第二話 黒い髪の少女
文字数 2,018文字
四方を山々で囲まれた、魔国ガルフバーンは別名「砂漠の奇跡」と言われている。
領土の四分の三が砂漠で占められているにもかかわらず、その中央に位置するムーナクト 湖のおかげで繁栄を得た。
生活に必要な水の確保はもちろん、湖から揚がる豊富な水産物を主とした交易の拠点となり、隊商の中継地としても重宝されていた。
人が集まり、物が集まる、王都モスタディア。
照りつける陽射しの中、この日も市場通り は多くの人で賑わっていた。
二日目の闘技も勝利を収めたブリディフは、僧衣を着替えて宿代わりにしている家へと向かった。
師から紹介されたその家の主人は腕のいい魔道衣職人で、王宮近くで店を営んでいた。十数年前に師が魔道闘技会に参加した折、傷んだ僧衣を繕ってもらったことが縁と聞いている。
赤みを帯びた土レンガの道からは靄 のように熱気が立ち上る。
湖から吹く風が心地よいとはいえ、山育ちの彼にはいささか堪 えた。
「お姉さん、うちの薄焼きパ ンは美味いよ。一つ、どうだい!」
市場通り へ入ると、威勢のいい売り子の声が響いていた。
腹も空いたことだし、何か食べてから帰るか。
それに――
彼は背中への視線が気に掛かっていた。
闘技場を出て間もないころから、ずっと感じている。
しかし、振り返ることなく、通りに並んでいる露店に目をやりながら歩く。
店先にはモスタディア名物の魚の干物 や干し肉、ヤシの実 に魔道杖と、様々な品が並んでいた。
「ウチの焼き魚は美味しいから食べていきな」
声に釣られて振り向くと、石積みの柱に掲げられた一枚板に『銀猫亭』とあった。
おばさんの愛想のいい笑顔に誘われるまま、ブリディフは奥へと入っていく。
路地角に面したこの店は壁も少なく開放的な造りになっていて、香ばしい匂いが漂っていた。
通りを見渡せる席に座り、品書きを見る。
「ここの名物は何ですか」
「そりゃあ、姫鱒 の香草焼きだよ。これはモスタディア一 の美味しさだね」
店自慢の品を頼み、通りへと目をやると、こちらを伺う一人の少女がいた。
年のころは十二、三といった所か。
この国の者にしては珍しい黒い髪をしている。
彼女だったのか。
ブリディフと目が合うと、悪戯が見つかってしまったかのように「あっ」と小さく口を開けた。
それでも、彼がほほ笑むとはにかんだ笑顔を見せた。
おばさんにひと声掛けて、席を立つ。
「こんにちは。私に何か用があるのかな」
「わたし、さっきの闘技を見て、あなたのことが気になっちゃって」
「ほぉ、それはうれしいね。ありがとう」
「あの魔道、梟 だったでしょ?」
その言葉に彼は驚いた。
「ここは暑いし、よかったら中で話を聞かせてくれないか」
「あら、妹さんも一緒だったのかい」
銀髪の彼とは全く似ていないのに、そう笑いながら水を持ってきた。
おばさんが離れてから、あらためて少女に話しかける。
「私はブリディフ。君はモスタディ アに住んでいるの?」
「いいえ。わたしはカリナミラ、カリナって呼んで。ここにはお父さんと一緒に闘技会を見に来たの」
「一人で出てきたら、お父様が心配してるよ」
「大丈夫。お父さん、今は忙しいから」
にっこり笑うと、器の水に口を付けた。
「カリナはどうして梟 だと思ったのかな?」
あの魔道は思念波となって攻撃するので、目で見えるものではない。
そもそも砂漠で暮らしている人々の多くは、梟の存在さえ知らないだろう。
「うーん、何となく。急にさっと現れて」
「あれが見えたのか」
「いいえ、そう感じただけ。森で獲物を襲うのを見たときと似ていたからかな」
「君も山の生まれなんだね。私はルンディガだよ」
「やっぱり。きっと山の人なんだと思った。私はトゥードムよ」
北の山間にあるルンディガと反対に、南の山岳地帯にあるのがトゥードムだ。
羊 や山羊 の飼育が盛んな地域でもある。
そこに料理が運ばれてきた。
「いい匂い」
「よかったら一緒にどうぞ」
山で育った二人には、魚料理というだけで珍しい。
姫鱒 の表面の皮は香ばしく焼かれ、紅色の身はふっくらとしていた。
口に含むと香草の香りが広がり、魚特有の匂いも感じさせない。
「美味しい」
「これは旨い。さすがに自慢の一品だというだけある」
彼がおばさんの方へ振り返ると、彼女は親指を立てて片目をつぶった。
「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」
「カリナが私の魔道を気に入ってくれたお礼だよ」
「頑張ってね。あなたのことを応援しているから」
「ありがとう。頑張るよ」
「でも、あなたのことは二番目だけどね」
意味が分からず、ブリディフは小首をかしげる。
「一番はお父さん。お父さんも闘技会に出ているの」
「そうだったのか。なるほど」
きっとこの少女も父から魔道の教えを受けているのだろう。
だから梟 にも気づいたんだな。
「して、お父様のお名前は?」
「ヴァリダンよ。対戦することになったらお手柔らかにね」
カリナは笑いながら手を振り、闘技場への道を走って行った。
領土の四分の三が砂漠で占められているにもかかわらず、その中央に位置する
生活に必要な水の確保はもちろん、湖から揚がる豊富な水産物を主とした交易の拠点となり、隊商の中継地としても重宝されていた。
人が集まり、物が集まる、王都モスタディア。
照りつける陽射しの中、この日も
二日目の闘技も勝利を収めたブリディフは、僧衣を着替えて宿代わりにしている家へと向かった。
師から紹介されたその家の主人は腕のいい魔道衣職人で、王宮近くで店を営んでいた。十数年前に師が魔道闘技会に参加した折、傷んだ僧衣を繕ってもらったことが縁と聞いている。
赤みを帯びた土レンガの道からは
湖から吹く風が心地よいとはいえ、山育ちの彼にはいささか
「お姉さん、うちの薄
腹も空いたことだし、何か食べてから帰るか。
それに――
彼は背中への視線が気に掛かっていた。
闘技場を出て間もないころから、ずっと感じている。
しかし、振り返ることなく、通りに並んでいる露店に目をやりながら歩く。
店先にはモスタディア名物の
「ウチの焼き魚は美味しいから食べていきな」
声に釣られて振り向くと、石積みの柱に掲げられた一枚板に『銀猫亭』とあった。
おばさんの愛想のいい笑顔に誘われるまま、ブリディフは奥へと入っていく。
路地角に面したこの店は壁も少なく開放的な造りになっていて、香ばしい匂いが漂っていた。
通りを見渡せる席に座り、品書きを見る。
「ここの名物は何ですか」
「そりゃあ、
店自慢の品を頼み、通りへと目をやると、こちらを伺う一人の少女がいた。
年のころは十二、三といった所か。
この国の者にしては珍しい黒い髪をしている。
彼女だったのか。
ブリディフと目が合うと、悪戯が見つかってしまったかのように「あっ」と小さく口を開けた。
それでも、彼がほほ笑むとはにかんだ笑顔を見せた。
おばさんにひと声掛けて、席を立つ。
「こんにちは。私に何か用があるのかな」
「わたし、さっきの闘技を見て、あなたのことが気になっちゃって」
「ほぉ、それはうれしいね。ありがとう」
「あの魔道、
その言葉に彼は驚いた。
「ここは暑いし、よかったら中で話を聞かせてくれないか」
「あら、妹さんも一緒だったのかい」
銀髪の彼とは全く似ていないのに、そう笑いながら水を持ってきた。
おばさんが離れてから、あらためて少女に話しかける。
「私はブリディフ。君はモ
「いいえ。わたしはカリナミラ、カリナって呼んで。ここにはお父さんと一緒に闘技会を見に来たの」
「一人で出てきたら、お父様が心配してるよ」
「大丈夫。お父さん、今は忙しいから」
にっこり笑うと、器の水に口を付けた。
「カリナはどうして
あの魔道は思念波となって攻撃するので、目で見えるものではない。
そもそも砂漠で暮らしている人々の多くは、梟の存在さえ知らないだろう。
「うーん、何となく。急にさっと現れて」
「あれが見えたのか」
「いいえ、そう感じただけ。森で獲物を襲うのを見たときと似ていたからかな」
「君も山の生まれなんだね。私はルンディガだよ」
「やっぱり。きっと山の人なんだと思った。私はトゥードムよ」
北の山間にあるルンディガと反対に、南の山岳地帯にあるのがトゥードムだ。
そこに料理が運ばれてきた。
「いい匂い」
「よかったら一緒にどうぞ」
山で育った二人には、魚料理というだけで珍しい。
口に含むと香草の香りが広がり、魚特有の匂いも感じさせない。
「美味しい」
「これは旨い。さすがに自慢の一品だというだけある」
彼がおばさんの方へ振り返ると、彼女は親指を立てて片目をつぶった。
「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」
「カリナが私の魔道を気に入ってくれたお礼だよ」
「頑張ってね。あなたのことを応援しているから」
「ありがとう。頑張るよ」
「でも、あなたのことは二番目だけどね」
意味が分からず、ブリディフは小首をかしげる。
「一番はお父さん。お父さんも闘技会に出ているの」
「そうだったのか。なるほど」
きっとこの少女も父から魔道の教えを受けているのだろう。
だから
「して、お父様のお名前は?」
「ヴァリダンよ。対戦することになったらお手柔らかにね」
カリナは笑いながら手を振り、闘技場への道を走って行った。