封印の扉  1—2

文字数 1,513文字

 *


「ここを身投げの井戸と呼ぶのは、なぜだ?」

 翌日。
 ワレスはハシェドにたずねてみた。
 日はもう高いが、夜勤なので、これが起床時間。
 身投げの井戸の水で顔をあらいながら、ハシェドは眠そうに返す。

「もちろん、身投げするやつが多いからです」

 ハシェドはワレスより、一つ年上の二十八だ。南方のブラゴール系のハーフで、褐色の肌、(はしばみ)色の瞳。とてもエキゾチックな容貌。

 傭兵にはめずらしく人好きのする性格だ。そのせいで出世しないのかもしれない。砦に来て二年になるというが、いまだに(ひら)の兵士だ。

 冷たい、傲慢(ごうまん)と言われるワレスとは対照的だ。敬遠されがちなワレスにも、ゆいいつ親しく声をかけてくる。

「迷惑なことだな。おれたちはこの水を飲むのに」

 そう言うそばから、すくった井戸水を飲む。
 もちろん、ワレスは気になどしていない。ここでは、いちいち、そんなこと気にしてたら生きてはいけない。

「身投げと言っても情死です。おれが来てからは、まだないですが。数年に一度はあるらしいですね。それが決まって心中だというので、縁結びの泉だとか言う者もいるようですよ」

 ハシェドはなかなか情報通だ。砦のウワサはたいてい知っている。

「心中というと、砦の兵士と女官か?」
「そういう話です」

「ばかばかしい。恋に落ちたからって、なんで死なないとならないんだ。それほど愛しあってるなら、砦をやめて結婚でもなんでもしたらいい」

「砦に来るようなのは、男も女もわけありですよ。事情があるんでしょう」
「だからって、女一人のために命をすてる気持ちが、おれにはわからない」

 ハシェドは肩をすくめた。
「価値観の違いでしょうね」

 ハシェドには彼を愛してくれる両親がいる。兄弟もいる。敵国ブラゴールとのハーフだから、まったく苦労してないわけではないだろうが。

 しかし、ハシェドの両親は周囲の反感や偏見をものともせず、結婚にふみきった。深く愛しあう両親に育てられた子どもは、親と同じ価値観を愛に対して持つはずだ。

 ワレスにはそういう記憶がない。
 七つの年に家を出て、さまよったあげく、十六には女のヒモになっていた。ジゴロというやつだ。ダンスホールで女のパートナーをし、そのまま夜をともにすごす。ワレスを愛してくれる年上の女はいくらでもいた。

 父は飲んだくれのロクデナシだったが、ワレスに端麗な容貌をくれたことには感謝しなければならない。

 ユイラ人特有の陶器のように白くなめらかな肌。
 きゃしゃで優雅な体つき。
 神々の子孫とも言われる、甘く整った面ざしの美男美女。
 そういうユイラ人のなかでも、ワレスはひときわ容姿に恵まれていた。
 ユイラではめずらしい金色の髪と、鏡のように独特のきらめきを持つ青い双眸。


 ——おまえの瞳は氷の刃のよう。ふしぎと胸につきささる。


 貴婦人たちがそう評した射るような瞳は、死んだ父がゆいいつ、ワレスに遺してくれた財産だ。

「しかし、井戸はほかにもある。なのに、なぜか、心中はここにかぎられるのか」

 ワレスが問うと、ハシェドは困惑した。
「なんででしょうね。わかりません」

 前庭の二の丸よりに一つ。
 北の裏庭に一つ。
 城の地下にもあるという。
 身投げの井戸は、ほかにくらべれば小さなほうだ。それがなんとなく納得いかない。

 が、ハシェドがこう言ったので、ワレスの興味は急速に薄れた。

「とにかく、昨夜、ワレス隊長が見た女も、ここに願かけに来たに違いありませんよ。この井戸に願をかけると、恋が叶うという女官たちのウワサらしいですから」

 砦に来ても、女は女か。
 恋にまじない——
 明日、死ぬかもしれない身の上なのに。

 理解不能だ。

 ところが、その夜も、ワレスは井戸端に女を見た。
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

わけありのすえ、辺境の砦まで流れついた薄幸の美青年。もとジゴロ。

ハシェド


ワレスの部下。おせっかいで世話好き。

わけありげなワレスを気にかけてる。

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