第六話 魔導士の死
文字数 2,195文字
月明かりに照らされた白い砂々に囲まれ、黒い魔闘技場が息をひそめて佇んでいる。
外 の駱駝 たちも静かに休んでいるようだ。
明り取りから射し込む柔らかな光を頼りに食堂へと入っていく者がいる。
そして、音を立てないようにゆっくりと階段を上っていった。
陽が昇り始めれば、すぐに熱波は戻ってくる。
エクスが食堂へ行くと、既にクウアが朝食の支度を始めていた。
今朝の彼女は髪を結い上げ、かんざ しで留めている。
「おはようございます。食事までもう少し時間が掛かりますから、お待ちください」
彼からの挨拶にそう答えると、すぐに厨房へと入っていった。
細く切り取られた空と砂を眺めている彼は、近づく影に気がつかない。
「お主も早いのぉ。儂が一番だと思っとったのに」
ブリディフは寝着に肩掛けを羽織っている。
「すいません。考え事をしていて気付きませんでした」
「今日のことか。まぁ無理もない」
「よく眠れましたか」
「あぁ。寝る前に駱駝 の様子を見てから、部屋に戻ってぐっすりじゃよ」
次にやって来たのはアーサだった。
眠りが浅かったのか、赤い目をしている。
「お二人とも早いですね」
三人は椅子に座り、この後に行われるメイガーン・ル・メイガーンの話を始めているところへクウアが声を掛けた。
「あの、そろそろ支度も終わりますが、先にお食べになりますか」
「いや、せっかくだからみなが揃うのを待つとしよう」
そこへウエンがゆっくりと入ってきた。
「いつもお待たせして申し訳ありません」
入り口で深々とお辞儀をする彼女に、「構わんよ。そなたが最後ではないからのぉ」とブリディフが答えた。
「あら、ほんと。ディカーンさまがお見えになっていないのですね。お声を掛けて参りましょう」
そのまま今降りてきたばかりの階段を上っていく。
突然、穏やかな朝のひと時を切り裂く悲鳴が響いた。
「なんだ」
「ウエン殿!」
食堂にいた三人がすぐに二階へと急ぐと、階段を上がった所にウエンが立ちすくんでいる。
「どうしたんですか」
エクスの声に、震えながらただ指をさすだけ。
その先には寝台の上であおむけに横たわるディカーンの姿があった。
「お声を掛けても返事がないので、失礼して開けてみたら……」
寝ているのではないことが誰の目にも明らかだ。
彼の口の廻りは赤黒く染まり、シーツにまで大きく広がっている。
身体の中央には短剣が墓標のようにまっすぐと立っていた。
「何と言うことだ……」
呆然としながらもブリディフとアーサが部屋の中へ入る。
最後に上がってきたクウアも、変わり果てた彼の姿を見て驚きの表情を浮かべていた。
「よもや、こんなことが起きるとは」
ブリディフは短剣に手を掛け、力を入れて引き抜いた。
血は既に乾いて固まっている。
「それはディカーン様のものでしょうか」
おそるおそる尋ねたエクスにアーサが答える。
「いや、あそこに置いてある腰帯に短剣が残っている。これは食堂にあった古武具ではないでしょうか」
「恐らくそうじゃろう」
アーサはディカーンにシーツをかけてあげた。
「ひとまず下へ降りよう」
ブリディフが部屋の扉を静かに閉めた。
みな、椅子に座ったまま。
沈黙が支配している。
やはり食堂の壁からは短剣が一つなくなっていた。
「さきほど、儂が見たあの部屋の映像を王宮へ送った」
ブリディフが静かに話し始めた。
「今頃はあちらも大騒ぎであろう。すぐに官吏がここへ送られるはず。おそらく軍からもな」
口を挟むものは誰もいない。
「しかし、駱駝 でどんなに急いだとしても二日は掛かる。それまでは、ここにいてもらおう」
「やはり、殺されたのでしょうか」
恐る恐るエクスが切り出した。
「あの御仁 が自ら死を選ぶと思うか」
黙って首を横に振る。
「では、何者かが忍び込んだのでは」
「それもない」
アーサの問いかけは切って捨てられた。
「玄関ホール の扉を最後に閉めたのは儂じゃ。間違いなく、閂 もかけた。闘技場への入り口は錠を掛けていないようだが、四タルザン(約六メートル)もの高さを乗り越えて、何者かが入ってくることはないであろう。明り取りもあの幅では誰も通れぬ」
ブリディフの言葉が意味するもの、それは誰もが認めたくないものだった。
「ディカーン殿を殺した者は、この中におるということだ」
「まさか! そんなはずはありません」
エクスが立ち上がって叫んだ。
「だって、あの人を殺す理由なんてないじゃないですか」
「そんなことはないわ」
「えっ!?」
驚いてウェンを見る。
「彼はメイガーン・ル・メイガーンの候補の一人。彼がいなくなって得する者は、ここに三人いるから」
「本気で言ってるんですか!」
「少なくとも、モスタデ ィアから来る官吏たちはそう考えるでしょう。特にあなたは風 の魔導士だから、疑われると思うわ」
「僕は殺してなんかいませんっ」
「あなたのことが怪しいと言ってるのではなく、そう思われても仕方のない立場だと言っているのです」
「そう言うウェン様だって、短剣を扱えると言っていたじゃないですか。ディカーン様からも言い寄られていたみたいだし」
「わたくしは何もしていませんっ」
「僕もです!」
「よさんか二人とも。真実は何一つ分かっていないのだ。儂も含めてここにいる五人が疑われるのは致し方ない、そうであろう」
大きく深呼吸をして、エクスも再び座る。
陽は既に高くなり、砂と共に熱波が吹き込んでいた。
明り取りから射し込む柔らかな光を頼りに食堂へと入っていく者がいる。
そして、音を立てないようにゆっくりと階段を上っていった。
陽が昇り始めれば、すぐに熱波は戻ってくる。
エクスが食堂へ行くと、既にクウアが朝食の支度を始めていた。
今朝の彼女は髪を結い上げ、か
「おはようございます。食事までもう少し時間が掛かりますから、お待ちください」
彼からの挨拶にそう答えると、すぐに厨房へと入っていった。
細く切り取られた空と砂を眺めている彼は、近づく影に気がつかない。
「お主も早いのぉ。儂が一番だと思っとったのに」
ブリディフは寝着に肩掛けを羽織っている。
「すいません。考え事をしていて気付きませんでした」
「今日のことか。まぁ無理もない」
「よく眠れましたか」
「あぁ。寝る前に
次にやって来たのはアーサだった。
眠りが浅かったのか、赤い目をしている。
「お二人とも早いですね」
三人は椅子に座り、この後に行われるメイガーン・ル・メイガーンの話を始めているところへクウアが声を掛けた。
「あの、そろそろ支度も終わりますが、先にお食べになりますか」
「いや、せっかくだからみなが揃うのを待つとしよう」
そこへウエンがゆっくりと入ってきた。
「いつもお待たせして申し訳ありません」
入り口で深々とお辞儀をする彼女に、「構わんよ。そなたが最後ではないからのぉ」とブリディフが答えた。
「あら、ほんと。ディカーンさまがお見えになっていないのですね。お声を掛けて参りましょう」
そのまま今降りてきたばかりの階段を上っていく。
突然、穏やかな朝のひと時を切り裂く悲鳴が響いた。
「なんだ」
「ウエン殿!」
食堂にいた三人がすぐに二階へと急ぐと、階段を上がった所にウエンが立ちすくんでいる。
「どうしたんですか」
エクスの声に、震えながらただ指をさすだけ。
その先には寝台の上であおむけに横たわるディカーンの姿があった。
「お声を掛けても返事がないので、失礼して開けてみたら……」
寝ているのではないことが誰の目にも明らかだ。
彼の口の廻りは赤黒く染まり、シーツにまで大きく広がっている。
身体の中央には短剣が墓標のようにまっすぐと立っていた。
「何と言うことだ……」
呆然としながらもブリディフとアーサが部屋の中へ入る。
最後に上がってきたクウアも、変わり果てた彼の姿を見て驚きの表情を浮かべていた。
「よもや、こんなことが起きるとは」
ブリディフは短剣に手を掛け、力を入れて引き抜いた。
血は既に乾いて固まっている。
「それはディカーン様のものでしょうか」
おそるおそる尋ねたエクスにアーサが答える。
「いや、あそこに置いてある腰帯に短剣が残っている。これは食堂にあった古武具ではないでしょうか」
「恐らくそうじゃろう」
アーサはディカーンにシーツをかけてあげた。
「ひとまず下へ降りよう」
ブリディフが部屋の扉を静かに閉めた。
みな、椅子に座ったまま。
沈黙が支配している。
やはり食堂の壁からは短剣が一つなくなっていた。
「さきほど、儂が見たあの部屋の映像を王宮へ送った」
ブリディフが静かに話し始めた。
「今頃はあちらも大騒ぎであろう。すぐに官吏がここへ送られるはず。おそらく軍からもな」
口を挟むものは誰もいない。
「しかし、
「やはり、殺されたのでしょうか」
恐る恐るエクスが切り出した。
「あの
黙って首を横に振る。
「では、何者かが忍び込んだのでは」
「それもない」
アーサの問いかけは切って捨てられた。
「
ブリディフの言葉が意味するもの、それは誰もが認めたくないものだった。
「ディカーン殿を殺した者は、この中におるということだ」
「まさか! そんなはずはありません」
エクスが立ち上がって叫んだ。
「だって、あの人を殺す理由なんてないじゃないですか」
「そんなことはないわ」
「えっ!?」
驚いてウェンを見る。
「彼はメイガーン・ル・メイガーンの候補の一人。彼がいなくなって得する者は、ここに三人いるから」
「本気で言ってるんですか!」
「少なくとも、モス
「僕は殺してなんかいませんっ」
「あなたのことが怪しいと言ってるのではなく、そう思われても仕方のない立場だと言っているのです」
「そう言うウェン様だって、短剣を扱えると言っていたじゃないですか。ディカーン様からも言い寄られていたみたいだし」
「わたくしは何もしていませんっ」
「僕もです!」
「よさんか二人とも。真実は何一つ分かっていないのだ。儂も含めてここにいる五人が疑われるのは致し方ない、そうであろう」
大きく深呼吸をして、エクスも再び座る。
陽は既に高くなり、砂と共に熱波が吹き込んでいた。