人肌の似姿  1—4

文字数 1,590文字


「……本当に、一度もないのか?」

 かえりみると、エミールは首をすくめた。

「ご、ごめん……」
「ないんだな?」
「だって、あることにしとかないと、入れてもらえないと思って……」

 あのヤロウ。

 こういうときのための試験なのだ。
 使えるなら兵士として隊に入れる。ムリなら本人の希望で下働きとして使うか、輸送隊と帰らせるか。どちらかだ。

「まったく試験などしてないんだな?」

「中隊長に言って、代えてもらいますか? 今ならまだ、まにあうでしょう」と、ハシェド。

「そして、アイツに難くせつけられるのか? あのしつこい小隊長に」
「わかってますよ。でも……」

「しかたない。しばらく、こいつで我慢しよう。二、三日使ってから、配置替えを申請する。本人の希望ということにして」

 エミールがつぶやく。

「おれは兵隊がいいんだけど」
「おまえに選択の余地はない。死んでもいいのか?」
「いいよ」

 エミールが目をふせる。
 ワレスは吐息をついた。

「ここには死にたがるヤツはいらない。今日からでも剣の稽古(けいこ)をさせる。わかったな?」

 エミールは上目づかいにこっちを見ている。
 ワレスは再度、吐息をついた。

「食事は?」
「まだ」
「まだです、と言え」
「まだです」

「ハシェド。食堂へ案内してやれ」
「わかりました」

 ハシェドがエミールをつれていく。
 ワレスは三度めの吐息とともに見送る。

(よりによって、剣をにぎったこともないだと? あの厄病神)

 ワレスだって、自殺するために砦まで来たわけではない。子どものころから剣の練習はしていた。皇都の騎士学校も卒業した。いちおう、自分にもやれそうだと思ったから来たのである。

 エミールのは無謀ですらない。ただの自殺行為だ。

 気をとりなおし、ワレスはベッドの下から旅行カバンをひっぱりだした。
 皇都に手紙を送らなければならない。それが紹介状を書いてもらったときのジョスリーヌとの約束だ。


 親愛なるジョスリーヌへ

 おかわりありませんか? 私は無事です。換金券を送ります。いつものように二割をリュスターに渡してください。あなたのご健勝を祈っています。

 永遠の友情をこめて
 ワレス


 味もそっけもない手紙。
 留守宅の管理をまかせている執事に賃金を払うよう頼んで、換金券とともに封筒に包んだ。

 そのあと、まどろっこしい裾長の衣服を、ふだん着に着替える。たたんでカバンにしまうとき、ワレスの手は無意識に底のほうに伸びた。

 指さきに、かたい感触。
 クサリのついた銀のロケットが出てくる。懐中時計ほどの大きさだ。

 ワレスは銀のふたをなでた。あけるかどうか逡巡(しゅんじゅん)する。

 ドウスル? アケル? アケテミル?
 アケテミタクハナイ?

「ワレス隊長」
 とつぜん、声をかけられた。

 ワレスはあわてて、ロケットを底のほうへ押しこむ。ゆっくりとカバンをしめ、カギをかけ、ベッドの下にしまう。

 ハシェドが戸口に立っていた。

「急に声をかけるな。びっくりする」
「隊長でもおどろくんですね。一人でいいと言うので、エミールは食堂に置いてきました」

 ハシェドにワレスを怪しむようすはない。
 ワレスはホッとした。

(なんだってあんなものを、今……)

 あんなもの。ゴミだ。
 みずから捨ててきた家族の肖像なんて。

 七つの年に帰る家を失ったワレスが、たったひとつ、冷たくなった父のふところから持ちだしたもの。
 赤ん坊のワレスを抱いた父と母の肖像。

 いつも飢えていた少年時代。
 酔うとワレスをなぐった父。
 売られていった弟。
 死んでしまった妹。
 家族にいい思い出なんてない。

 これまで、どんなにつらいことがあろうと、このロケットをあけてみたことはなかった。

(それなのに……)

 ぼんやりしてると、ハシェドの声がした。

「どうしましたか? 隊長」
「なんでもない」

 ワレスはハシェドとともに前庭へむかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

わけありのすえ、辺境の砦まで流れついた薄幸の美青年。もとジゴロ。

ハシェド


ワレスの部下。おせっかいで世話好き。

わけありげなワレスを気にかけてる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み