Prologue

文字数 916文字

 トーマス・エジソン。
 一八四七年二月十一日生まれ。一九三一年十月十八日没。
 坂本龍馬。
 天保六年十一月十五日生まれ。慶応三年十一月十五日没。
 アドルフ・ヒトラー。
 一八八九年四月二十日生まれ。一九四五年四月三十日没。

 歴史に記録される<生>や<死>は、おそろしく明解だ。
 だが、自分自身の<生>や<死>は?

 誕生も死亡も、その瞬間は、ひどくぼんやりしている──。

 どこかで、そんな言葉を聞いた。
 でも、それは間違いだった。
 わたしは〈死んだ〉。
 そして、〈生まれた〉。
 この世界に──。

 ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ

 汽罐(ボイラー)の炎は、深紅。
 油にまみれた両手は、まっくろ。

 ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ

 早鐘を打つクランクとシャフト。
 漏れ出る蒸気は、悲鳴のよう。

「ほんとうに、大丈夫なんだろうなっ!?
 騒音の向こう。
 薄暗い小屋の戸口から、叫ぶ男の子。

 連結棒(ロッド)の往復運動は、(きし)歯車(ギア)の回転に。
 回転は、唸りをあげる発動機(ダイナモ)に。
「そろそろ、いきます!」
 わたしは声をはりあげる。
 床に据えつけた、腰の高さまである大きなレバーを、力を込めて倒す。
 バチッ!
 接触点から、青白い火花が散った。

「おおおい! 回ったぞお!」

 外で野太い声があがった。

──回った。
 
 動力小屋を飛び出す。
 ぽよんとした柔らかいものにぶつかる。
 ぽっちゃり体型の少年は、ひっくり返って何か(ののし)ったが、構うものか。
 隣の鍛治小屋の入り口には、女中仲間や庭師、車夫のおじさん──。
 その中で、ひときわ大柄な青年が、シャツの袖をまくって、手を振っている。
「成功だ!」
 勢い余って、わたしは青年に飛びつく。
 青年は、両腕で軽々とわたしを持ち上げると、フワリと鍛治小屋の入り口に立たせた。

 子供の背丈ほどの木箱が、ガタガタ震えている。
 引き込まれたローラーチェーンは、電動機のギアにつながれている。
 木箱の中から、ジャブジャブと水音が漏れていた。

──回った!

 車夫のおじさんが、指で頬を掻きながら言う。
「そんで──回ったが、どうした?」
 わたしは、真っ白な髪をなびかせて振り返った。
「これこそ──」
 唸りをあげる機械(マシン)の前で、わたしは宣言する。
「女中の革命!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ドイツ名、アンネ・フーバー。フランス名、アンヌ・ユベール。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み