幼少期の特性

文字数 1,701文字

幼少期のわたしの特徴について聞けば、身内の人間は口を揃えてこう言う。

「全く人見知りしない子供だった。」
「周りに誰がいても怖気付かない。」
「一人で静かに遊んでいる。」

わたしが覚えている幼少期のわたしは
指人形を両手につけて、指人形同士を対話させている自分。
周りに大人がたくさんいようと、床に這いつくばりたければ這いつくばり、動画で勉強がしたければ動画を一人で見ている自分。
母に連れられていったファミレスで、大人5人に囲まれて子供椅子に座り指人形同士を話させている自分。
何か大人に聞かれれば
「ライチュウが言った」と真顔で返す。
母は見向きもせず楽しそうに友人と話していた、と思う。

そういえば、わたしはレゴが好きだった。わたしの家にはたまたまレゴがなく、しかし特にレゴが欲しいと親にねだることもなく
レゴを持っている友人の家に連れられて行くたびに、バケツいっぱいに入っているレゴに飛び付き
友人と友人の母とわたしの母で団欒しているところ、別の暗い部屋で、家に帰る時間までずっと一人でレゴで遊んでいることもあった。

そしてわたしは、比較的頭のいい子供だった。
一人でABCの動画を見て日本語を書ける前から歳頃にはABCが書けたと言い
小学校を卒業するまでは、「ガリ勉」と呼ばれ、親が厳しかったこともあるが、100点を常にとっていないと気が気ではない子供だった。
3歳から9歳頃までは水泳、書道、合唱、ピアノ、バレエと習い事をして、9歳からは塾に通った。
小学校では魚編の漢字をどれだけ書けるかにこだわったり、47都道府県と県庁所在地の記憶などを楽しんだ。
しかし同時に、社会的な調和をとることはできず、休み時間の鐘が鳴り、何をしようかと机から顔を上げるとクラス全員いなくなっていることが日常で、奇数の人数でペアを作るときはいつでも一人余っており、先生が声をかけてもわたしとペアを組んでくれる人はいなかった。
毎度諦めて先生がわたしと組んでくれるので、わたしは
「先生はきっと上手だから、うまく学べる」
と嬉しかったし、先生という存在が好きだった。
休み時間には校庭のブランコでどれだけアクロバティックな技をかけられるかを追求し、大雨の日でもブランコに乗らなければと一人ブランコの練習をしては先生が追いかけてきて怒鳴られた。
学級委員だとか、係活動の選抜にも、もちろん何かに選抜されることなどはなく、最終的に残った係に割り当てられて、特別学級の生徒とたくさんの大人と写った写真のみがアルバムには収められている。

わたしが通っていた小学校では、度々いじめがあった。
わたしはいじめに加担することはなかったし、いじめられている子とも気兼ねなく話て、むしろいじめが起こっていることに気づかないような子供だった。
ある日、比較的仲の良かったMさんがいじめにあっていたようで、学年中がそれを知っており、親も度々そんなことを話していた。
わたしにはその状況がピンとこず、いつも通りMさんに話しかけていたし、彼女があまり学校に来ないことを不思議に思うほどだった。

ある日、親を通してか、Mさんがわたしに貸していた何かを返して欲しいと言っていると連絡が入った。
もちろんわたしは返す気満々で、手紙だったかメールだったか、その頃どのような連絡手段があったのか定かではないが
「それでは、明日の放課後、校庭の朝礼台の前で会おう」
とMさんに連絡をした。
記憶が曖昧だが、会う約束をした前日、母に呼び出され、なんてことをしたのだ。お前がMさんを個人的に呼び出したりするから彼女が怖がっている。一対一で会うなんて怖いに決まっているだろう、そんなこともわからないのか
と泣きながら怒鳴られたことだけを鮮明に覚えている。
わたしは自分の行為に全く悪気がなかった。むしろ学校に来ない彼女と、どこか学校の外で落ち合うことの方が現実的だとすら考えていた。
それを「常識的に考えておかしい行動」と言われたことは、後々の人生において
「自分がして欲しいことを相手にするという教えは、必ずしも正しいことではないのだ」
と考える土台を作り上げた。
そしてその経験から作り上げた理論に基づき、脳内にプログラム化した。
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