09 まっすぐ、天を(完)
文字数 2,735文字
「妹がいるんだ」
彼は呟いた。
「しばらく連絡を取ってなかったが……ちょっと気になることがあって、な」
「気になること?」
当然、彼らはその内容を知りたがった。
「実はな」
少し躊躇いがちに、彼は口を開いた。
「ミラッサがな」
その名を出すことで、かりそめの平穏――何もなかったふり――が消え去ってしまうことは判ったが、いつまでも続けられるものでもない。
「あの娘が言っていたんだ。これまで、アルディルムの血筋を途絶えさせるために暗躍してきたというようなことを」
それだけ言えば、カチエもライノンもはっとした顔を見せた。
「まあ、奴らが消したかったのは剣を振るう人間なんだろうし、戦士である俺より妹の方が先に狙われたとは思わないが……縁遠くなってるとは言え、俺にとっちゃ一応唯一の身内だからな。無事を確認しておこうと」
それだけだ、と彼は肩をすくめた。
「判りました」
ライノンはうなずいた。
「ご一緒します」
「……は?」
真顔で言われてシュナードはぽかんとした。
「駄目ですか?」
「い、いや、駄目ってことはないが、何でまた」
「私も行こうか」
「はあ!?」
続けて素っ頓狂な声が出る。
「何を言ってるんだ、お前らは」
「だって僕は、アストールのことをずっと研究しているんですよ? シュナードさんに興味を持って、もっとご一緒したいと思うのは当たり前じゃないですか」
にこにこと学者の卵は言った。
「もちろん血が繋がっているからシュナードさんは心配するんですよね。ということは、その妹さんにももちろん、アストールの血が!」
何だが目がきらきらと輝いている。
「私はあなたを探していたと言ったろう」
カチエは肩をすくめた。
「姉が占い師だという話もしたな。その姉が、あなたに力を貸すようにと言ったんだ」
「何だって? いや、そいつは有難いが、それはこの……」
こほん、と彼は咳払いをした。
「今回の件に関してだろう。今後までは姉さんの予言の範疇にはないんじゃないか」
「そうかもしれないが、もう少し様子を見てもいいだろう。殊に、ミラッサのような存在がほかにもいないとも限らない」
「いや、待て」
「すまない、不吉な推測だな。だが警戒をしておくに越したことはないだろう。それに」
女剣士は笑みを浮かべた。
「いかな〈狼爪〉と言えども、背後を守る者がいた方が助かるのではないか?」
「そりゃまあ、本気なら助かる。ってかその呼び名はやめろと」
「ええっ、格好いいのになあ」
「よくないわ」
シュナードはしかめ面でライノンの感想も一蹴したが、何だか安堵もしていた。
(よくも悪くも、悲壮になれんな)
「しかしお前ら、本気か?」
彼は順々にふたりを見た。
「はい」
「もちろん」
「物好きだな」
呆れたように呟いた。
「ええっ、そうでしょうか」
「シュナードに自覚がないだけだと思うね」
「自覚だと? 何の」
英雄の、などとくるのではあるまいなと戦士は少し警戒したが、彼女はそんなふうには言わなかった。
「見物したくなる面白さがあるってことの、さ」
にやりとしてカチエは言った。
「……どういう」
意味だ、と問おうとしたが、彼には面白くない答えが返ってきそうな気がした。ええい、とシュナードは手を振る。
「門が閉ざされる時間帯になると面倒だ。少し急ぐぞ」
何とか門が開いている前に、彼らは最も近い町の壁の内側へ入り込んだ。途中、一、二体の魔物と遭遇したが、これは街道によっては普通のことで、彼ら――彼が狙われた訳ではなかった。
こうなってみると、レイヴァスとの旅路はやはり奇妙だったのだ。
魔物の気配すら感じなかった。
まるで魔物たちが、少年がその内に秘めた危険を知って避けたかのように。
「――飯にしよう、飯に」
繰り返し浮かぶ何かを振り払うべく、シュナードは明るく言った。
もっとも、最初は口実に近かったものの、いまや本当に空腹を覚えている。羊の串焼きと久しぶりの強い酒を思えばのどが鳴った。
「あっ、僕、いい店知ってます」
ライノンが挙手などした。
「この風景を見たら思い出しました。前に、あっちの方のお店で」
指して説明しようとしたライノンは、どれだけ注意力が足りなければそうなるのか、建物の壁を殴る結果となった。
「あいたっ」
「お前さん、慌てすぎだ」
シュナードは笑った。
「この傷に聖水はもらってやらんぞ」
「だ、大丈夫です。かすり傷ですし」
青年は右手をさすった。
「……あっち、です」
次にはさすがに慎重に、彼は指したい方角を指した。
「おお」
シュナードは目を細めた。
「こりゃきれいな〈導き星〉が出てるな」
青年が指したのは日没後の西空の方だった。そこには燦然と明るい夕刻のひとつ星ダムルトが光り輝き、彼の目を釘付けた。
(――なあ、レイヴァス)
(きちんと冥界に、導かれたか?)
空を見上げながら彼は、決して返答のない問いかけをした。
(俺なんか想像も出来ないほどの長い時間を……封じられながら存在するのはつらかったろ)
(少しは、お前が楽になってるといいんだが)
それは彼の立場において、彼自身が楽になる考えでしかないとも言える。行為を正当化するための。
だが、引っかかることもあったのだ。
少年はいったい何故、あんな簡単に――シュナードが一歩踏み込めば完全に斬られる位置で、無防備に立っていたのか?
ただ、油断をしていたのか? 闇に囚われた彼が斬りかかってくるなど思いもしないで? あれだけスフェンディアには警戒をしていたのに?
(……よそう)
(エレスタンのなかのレイヴァスが、このまま魔術王として君臨することを拒んで、俺に斬られることを選んだ……なんてのは、俺の酷い感傷か、もっと酷い言い訳だ)
少年を手にかけたことについて言い訳をするつもりはなかった。したくなかった。
ただ、少しでも少年に救われる点があればと思う――。
(これも結局、俺が救われたいってことか)
(でもまあ、それもいいわな)
(レイヴァスはきっと、導かれたと……)
すうっと白いものが空に上がっていくのが見えた。シュナードはまばたきを繰り返してそれを見た。だがよく見てみれば、それは炭焼きをやっている屋台の裏から出ている調理の煙に過ぎなかった。
(何だ)
彼は苦笑した。
「シュナードさーん!」
ライノンの声がする。
「見つけました! こっちですよーっ」
「おう、いま行く!」
声を返してシュナードは踵を返した。
煙は静かにまっすぐ、天を目指すかのようだった。
「英雄の末裔」
―了―
彼は呟いた。
「しばらく連絡を取ってなかったが……ちょっと気になることがあって、な」
「気になること?」
当然、彼らはその内容を知りたがった。
「実はな」
少し躊躇いがちに、彼は口を開いた。
「ミラッサがな」
その名を出すことで、かりそめの平穏――何もなかったふり――が消え去ってしまうことは判ったが、いつまでも続けられるものでもない。
「あの娘が言っていたんだ。これまで、アルディルムの血筋を途絶えさせるために暗躍してきたというようなことを」
それだけ言えば、カチエもライノンもはっとした顔を見せた。
「まあ、奴らが消したかったのは剣を振るう人間なんだろうし、戦士である俺より妹の方が先に狙われたとは思わないが……縁遠くなってるとは言え、俺にとっちゃ一応唯一の身内だからな。無事を確認しておこうと」
それだけだ、と彼は肩をすくめた。
「判りました」
ライノンはうなずいた。
「ご一緒します」
「……は?」
真顔で言われてシュナードはぽかんとした。
「駄目ですか?」
「い、いや、駄目ってことはないが、何でまた」
「私も行こうか」
「はあ!?」
続けて素っ頓狂な声が出る。
「何を言ってるんだ、お前らは」
「だって僕は、アストールのことをずっと研究しているんですよ? シュナードさんに興味を持って、もっとご一緒したいと思うのは当たり前じゃないですか」
にこにこと学者の卵は言った。
「もちろん血が繋がっているからシュナードさんは心配するんですよね。ということは、その妹さんにももちろん、アストールの血が!」
何だが目がきらきらと輝いている。
「私はあなたを探していたと言ったろう」
カチエは肩をすくめた。
「姉が占い師だという話もしたな。その姉が、あなたに力を貸すようにと言ったんだ」
「何だって? いや、そいつは有難いが、それはこの……」
こほん、と彼は咳払いをした。
「今回の件に関してだろう。今後までは姉さんの予言の範疇にはないんじゃないか」
「そうかもしれないが、もう少し様子を見てもいいだろう。殊に、ミラッサのような存在がほかにもいないとも限らない」
「いや、待て」
「すまない、不吉な推測だな。だが警戒をしておくに越したことはないだろう。それに」
女剣士は笑みを浮かべた。
「いかな〈狼爪〉と言えども、背後を守る者がいた方が助かるのではないか?」
「そりゃまあ、本気なら助かる。ってかその呼び名はやめろと」
「ええっ、格好いいのになあ」
「よくないわ」
シュナードはしかめ面でライノンの感想も一蹴したが、何だか安堵もしていた。
(よくも悪くも、悲壮になれんな)
「しかしお前ら、本気か?」
彼は順々にふたりを見た。
「はい」
「もちろん」
「物好きだな」
呆れたように呟いた。
「ええっ、そうでしょうか」
「シュナードに自覚がないだけだと思うね」
「自覚だと? 何の」
英雄の、などとくるのではあるまいなと戦士は少し警戒したが、彼女はそんなふうには言わなかった。
「見物したくなる面白さがあるってことの、さ」
にやりとしてカチエは言った。
「……どういう」
意味だ、と問おうとしたが、彼には面白くない答えが返ってきそうな気がした。ええい、とシュナードは手を振る。
「門が閉ざされる時間帯になると面倒だ。少し急ぐぞ」
何とか門が開いている前に、彼らは最も近い町の壁の内側へ入り込んだ。途中、一、二体の魔物と遭遇したが、これは街道によっては普通のことで、彼ら――彼が狙われた訳ではなかった。
こうなってみると、レイヴァスとの旅路はやはり奇妙だったのだ。
魔物の気配すら感じなかった。
まるで魔物たちが、少年がその内に秘めた危険を知って避けたかのように。
「――飯にしよう、飯に」
繰り返し浮かぶ何かを振り払うべく、シュナードは明るく言った。
もっとも、最初は口実に近かったものの、いまや本当に空腹を覚えている。羊の串焼きと久しぶりの強い酒を思えばのどが鳴った。
「あっ、僕、いい店知ってます」
ライノンが挙手などした。
「この風景を見たら思い出しました。前に、あっちの方のお店で」
指して説明しようとしたライノンは、どれだけ注意力が足りなければそうなるのか、建物の壁を殴る結果となった。
「あいたっ」
「お前さん、慌てすぎだ」
シュナードは笑った。
「この傷に聖水はもらってやらんぞ」
「だ、大丈夫です。かすり傷ですし」
青年は右手をさすった。
「……あっち、です」
次にはさすがに慎重に、彼は指したい方角を指した。
「おお」
シュナードは目を細めた。
「こりゃきれいな〈導き星〉が出てるな」
青年が指したのは日没後の西空の方だった。そこには燦然と明るい夕刻のひとつ星ダムルトが光り輝き、彼の目を釘付けた。
(――なあ、レイヴァス)
(きちんと冥界に、導かれたか?)
空を見上げながら彼は、決して返答のない問いかけをした。
(俺なんか想像も出来ないほどの長い時間を……封じられながら存在するのはつらかったろ)
(少しは、お前が楽になってるといいんだが)
それは彼の立場において、彼自身が楽になる考えでしかないとも言える。行為を正当化するための。
だが、引っかかることもあったのだ。
少年はいったい何故、あんな簡単に――シュナードが一歩踏み込めば完全に斬られる位置で、無防備に立っていたのか?
ただ、油断をしていたのか? 闇に囚われた彼が斬りかかってくるなど思いもしないで? あれだけスフェンディアには警戒をしていたのに?
(……よそう)
(エレスタンのなかのレイヴァスが、このまま魔術王として君臨することを拒んで、俺に斬られることを選んだ……なんてのは、俺の酷い感傷か、もっと酷い言い訳だ)
少年を手にかけたことについて言い訳をするつもりはなかった。したくなかった。
ただ、少しでも少年に救われる点があればと思う――。
(これも結局、俺が救われたいってことか)
(でもまあ、それもいいわな)
(レイヴァスはきっと、導かれたと……)
すうっと白いものが空に上がっていくのが見えた。シュナードはまばたきを繰り返してそれを見た。だがよく見てみれば、それは炭焼きをやっている屋台の裏から出ている調理の煙に過ぎなかった。
(何だ)
彼は苦笑した。
「シュナードさーん!」
ライノンの声がする。
「見つけました! こっちですよーっ」
「おう、いま行く!」
声を返してシュナードは踵を返した。
煙は静かにまっすぐ、天を目指すかのようだった。
「英雄の末裔」
―了―