その三

文字数 2,256文字

「リ、[リバース]! あの般若を攻撃しろぉぉぉ!」

 だが、[リバース]は思い通りに動いてくれない。霧生の心が乱れているからだ。霧生の感じている恐怖が、霧生と[リバース]との絆に悪影響を及ぼしている。もちろんこれも堤の計算の内だ。

「はあ、はあ、は…。早くしろぉ…!」

 やっと[リバース]が動いた。その爪はいとも簡単に、般若を真っ二つに切り裂いた。だが、般若の傷は瞬く間もなくすぐに治っていく。今度は噛み付いた。しかし、般若が煙のように消えると別の所に現れる。

「むむむん無駄だ。血を吸われたら[フィアー]から逃れることはできない。それができた召喚師は、未だ出会ったことがないくらいだ」

 この後堤が取るべき行動は、さらに簡単だ。心優しそうな取引を持ちかけるのだ。まず、安心できることを耳元で囁く。いつもは式神に代弁させていたが、今は自分が呟く。

「怯えることはないんだ、霧生。恐怖っていうものは誰しも、心の中に存在する。君がその気なら、取り除いてあげよう。さあ、心から安心できる道をともに進もうじゃないか? そこには、恐ろしいものは何もないんだ。ただ一つ。言うことに従ってくれれば、何も失うことはないんだよ。君はきっと、何かを失いたくないだけだ。でも前に進めないのは、少しだけ怖いからだ。私が君の足となろう。二人三脚で構わないじゃないか? 誰かに笑われることもない。生きていること自体に、胸を張っていいんだよ」

 次に、脅しが入る。

「でももし、首を横に振るいうのなら…。すまないが助けてはあげられない。残念だけど、君には不幸になってもらうしかない。まずはご両親の命が危なくなるだろう。その他の家族もきっと手遅れになる。近いうちに、手元からなくなるだろう。それに君の大事な友達。彼らも手の届かぬところに行ってしまう。ああ、かわいそうに君のところには何も残らない。救ってあげられない。君は、いや君の一族は、この世から消えて無くなってしまうだろう。私は君の敵にならなければいけず、そうなると大事な人の命を奪わなければいけないのだよ」
「う、うう…」

 霧生の声がか細くなった。堤はそのトーンを聞いて、ニヤリとした。

(はっはーん、あと一息だ! それで全て上手くいく!)

 最後にまた、安心できる言葉を投げかけるのだ。

「いいかい、霧生? 『はい』と言うんだ。口が動かせないのなら、首で頷くだけでいいんだ。それだけで、十分だ。一緒に安心しようじゃないか。さあ、首を動かしてごらん? 簡単だろう? 私の言うことに従えば、それだけでいい。それ以上は求めないし、しなくてもいいんだ。でもそれだけで、全て、失わずに済むんだ。他の誰かが君を傷つけるというなら、私が一緒に退治してあげよう。約束する、君に危害は加えない。むしろ、守ってあげよう」

 霧生の口は、動かなかった。しかしそれは、堤に抗えているのではない。恐怖に耐え切れず、声が出せないのだ。

「…………………………………」

 首が、勝手に前に倒れようとしたその時だ。

「霧生よ、その者の言うことを聞いてはいかぬ」

 声がした。

「何だ?」

 辺りを見回す堤。だが、誰もいない。

「霧生よ、我を召喚しろ。今の貴様にできないとは言わせない。貴様が信じるべきはこの者の言うことではない。我ら式神との絆だ!」

 これは、[クエイク]の声だ。札に入った状態で霧生に話しかけているのである。

「ク、[クエイク]?」

 辛うじて声が出せた。式神の名を呼ぶことができたのだ。

「そうだ、霧生よ…。我を操ってみせるのではなかったのか? こんなチンケなチカラに屈するような召喚師ではないだろう」
「そうだ…」

 霧生の声が、段々と生き返っていく。

「そうだ! 俺は式神を操って勝利する! ただ一つの真実のために行動する! それだけだ!」
「ななな、な何だとぉおお?」

 腰を抜かしたのは、堤の方だった。

「式神が説得した? それでこの窮地を抜け出しやがった…。あ、あ、ありあ、ありえない! そんなことができる召喚師、いや人間は存在しない!」
「いいや、俺だぜ!」

 完全にいつものペースを取り戻した霧生は、もう恐怖していなかった。

「すまないな、[クエイク]。まさかお前に励まされるとは思ってもみなかったぜ」
「我もだ」
「ごめんな、[リバース]。俺のせいで……。でもこれから、はねのけてやろう! もう般若なんて怖くも何ともない!」

[リバース]が爪で、[クエイク]が触手で般若の幻覚を潰した。また煙のように消えては別の場所に現れる幻覚だが、それが薄くなって消えていく。

「そ、そんなバカなことが? [フィアー]のチカラが破られるなんて、できるわけが!」

 堤は仰天していて気づいていないが、この時破られていたのは[フィアー]だけではなかった。
 霧生の心は、平常を取り戻していた。
 呼吸も、安定していた。

「おいおい、どうしたそんなに額に汗かいて? 何か怖いものでもあるのかよ?」
「う、うぐぐ…」
「やれ、[クエイク]!」

 まずは[クエイク]が、堤を上に放り投げた。

「トドメだ! [リバース]!」

 そして堤に[リバース]が、体当たりをした

「オゲアルアタアアアアア!」

 堤は街路樹にぶつかり、気を失った。さすがの霧生も命を奪うつもりも、式神を破壊するつもりもない。これはこれで、放っておく。
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