感謝している。私を真実に出会わせてくれたこと。そして悲劇を――この場だけで収めてくれたことを」
「カチエ」
シュナードは戸惑った。
「いや、俺の方こそ感謝をしないとな。聖水のこともだが、その……」
思い浮かんできたものを巧く表現できる言葉が考え付かない。シュナードはうなった。
(この場だけで)
彼女はそう言った。この場に悲劇があったと。
(……レイヴァスの死を悲劇だと、そう思ってくれてることに)
「魔術王を退治できた」と単純に喜んではいない。彼女自身もレイヴァスを英雄の末裔と考えていたが、そのことを恥に思ってもいなければ、妙な逆恨みもしていない。彼と同じように、ひとりの少年が死んだことを――複雑な気持ちで――悼んでいる。
「もう、ここから出るとしようか」
彼はふたりを見て言った。
「この剣は、仕方ない、持っていくことにしよう。武器なしってのは気分が悪いしな。鞘が合わんが、とりあえず俺が使ってたものより少し小さいから、入らんことはない」
不格好だが収めておくことは可能だ、と彼はスフェンディアを強引に納刀した。
「この場所のことは、どうしたらいいんかね。わざわざ入り込んでくる奴もいないだろうし、放っておいてもいいだろうが」
「火は消しておいた方がいいんじゃないでしょうか」
ライノンが目をしばたたいて、的外れのような鋭い指摘のようなことを言った。
「蝋燭がなくなれば勝手に消えるだろう」
シュナードは手を振った。
「まさか聖水で消して回る訳にもいくまい」
「それは、もったいないですもんね」
「私はかまわないが」
「燃え移るものもない。気にしなくていいだろ」
正直、彼も「もったいない」という気分だった。
「とにかくもう出よう。長居をしてもいいことはない」
弔う遺体も、もうない。
彼は率先して入り口の方へと向かった。
(封印)
歩きながら彼は考えた。
(レイヴァスは、ふたつの封印を解いて広間への道を開いた)
(あのときは、どういう気持ちでいたんだろうか)
考えたところで、詮ない。レイヴァスが彼の知るレイヴァスのままであったとしても、どこかでエレスタンが目覚め出していたのだとしても、どちらにせよシュナードには気が重い。
どうしてこんなことになったのか。
その思いが繰り返し、胸の内を支配する。
これは彼が抱えていくことになるであろうもの。
セリアナの死と同じように。
抱えて、生きていかなければならない。
最後まで。
「あの、シュナードさん」
歩きながらライノンがそっと背後から彼を覗き込むようにした。
「ん?」
「ちょっと、お願いがあるんですが」
「何だ? 言ってみろ」
首をかしげて彼が促せば、青年はぱっと顔を輝かせた。
「シュナード・アルディルムの名前を僕の著書に使ってもいいですか!?」
その言葉に彼はぶっと吹き出した。
「ば、馬鹿。何を言い出した」
「駄目ですか……?」
次には目に見えてしょんぼりする。
「アルディルムは、よしてほしいんだが、ね」
苦々しい顔で彼は肩を落とした。
「王様の名前に英雄の姓なんて、大仰すぎる」
「しかもよりによって『シュナード』ですし、というところですか」
難しそうな顔でライノンが言った。
「よりによって?」
片眉を上げてシュナードは問うた。
「どういう意味だ?」
「え?……もしかして、ご存知ないですか。シュナード王が何をしたのか」
「知らん」
あっさりと彼は答えた。
「偉業を成し遂げた王ってだけだ。『すごいことをした王様』の代名詞みたいなもんだろ」
具体的に何をしたかなんて知らない、と彼は肩をすくめた。
「リンシアン王朝を作った人ですよ」
「あ?」
「いまでも続く王家ですよ。昔ほどの隆盛はなく、地方の片隅に領地を持つ程度ですけれど、それでも伝統は立派なものだ。シュナード王はその創始者です」
「へえ」
彼は相槌だけ打った。
「……リンシアン王朝がいつからはじまったか、は?」
胡乱そうに学者は尋ねる。
「知らん」
彼はまた言った。ライノンは目をしばたたいた。
「ドリアーレ王国が滅びたあとですよ! 魔術王の影響で荒廃しきった大地と疲れ切った人々を導いた英雄王がシュナードです!」
「あー、そうなの」
気のないように彼は言った。実際、あまり興味がない。ライノンはもどかしそうに目をきゅっと細めた。
「つまりあなたは、ドリアーレ王国を終わらせた人物の血を引き、リンシアン王朝をはじめた人物の名を持つんです。どちらも民衆の英雄だ!」
「よ、よせ」
背中がかゆくなってきてシュナードは慌てた。
「どっちも、俺じゃない!」
悲鳴のような声を上げる。
「アストールは、もしかしたら俺のご先祖様かもしらん。シュナード王はすごい王様だったかもしらん。だが俺自身とは関係が」
「ない、とも言えまい?」
面白そうにカチエが口を挟んだ。
「〈名は人生を作る〉などとも言う。あなたがその名を授けられたのには何か運命的な導きがあったのかも」
「ない! そんなものがあってたまるか」
「でもアストールの血筋の方は、まず間違いないでしょう? 関係なくは、ないかと」
「ほかにもたんまり、いるはずだろうが。そりゃ、俺は剣を抜いたが、たまたまそういう流れになっただけで、ほかの末裔と何か違うってこともあるまいよ」
「『そういう流れ』になることが重要なのではないか?」
「カチエまで。よせよ」
彼は嘆息交じりに言った。
「英雄的行為とは、どうにも思えんし、な」
「……すまない」
「いや、俺こそすまん」
そうした愚痴めいた繰り言は口にしないようにと思っていたのだったが、つい出てしまった。
(俺も修行が足りんな)
若者たちに気遣わせるようでは情けない。彼は気を取り直した。
「腹が減ったな。ちょいと肉が食いたい気分だ。通ってきた町で、よさそうな串焼きの店を何軒も見た。あれを食いに行くとしよう」
道すがら、彼らは何ということのない話をぽつりぽつりと続けた。
天気の話もしたし、互いに行ったことのない町の話もした。ライノンが小難しいことを語り、カチエが神殿のことを語り、シュナードは街道警備の裏話などを語った。
まるであの不可思議な部屋での出来事などなかったかのように。
もちろん、目を逸らすつもりはない。忘れてしまおうとも思わない。ただ、いまはまだその傷口が生々しすぎて、触れるのに躊躇いがあるだけ。
「これからどうする」
カチエが問うた。
「どうって、まずは手近な町に戻って一杯」
片眉を上げてシュナードは答えた。
「そうだ、酒を飲 ろう。坊ちゃんの護衛中は、強いのは控えてたからな」
何気ない調子で、彼は言った。カチエは一瞬だけ複雑そうな表情を見せたが、シュナードが「ただ護衛の仕事を終えた」という様子を装ったのに気づいたか、「そうか」とだけ答えた。
「だが、私が問おうとしたのはそのあとのことだ」
「あと?」
「カシェスの町まで帰るのか?」
「あー、そういう話か」
戦士はあごを撫でた。少し考えていることがあった。
「あんたは帰るんだな? 報告もあるだろうし」
まずシュナードはカチエに尋ねてみた。
「私はどこか特定の神殿に雇われてる訳じゃない。報告はどこの町の神殿だってかまわないさ」
「へえ」
それはなかなかすごいことなのでは、とシュナードは思い、それから、違うかなと思った。
(カチエ個人の話じゃない)
(魔術王エレスタン絡みで危惧されてたことが、俺の感覚よりでかい話だって)
(――話だったってことだ)
軽く首を振ってシュナードはふっと感じた目眩のようなものを振り払った。
「ライノン、あんたは」
振り向いて青年に問いかける。
「僕も特に、あの町に戻る必要はないですね。訪ねたら訪ねたで、発見があるかもしれませんけれど」
「ふむ」
彼は腕を組んだ。
「んじゃ、奇縁だったが、飯を食ったら解散だな」
「えっ、どうしてですか?」
「もしカシェスで何か手が要るなら手伝うが」
少し驚いたように彼らは尋ねた。
「いやいや、そうじゃない。もしお前さんたちが帰る必要があるってんなら、護衛も兼ねて戻って、訓練所の所長に詫びのひとつも入れとくかと思ったんだが」
結局、無断欠勤だ。もうこなくていいと言われる可能性は十二分にあった。あの騒動の夜から姿を消したシュナードは、もしかしたら死んだとでも思われているかもしれない。
「そうじゃないなら、行くところがあってな」
「どこだか聞いてもいいですか?」
首をかしげて、ライノン。
「小さな田舎町さ。俺も行ったことはないが、たぶん予想に違わず、なーんにもなさそうなところ」
「それならば、何故わざわざ出向く?」
カチエがもっともな問いを発する。
「行ったことがないならば故郷と言うのでもないようだが」
女剣士はどこか遠くを見て語るように話した。
「感謝している。私を真実に出会わせてくれたこと。そして悲劇を――この場だけで収めてくれたことを」
「カチエ」
シュナードは戸惑った。
「いや、俺の方こそ感謝をしないとな。聖水のこともだが、その……」
思い浮かんできたものを巧く表現できる言葉が考え付かない。シュナードはうなった。
(この場だけで)
彼女はそう言った。この場に悲劇があったと。
(……レイヴァスの死を悲劇だと、そう思ってくれてることに)
「魔術王を退治できた」と単純に喜んではいない。彼女自身もレイヴァスを英雄の末裔と考えていたが、そのことを恥に思ってもいなければ、妙な逆恨みもしていない。彼と同じように、ひとりの少年が死んだことを――複雑な気持ちで――悼んでいる。
「もう、ここから出るとしようか」
彼はふたりを見て言った。
「この剣は、仕方ない、持っていくことにしよう。武器なしってのは気分が悪いしな。鞘が合わんが、とりあえず俺が使ってたものより少し小さいから、入らんことはない」
不格好だが収めておくことは可能だ、と彼はスフェンディアを強引に納刀した。
「この場所のことは、どうしたらいいんかね。わざわざ入り込んでくる奴もいないだろうし、放っておいてもいいだろうが」
「火は消しておいた方がいいんじゃないでしょうか」
ライノンが目をしばたたいて、的外れのような鋭い指摘のようなことを言った。
「蝋燭がなくなれば勝手に消えるだろう」
シュナードは手を振った。
「まさか聖水で消して回る訳にもいくまい」
「それは、もったいないですもんね」
「私はかまわないが」
「燃え移るものもない。気にしなくていいだろ」
正直、彼も「もったいない」という気分だった。
「とにかくもう出よう。長居をしてもいいことはない」
弔う遺体も、もうない。
彼は率先して入り口の方へと向かった。
(封印)
歩きながら彼は考えた。
(レイヴァスは、ふたつの封印を解いて広間への道を開いた)
(あのときは、どういう気持ちでいたんだろうか)
考えたところで、詮ない。レイヴァスが彼の知るレイヴァスのままであったとしても、どこかでエレスタンが目覚め出していたのだとしても、どちらにせよシュナードには気が重い。
どうしてこんなことになったのか。
その思いが繰り返し、胸の内を支配する。
これは彼が抱えていくことになるであろうもの。
セリアナの死と同じように。
抱えて、生きていかなければならない。
最後まで。
「あの、シュナードさん」
歩きながらライノンがそっと背後から彼を覗き込むようにした。
「ん?」
「ちょっと、お願いがあるんですが」
「何だ? 言ってみろ」
首をかしげて彼が促せば、青年はぱっと顔を輝かせた。
「シュナード・アルディルムの名前を僕の著書に使ってもいいですか!?」
その言葉に彼はぶっと吹き出した。
「ば、馬鹿。何を言い出した」
「駄目ですか……?」
次には目に見えてしょんぼりする。
「アルディルムは、よしてほしいんだが、ね」
苦々しい顔で彼は肩を落とした。
「王様の名前に英雄の姓なんて、大仰すぎる」
「しかもよりによって『シュナード』ですし、というところですか」
難しそうな顔でライノンが言った。
「よりによって?」
片眉を上げてシュナードは問うた。
「どういう意味だ?」
「え?……もしかして、ご存知ないですか。シュナード王が何をしたのか」
「知らん」
あっさりと彼は答えた。
「偉業を成し遂げた王ってだけだ。『すごいことをした王様』の代名詞みたいなもんだろ」
具体的に何をしたかなんて知らない、と彼は肩をすくめた。
「リンシアン王朝を作った人ですよ」
「あ?」
「いまでも続く王家ですよ。昔ほどの隆盛はなく、地方の片隅に領地を持つ程度ですけれど、それでも伝統は立派なものだ。シュナード王はその創始者です」
「へえ」
彼は相槌だけ打った。
「……リンシアン王朝がいつからはじまったか、は?」
胡乱そうに学者は尋ねる。
「知らん」
彼はまた言った。ライノンは目をしばたたいた。
「ドリアーレ王国が滅びたあとですよ! 魔術王の影響で荒廃しきった大地と疲れ切った人々を導いた英雄王がシュナードです!」
「あー、そうなの」
気のないように彼は言った。実際、あまり興味がない。ライノンはもどかしそうに目をきゅっと細めた。
「つまりあなたは、ドリアーレ王国を終わらせた人物の血を引き、リンシアン王朝をはじめた人物の名を持つんです。どちらも民衆の英雄だ!」
「よ、よせ」
背中がかゆくなってきてシュナードは慌てた。
「どっちも、俺じゃない!」
悲鳴のような声を上げる。
「アストールは、もしかしたら俺のご先祖様かもしらん。シュナード王はすごい王様だったかもしらん。だが俺自身とは関係が」
「ない、とも言えまい?」
面白そうにカチエが口を挟んだ。
「〈名は人生を作る〉などとも言う。あなたがその名を授けられたのには何か運命的な導きがあったのかも」
「ない! そんなものがあってたまるか」
「でもアストールの血筋の方は、まず間違いないでしょう? 関係なくは、ないかと」
「ほかにもたんまり、いるはずだろうが。そりゃ、俺は剣を抜いたが、たまたまそういう流れになっただけで、ほかの末裔と何か違うってこともあるまいよ」
「『そういう流れ』になることが重要なのではないか?」
「カチエまで。よせよ」
彼は嘆息交じりに言った。
「英雄的行為とは、どうにも思えんし、な」
「……すまない」
「いや、俺こそすまん」
そうした愚痴めいた繰り言は口にしないようにと思っていたのだったが、つい出てしまった。
(俺も修行が足りんな)
若者たちに気遣わせるようでは情けない。彼は気を取り直した。
「腹が減ったな。ちょいと肉が食いたい気分だ。通ってきた町で、よさそうな串焼きの店を何軒も見た。あれを食いに行くとしよう」
道すがら、彼らは何ということのない話をぽつりぽつりと続けた。
天気の話もしたし、互いに行ったことのない町の話もした。ライノンが小難しいことを語り、カチエが神殿のことを語り、シュナードは街道警備の裏話などを語った。
まるであの不可思議な部屋での出来事などなかったかのように。
もちろん、目を逸らすつもりはない。忘れてしまおうとも思わない。ただ、いまはまだその傷口が生々しすぎて、触れるのに躊躇いがあるだけ。
「これからどうする」
カチエが問うた。
「どうって、まずは手近な町に戻って一杯」
片眉を上げてシュナードは答えた。
「そうだ、酒を
何気ない調子で、彼は言った。カチエは一瞬だけ複雑そうな表情を見せたが、シュナードが「ただ護衛の仕事を終えた」という様子を装ったのに気づいたか、「そうか」とだけ答えた。
「だが、私が問おうとしたのはそのあとのことだ」
「あと?」
「カシェスの町まで帰るのか?」
「あー、そういう話か」
戦士はあごを撫でた。少し考えていることがあった。
「あんたは帰るんだな? 報告もあるだろうし」
まずシュナードはカチエに尋ねてみた。
「私はどこか特定の神殿に雇われてる訳じゃない。報告はどこの町の神殿だってかまわないさ」
「へえ」
それはなかなかすごいことなのでは、とシュナードは思い、それから、違うかなと思った。
(カチエ個人の話じゃない)
(魔術王エレスタン絡みで危惧されてたことが、俺の感覚よりでかい話だって)
(――話だったってことだ)
軽く首を振ってシュナードはふっと感じた目眩のようなものを振り払った。
「ライノン、あんたは」
振り向いて青年に問いかける。
「僕も特に、あの町に戻る必要はないですね。訪ねたら訪ねたで、発見があるかもしれませんけれど」
「ふむ」
彼は腕を組んだ。
「んじゃ、奇縁だったが、飯を食ったら解散だな」
「えっ、どうしてですか?」
「もしカシェスで何か手が要るなら手伝うが」
少し驚いたように彼らは尋ねた。
「いやいや、そうじゃない。もしお前さんたちが帰る必要があるってんなら、護衛も兼ねて戻って、訓練所の所長に詫びのひとつも入れとくかと思ったんだが」
結局、無断欠勤だ。もうこなくていいと言われる可能性は十二分にあった。あの騒動の夜から姿を消したシュナードは、もしかしたら死んだとでも思われているかもしれない。
「そうじゃないなら、行くところがあってな」
「どこだか聞いてもいいですか?」
首をかしげて、ライノン。
「小さな田舎町さ。俺も行ったことはないが、たぶん予想に違わず、なーんにもなさそうなところ」
「それならば、何故わざわざ出向く?」
カチエがもっともな問いを発する。
「行ったことがないならば故郷と言うのでもないようだが」