03 似た者同士で仲良くやればいい
文字数 4,598文字
ようやく見つけた診療所で医師を叩き起こし――時刻はまだ宵の口と言えたが、診療所などはもう戸を閉めているのが普通だ――ライノンの治療を終えた頃にはさすがにシュナードも疲労を覚えていた。
「やれやれ、夜の患者はいつもろくなものじゃないわい。遊びもほどほどにするんじゃな」
「すまんね、先生」
シュナードは苦笑して老医師に謝った。
「ちょっとした肝試しのつもりだったのさ。まさか本当に何か出るとは思わなかった」
「野犬のようだったと言ったな? それにしては少々奇妙な傷痕だが」
「暗くてよく判らなかったと言ったんだよ。犬みたいな感じだったが、ちょいとでかかったかな?」
医師を騙すつもりはなかったが、町のなかに魔物が現れたの、見たこともない翼を持つ化け物だったの、魔族とかいうものらしいだの、そんな話をしても混乱させるだけだ。シュナードは「度胸試しで夜の街道に出てみたら犬のようなものに襲われた」という話を適当にでっち上げた。
「もし変な生き物で毒でもあったらやばいと思って、先生のところにきたんだ」
「まあ、毒の心配はなさそうじゃ。傷口は処置をしたし、あとは安静にしておけば目覚めるじゃろ。獣のことは警備隊に言っておくんじゃな」
「そうするよ」
「説教を食らうじゃろうが、それくらいは甘受するんじゃぞ。何せ」
じろりと老医師はシュナードを見た。
「十代の子供ならまだしも、お前さんたちみたいないい年の大人がやる遊びじゃない」
シュナードのみならず、ライノンも叱られたようだ。
「いやもう、全くだな。反省してるとも」
「子供たちに何もなくて本当によかった。女の子まで連れるとは」
「悪かった。俺が馬鹿だった」
いささか無理のある作り話だったが、シュナードが大馬鹿だということで医師の怒りを――休憩時間を奪われたことも含め――引き受けて済むなら別にそれくらいの不名誉はかまわなかった。
「この兄さんの様子は見ておく。お前さんたちを休ませる寝台まではないから、朝になったらまたきなさい」
「助かった。いい先生に会えてよかったよ」
「ふん、世辞を言っても治療費は負からんぞ」
「あー、はいはい」
これは誰が払うのだろうか、ライノンに払わせるのも気の毒だが、自分が出すのも少々納得がいかない、などとシュナードがけち臭いことを考えたとき、レイヴァスが進み出た。
「僕が出そう」
「おっ?」
「いいえ、私が出すわ」
ミラッサも進み出た。
「おおっ、どうしたんだお前たち。殊勝じゃないか」
思わず彼が言えば三人から――少年少女と、医師も――きつい視線を浴びた。
「僕に責任があるとは思わないが、この男は僕を訪れてきたのだからな」
「お金ならあるわ。必要なだけ使うことは気にならない」
「子供たちに出させる気か。それでも大人の男か、お前さんは」
「ううっ」
「僕は子供じゃない!」
「私は子供じゃないわ!」
「医者の先生にまで噛みつくな、お前らは!」
一気に疲労感が増した。シュナードは息を吐いてうなだれる。
「金のことは、あとで話そう」
ライノンも自分で払うと言い出しそうだし、仲良く四人で分けるのが無難だろうか、などとシュナードは考えた。四分の一なら彼の懐もそれほど痛まず済みそうだ。
「お前は功労者なんだ。出す必要はない」
きっぱりとレイヴァスは言い切った。
「功労……」
(意外な判定が出たもんだ)
(確かに剣を振るったのは俺だが、こいつだって戦ったと言えるほど魔術を使ったし、追い払ったのはあの光の球だってのに)
「僕が出す」
レイヴァスはまた言った。
「ミラッサも、異論はないな」
「は……え、ええ」
こくりと少女はうなずいた。
(お?)
(さっきもちらっと思ったが、こりゃライノンの推測はあながち的外れでもないのかもしれんな?)
レイヴァスだって知性的な美少年と言えなくもない。いや、言動のせいでシュナードには小生意気としか見えないが、顔立ちは整っていると言っていい。まだ幼い雰囲気のところもあるが、このまま上手に三年も育ち、かつ口が巧くなれば、女たちが取り合いをはじめるかもしれない。
(いや、女の感覚は判らんからな)
(案外このままでも、冷たくて厳しいことばかり言うのがイイ、とか)
(この嬢ちゃんもそういうクチかもしれんぞ)
もしかしたらレイヴァスと会ったばかりというのは嘘で、実は前から見初めていて、どういう人物か調べようとしたら英雄と同姓であると知り、万一のことがあっては嫌だから剣を覚えてほしいと思ったとか――。
(まあ、いささか、想像が過ぎるが)
(レイヴァスがびしっと言うと黙る傾向は実際、あるみたいだな)
ミラッサをやり込めるには使えそうだが、レイヴァスの方が増長してはますますやりにくい、などとシュナードは今後の対応について考えている内、少年は本当に治療費を払ってしまった。医師も何か事情があると思ったか、はたまた余計なことを言って支払いを渋られたら困るとでも思ったか、それ以上口は挟まずに正当な報酬を受け取った。
そうしてシュナードは少年少女の保護者よろしく〈暁の湖面〉亭に戻り、黒い血のついた衣服を処分して――これだって出費だ――数少ない手持ちのほかの服に着替えてから、併設されている食事処でようやく夕飯を取れることとなった。
レイヴァスのみならずミラッサも小食なのか、はたまたこんな庶民の食事処ではお気に召さないのか、ほとんど何も頼もうとしなかったので、仕方なくシュナードが適当に注文をした。
「ところでこれまでどうしてたんだ」
シュナードは揚げ鶏を口に放り込みながらミラッサに問うた。
「ぴたっと訪問をやめてたそうじゃないか」
「どうしてもやらなくてはならないことがあったのよ」
少女はライファム酒の杯をもてあそびながら答えた。
「どんなことだ?」
麺麭 をちぎりながら問いつつ、返答が判るように思った。
「お前には関係ないわ」
(やっぱりな)
このふたりは似た者同士で仲良くやればいいのではないかと考え、絶対に巧くいかないだろうなというところまで想像した。
「ん、レイヴァス。食えよ」
シュナードは小鉢を少年の前に引っ張った。
「汁物くらいなら入るだろ。お前用に注文したんだぞ」
「要らない」
「好き嫌いをすると大きくなれんぞ?」
「馬鹿者」
茶化した台詞にいつもの容赦なく直接的な言葉が飛んでくる。
「不要だと言っているんだ。僕はあまり食べないんだと言っただろう」
「だからこういうのにしてやってるんじゃないか。何も豚の丸焼きを全部食えなんて言ってない」
「それがお前の、勘定の合わせ方か?」
「そうそう。覚えてるじゃないか」
にやりとシュナードは匙 でレイヴァスを指し、一言「行儀が悪い」と返された。
「何の話よ?」
ミラッサが口を挟む。
「ああ、別に大したことじゃ」
「私抜きでどれだけレイヴァスと話したの?」
「あ?」
「私の知らない話がたくさんあると言うの?」
(何じゃこりゃ)
(やきもちか?)
だとすれば可愛いもの、いや、可愛くないだろうか。シュナードは今日一日でそうした価値基準がさっぱり判らなくなったように思った。
「まあ、そんなに話しちゃいない。あれ以来、俺もこいつには近寄ってなくて、今日たまたま」
シュナードふっと言葉を切った。
(そうだ)
(たまたま訪れた途端、化け物が二体も)
偶然なのか。彼の「勘」が働いたのか。それとも、何者かの作為が。
前者ふたつについては確かめる術はない。最後のひとつについては、いまは判らないとしか。
「それにしても」
ひと通り食べて落ち着くと――主にシュナードが、だが――彼は酒杯に手を伸ばした。
普段はアスト酒のような強い酒をたしなむが、いまはまだ明瞭な頭でいたいのと、同時に飲まなければやってられないと思うのとで、女子供が飲むような軽いライファムで間を取ることにした。
「今日の出来事は異常だ。異常の連続だ。事情をいちばん知ってるのは嬢ちゃん、間違いなくあんただな」
シュナードはミラッサを杯で指した。
「話してもらおうか? 話せる範囲で、いいが」
一応、譲歩はしておいた。
「その……」
少女は辺りを見回した。
「人前じゃ話しづらいか? なら部屋の方に」
「ここでいい」
とレイヴァスが言う。
「声を外に洩らさない術を編んだ。どんな不穏な、それとも素っ頓狂な話でも、隣の客や給仕が興味を示すことはない」
「……それってのは、傍から見ると、口ぱくぱくさせてるだけってことか?」
却って興味を示されるのではないか、とシュナードは少々思った。
「これだけ騒がしい場所なら、こちらにも判るくらいに僕らを観察して、かつ聞き耳を立ててでもいない限り気づかない。だが気になるなら、適当な雑音を出しておいてやる」
「そんなことまで」
「できる」
むすっとレイヴァスは言った。
(何だかんだ言ってこいつ)
(いっぱしの魔術師みたいじゃないか)
レイヴァスの性格からすると、自分の能力を過小にも過大にも言いそうにない。できると言うならできるのだし、大した魔力ではないと言うのならそうなのだろう。
(こいつ程度で大したことがないなら)
(いったいエレスタンってのはどれだけの)
試しに考えてみたが、彼の想像力ではどうにも難しかった。
「それで、ミラッサ」
とん、とレイヴァスは指で卓を叩いた。
「お前があれらの化け物を呼び込んだのか?」
「おっと」
様子をうかがうこともなく直接的にぶつける少年に戦士は目をしばたたいた。
「ま、まさか! そんなこと、するはずがないわ!」
少女は驚いて叫んだ。
「私はあなたに、身を守ってもらうために、剣を覚えてほしいと思っているのよ?」
「そう言っていたな。だがその目的が不明瞭だ。いや、不明瞭だった」
レイヴァスはミラッサを冷たく見た。
「お前は僕をアストールの子孫と考え、エレスタンの関係者が僕を狙うと考えた。殊に前半が的外れであることは、いまはさておくとしよう。だが納得がいかない。ひとつ」
彼は指を一本立てた。
「お前が魔術王の復活を真実だと考える理由は?」
「星辰がそれを定めているわ」
それが少女の答えだった。
「ただのお伽話じゃないのよ。エレスタンが目覚めることは定まっているのだから」
「定まってるったって」
シュナードは顔をしかめた。
「封印、されてんだろう?」
「一度封じたら永遠というものではないわ。何のためにアストールが子孫に口伝をしたと思うの」
「……んじゃ、まさか」
「そのまさかよ。時間が経てば封じは緩むの。たとえ頑丈な縄で何重に結んでも、その縄が朽ちていっては意味がないでしょう」
「新しい縄で結び直さなくちゃならん、ってことか」
ううむ、とシュナードは両腕を組んだ。
「英雄の血筋が見失われているとすると、口伝も」
「途絶えているはずよ」
ミラッサはうつむいた。
「だからこそ、いま必要なの。アストールの子孫が」
「僕は違う」
ふん、と少年は唇を歪めた。ミラッサは沈黙した。
(言っちゃならん、のだよな?)
(つまり、説得する訳にはいかないと)
「やれやれ、夜の患者はいつもろくなものじゃないわい。遊びもほどほどにするんじゃな」
「すまんね、先生」
シュナードは苦笑して老医師に謝った。
「ちょっとした肝試しのつもりだったのさ。まさか本当に何か出るとは思わなかった」
「野犬のようだったと言ったな? それにしては少々奇妙な傷痕だが」
「暗くてよく判らなかったと言ったんだよ。犬みたいな感じだったが、ちょいとでかかったかな?」
医師を騙すつもりはなかったが、町のなかに魔物が現れたの、見たこともない翼を持つ化け物だったの、魔族とかいうものらしいだの、そんな話をしても混乱させるだけだ。シュナードは「度胸試しで夜の街道に出てみたら犬のようなものに襲われた」という話を適当にでっち上げた。
「もし変な生き物で毒でもあったらやばいと思って、先生のところにきたんだ」
「まあ、毒の心配はなさそうじゃ。傷口は処置をしたし、あとは安静にしておけば目覚めるじゃろ。獣のことは警備隊に言っておくんじゃな」
「そうするよ」
「説教を食らうじゃろうが、それくらいは甘受するんじゃぞ。何せ」
じろりと老医師はシュナードを見た。
「十代の子供ならまだしも、お前さんたちみたいないい年の大人がやる遊びじゃない」
シュナードのみならず、ライノンも叱られたようだ。
「いやもう、全くだな。反省してるとも」
「子供たちに何もなくて本当によかった。女の子まで連れるとは」
「悪かった。俺が馬鹿だった」
いささか無理のある作り話だったが、シュナードが大馬鹿だということで医師の怒りを――休憩時間を奪われたことも含め――引き受けて済むなら別にそれくらいの不名誉はかまわなかった。
「この兄さんの様子は見ておく。お前さんたちを休ませる寝台まではないから、朝になったらまたきなさい」
「助かった。いい先生に会えてよかったよ」
「ふん、世辞を言っても治療費は負からんぞ」
「あー、はいはい」
これは誰が払うのだろうか、ライノンに払わせるのも気の毒だが、自分が出すのも少々納得がいかない、などとシュナードがけち臭いことを考えたとき、レイヴァスが進み出た。
「僕が出そう」
「おっ?」
「いいえ、私が出すわ」
ミラッサも進み出た。
「おおっ、どうしたんだお前たち。殊勝じゃないか」
思わず彼が言えば三人から――少年少女と、医師も――きつい視線を浴びた。
「僕に責任があるとは思わないが、この男は僕を訪れてきたのだからな」
「お金ならあるわ。必要なだけ使うことは気にならない」
「子供たちに出させる気か。それでも大人の男か、お前さんは」
「ううっ」
「僕は子供じゃない!」
「私は子供じゃないわ!」
「医者の先生にまで噛みつくな、お前らは!」
一気に疲労感が増した。シュナードは息を吐いてうなだれる。
「金のことは、あとで話そう」
ライノンも自分で払うと言い出しそうだし、仲良く四人で分けるのが無難だろうか、などとシュナードは考えた。四分の一なら彼の懐もそれほど痛まず済みそうだ。
「お前は功労者なんだ。出す必要はない」
きっぱりとレイヴァスは言い切った。
「功労……」
(意外な判定が出たもんだ)
(確かに剣を振るったのは俺だが、こいつだって戦ったと言えるほど魔術を使ったし、追い払ったのはあの光の球だってのに)
「僕が出す」
レイヴァスはまた言った。
「ミラッサも、異論はないな」
「は……え、ええ」
こくりと少女はうなずいた。
(お?)
(さっきもちらっと思ったが、こりゃライノンの推測はあながち的外れでもないのかもしれんな?)
レイヴァスだって知性的な美少年と言えなくもない。いや、言動のせいでシュナードには小生意気としか見えないが、顔立ちは整っていると言っていい。まだ幼い雰囲気のところもあるが、このまま上手に三年も育ち、かつ口が巧くなれば、女たちが取り合いをはじめるかもしれない。
(いや、女の感覚は判らんからな)
(案外このままでも、冷たくて厳しいことばかり言うのがイイ、とか)
(この嬢ちゃんもそういうクチかもしれんぞ)
もしかしたらレイヴァスと会ったばかりというのは嘘で、実は前から見初めていて、どういう人物か調べようとしたら英雄と同姓であると知り、万一のことがあっては嫌だから剣を覚えてほしいと思ったとか――。
(まあ、いささか、想像が過ぎるが)
(レイヴァスがびしっと言うと黙る傾向は実際、あるみたいだな)
ミラッサをやり込めるには使えそうだが、レイヴァスの方が増長してはますますやりにくい、などとシュナードは今後の対応について考えている内、少年は本当に治療費を払ってしまった。医師も何か事情があると思ったか、はたまた余計なことを言って支払いを渋られたら困るとでも思ったか、それ以上口は挟まずに正当な報酬を受け取った。
そうしてシュナードは少年少女の保護者よろしく〈暁の湖面〉亭に戻り、黒い血のついた衣服を処分して――これだって出費だ――数少ない手持ちのほかの服に着替えてから、併設されている食事処でようやく夕飯を取れることとなった。
レイヴァスのみならずミラッサも小食なのか、はたまたこんな庶民の食事処ではお気に召さないのか、ほとんど何も頼もうとしなかったので、仕方なくシュナードが適当に注文をした。
「ところでこれまでどうしてたんだ」
シュナードは揚げ鶏を口に放り込みながらミラッサに問うた。
「ぴたっと訪問をやめてたそうじゃないか」
「どうしてもやらなくてはならないことがあったのよ」
少女はライファム酒の杯をもてあそびながら答えた。
「どんなことだ?」
「お前には関係ないわ」
(やっぱりな)
このふたりは似た者同士で仲良くやればいいのではないかと考え、絶対に巧くいかないだろうなというところまで想像した。
「ん、レイヴァス。食えよ」
シュナードは小鉢を少年の前に引っ張った。
「汁物くらいなら入るだろ。お前用に注文したんだぞ」
「要らない」
「好き嫌いをすると大きくなれんぞ?」
「馬鹿者」
茶化した台詞にいつもの容赦なく直接的な言葉が飛んでくる。
「不要だと言っているんだ。僕はあまり食べないんだと言っただろう」
「だからこういうのにしてやってるんじゃないか。何も豚の丸焼きを全部食えなんて言ってない」
「それがお前の、勘定の合わせ方か?」
「そうそう。覚えてるじゃないか」
にやりとシュナードは
「何の話よ?」
ミラッサが口を挟む。
「ああ、別に大したことじゃ」
「私抜きでどれだけレイヴァスと話したの?」
「あ?」
「私の知らない話がたくさんあると言うの?」
(何じゃこりゃ)
(やきもちか?)
だとすれば可愛いもの、いや、可愛くないだろうか。シュナードは今日一日でそうした価値基準がさっぱり判らなくなったように思った。
「まあ、そんなに話しちゃいない。あれ以来、俺もこいつには近寄ってなくて、今日たまたま」
シュナードふっと言葉を切った。
(そうだ)
(たまたま訪れた途端、化け物が二体も)
偶然なのか。彼の「勘」が働いたのか。それとも、何者かの作為が。
前者ふたつについては確かめる術はない。最後のひとつについては、いまは判らないとしか。
「それにしても」
ひと通り食べて落ち着くと――主にシュナードが、だが――彼は酒杯に手を伸ばした。
普段はアスト酒のような強い酒をたしなむが、いまはまだ明瞭な頭でいたいのと、同時に飲まなければやってられないと思うのとで、女子供が飲むような軽いライファムで間を取ることにした。
「今日の出来事は異常だ。異常の連続だ。事情をいちばん知ってるのは嬢ちゃん、間違いなくあんただな」
シュナードはミラッサを杯で指した。
「話してもらおうか? 話せる範囲で、いいが」
一応、譲歩はしておいた。
「その……」
少女は辺りを見回した。
「人前じゃ話しづらいか? なら部屋の方に」
「ここでいい」
とレイヴァスが言う。
「声を外に洩らさない術を編んだ。どんな不穏な、それとも素っ頓狂な話でも、隣の客や給仕が興味を示すことはない」
「……それってのは、傍から見ると、口ぱくぱくさせてるだけってことか?」
却って興味を示されるのではないか、とシュナードは少々思った。
「これだけ騒がしい場所なら、こちらにも判るくらいに僕らを観察して、かつ聞き耳を立ててでもいない限り気づかない。だが気になるなら、適当な雑音を出しておいてやる」
「そんなことまで」
「できる」
むすっとレイヴァスは言った。
(何だかんだ言ってこいつ)
(いっぱしの魔術師みたいじゃないか)
レイヴァスの性格からすると、自分の能力を過小にも過大にも言いそうにない。できると言うならできるのだし、大した魔力ではないと言うのならそうなのだろう。
(こいつ程度で大したことがないなら)
(いったいエレスタンってのはどれだけの)
試しに考えてみたが、彼の想像力ではどうにも難しかった。
「それで、ミラッサ」
とん、とレイヴァスは指で卓を叩いた。
「お前があれらの化け物を呼び込んだのか?」
「おっと」
様子をうかがうこともなく直接的にぶつける少年に戦士は目をしばたたいた。
「ま、まさか! そんなこと、するはずがないわ!」
少女は驚いて叫んだ。
「私はあなたに、身を守ってもらうために、剣を覚えてほしいと思っているのよ?」
「そう言っていたな。だがその目的が不明瞭だ。いや、不明瞭だった」
レイヴァスはミラッサを冷たく見た。
「お前は僕をアストールの子孫と考え、エレスタンの関係者が僕を狙うと考えた。殊に前半が的外れであることは、いまはさておくとしよう。だが納得がいかない。ひとつ」
彼は指を一本立てた。
「お前が魔術王の復活を真実だと考える理由は?」
「星辰がそれを定めているわ」
それが少女の答えだった。
「ただのお伽話じゃないのよ。エレスタンが目覚めることは定まっているのだから」
「定まってるったって」
シュナードは顔をしかめた。
「封印、されてんだろう?」
「一度封じたら永遠というものではないわ。何のためにアストールが子孫に口伝をしたと思うの」
「……んじゃ、まさか」
「そのまさかよ。時間が経てば封じは緩むの。たとえ頑丈な縄で何重に結んでも、その縄が朽ちていっては意味がないでしょう」
「新しい縄で結び直さなくちゃならん、ってことか」
ううむ、とシュナードは両腕を組んだ。
「英雄の血筋が見失われているとすると、口伝も」
「途絶えているはずよ」
ミラッサはうつむいた。
「だからこそ、いま必要なの。アストールの子孫が」
「僕は違う」
ふん、と少年は唇を歪めた。ミラッサは沈黙した。
(言っちゃならん、のだよな?)
(つまり、説得する訳にはいかないと)