第2話 抱いてやれ

文字数 2,175文字

今夜は仕事終わりに大学時代の友人岡本と、居酒屋で会う約束をしていた。先週、窓から夜景が眺められる個室のテーブル席を予約していたのだ。夜七時で駅前ということもあり、店に入ると既に混雑している。瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気のせいか、客はカップルが多いように感じた。

「棚橋」
一番奥にある間仕切りの羽目板(はめいた)から、岡本が顔を覗かせた。シャツの袖をまくった右手を上げ、手招きしている。
「悪い。いつも遅刻しちゃってるよな」
上着を脱ぎながら、ストライプ柄になっている手前の椅子に座った。岡本も着いたばかりで、まだビールしか注文していないと言う。店員を呼び、自分もビールと簡単な料理をいくつか注文した。
「聞いたぞ。最近、若い男の子と二人で暮らし始めたんだって? あれ、本当なのか」
岡本は早速身を乗り出し、興味津々というふうに話しかけてきた。全てを話す覚悟で来たので、観念するように息をついた。
「おまえとは付き合いが長いし、隠し事はしたくない。隠し事したところで、どうせすぐばれるだろうし。開き直って、全部を打ち明けることにするよ」

岡本の上司がゲイ向け風俗店の売り専ボーイにハマったと聞いて、ホームページを覗いてみたこと。すると以前コンビニで働いていた頃の仲間だった仁の写真を見つけたこと。それからライブチャットで話をしたり店を通じて会うようになったこと。仁がマッサージ師の学校に行くため学費を貯めていることを知り、力になりたいと思うようになったこと。

「これまで店の寮であるワンルームマンションに、同僚と二人で暮らしていたって言うんだ。寝る時も、一つの部屋に二段ベッドで二人で寝ていたらしい。それだったら、うちは妻子が出て行って部屋が余っているんだし、物置になっていた一部屋を片付けてそこに暮らすか? って話になった。幸いオーナーの許可も得られて、あいつも是非、と快諾してくれたんだ」
「ふうん」
岡本はテーブルに両肘をつき、両手を顎の前で組み合わせ、にやにやしている。
「おまえが警告した通り、ある意味男に走ったんだよ。おまえの上司と一緒でさ。俺は、馬鹿になったんだ。笑いたきゃ笑え。ただし俺はゲイじゃないし、性的な関係じゃ一切ないからな」
「俺のバカ上司とおまえとじゃ、わけが違うよ。おまえからはスケベ心というか、下心は一切感じないし。お互い支え合っている、いい関係なんじゃないか?」

お互い支え合っている…か。

「確かに、温人と会えない心の隙間を、あいつが埋めてくれていると実感しているよ。今朝もしっかり純和風の朝食を用意して食わせてくれてさ。明るいいい子で、一緒にいるだけで癒されている。お礼に、出来るかぎり面倒を見ていくつもりだよ」
妻だった香織が再婚し養子縁組したため、温人が混乱するという理由で面会させてもらえず、十箇月が経とうとしていた。

「人を傷つけるのも人だけど、人を救うのも人なんだよな」
岡本が、いいことを言った。それからズボンのポケットからスマホを取り出すと、風俗店のサイトにアクセスした。
「確か、じんくん、って言ってたよな。写真で見るといかにも腕力がありそうな、筋肉質のいい体してるな。おまえ、この子にいきなり押し倒されて、勝てる自信あるか?」
はあ? なんだ、それ。毎日筋トレして、鍛えているのは確かみたいだが。
「おまえにその気がなくても、この子はそうとは限らないって言いたいんだよ。まだ二十五歳の若い男の子なんだぞ。プロフィールを見ても、ゲイってはっきり書いてあるし」
「仁は、そんなことするような子じゃないよ。弟にしてください、とは本人からよく言われるけど。俺のこと、本当の兄貴のように思ってくれてるんじゃないかな」
岡本は、大きく溜息をつきながら、椅子の背もたれに体を倒した。
「棚橋」
「何?」
「抱いてやれ」
思わず、飲んでいたビールを喉に詰まらせ、大きく咳込んだ。
「ふざけんなよ。俺にそんなこと出来っこないとわかってて、からかって言ってるだろ。おまえ」
岡本は体を起こし、真顔を近づけ真剣な目つきを見せた。
「俺はこの子がおまえに惚れてて、期待して引っ越してきているように感じるんだよ。いいか。ゲイの人たちというのは、どんなに男っぽく見えたとしても、心は女なんだ。女と同じ目で、おまえを見ていると思っていたほうがいいんだよ。単なる俺の偏見かも知れないが」
今朝、裸にエプロン姿で「あなたあ」と甘えた声を出す仁を思い出した。

「ゲイの人たちのことはよくわからないけど…仁に限って、襲ってくるなんてことはないよ。店も今年いっぱいで引退させて、来年からは専門学校に通わせる予定なんだ。学費が足りない場合は、援助してやろうと思っている」
岡本はビールをわずかに飲んでから、息をつくと苦笑した。
「本気で惚れたな」
「そんなんじゃないよ。肉体関係を持つとかも、やっぱり考えられないし。俺の身勝手かも知れないけど、ただ、そばに置いておきたい。それだけなんだ」
「俺が仁くんなら、欲求不満になって暴れるかも…だけどな」
「本当に、いい子なんだよ」
「わかった、わかった。おまえが一緒に住むくらいなんだから、そうに決まってるよ。二人の世界なんだから、これからはもう何も口出ししない。このことは誰にも言わずに見守っているから、二人で仲良く、うまくやっていけよ」
苦言を(てい)しながらも、岡本は最後は笑顔でそう言ってくれた。

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