第5話

文字数 1,181文字

定時になり、私は会社を出て、1人駅へ向かう彼を追いかけた。彼に追いつくと私は「本当にありがとう」ともう一度感謝を伝えた。彼は笑顔で「やるべきことをしただけですよ。今日は一緒に帰りませんか?」と言ってくれた。私は彼がそう答えてくれるとどこかで期待していたのか、「じゃあ、あの時の焼肉屋へ行かないか?」という言葉がスッと口から出てきた。彼はもちろん断らなかった。
私たちが焼肉屋へ着くと、あの日と同じ席が空いているのに気づいた。私たちはそこに座り、あの日と同じものを頼んだ。肉がテーブルに置かれると彼はトングを取ったが、今度は私が彼からトングを取った。彼は「僕が焼くんでいいですよ」と言ったが、私が「今日は私が焼きたいんだ」と言うと彼は素直に引き下がった。そして私は彼に話し始めた。話すことはもう決まっている。私は彼に、最近彼に思ってたことや今までたまってた思い、私の性格や過去などを話した。もちろん仮面の話もした。今まで誰にも話せなかったことが、なぜか彼には話せる気がしたのだ。一通り話し終わると彼は、「僕たちってどこか似てますね」と言って笑った。私にはよく理解できなかった。仮面だらけの私と仮面を1枚も着けていない彼が一緒とは思えなかったからだ。私がそのことを彼に伝えると、彼は「いや、なんていうかその、性質的な話ではなくて構造的な話ですよ。普通はその先輩の言う仮面っていうのが数枚程度なんですけど、僕は異常に少なくて、先輩は多いみたいな」と言った。そこで私は彼の頭の良さも再認識した。そんな話をしながら焼肉を食べ終わると、私たちは店を出て歩き出した。
私は彼にどうしても言いたいことがあった。そしてそれを言うのには勇気が要ると思っていたが、緊張はとうに解けていた。「敬語を無しにしないか」と私は言った。彼は驚いて、しかし笑いながら「駄目ですよ、先輩の方が社会人歴も多くて歳も2個上なんですから」と言った。私はそんな彼を真剣に見つめながら、「友達になりたいんだ」と言った。正直、これは言った後少し引きずるくらい恥ずかしくなった。すると彼は「わかった」と少し申し訳なさそうに、でも嬉しそうにそう言った。そのときは駅から少し遠かったが、そこから駅に着くまで私たちは何も話せなかった。私の方は恥ずかしさであった。大の大人が顔を少し赤くしながら歩く姿など、見る方が恥ずかしいくらいだろうが、その時の私には私たちしかそこに存在しないように感じた。時々チラッと彼の方を見ると、彼は普段と変わらない顔をしていた。しかし前よりも優しく、緩んだような顔をしていた。
駅に着くと、改札口で別れる直前に彼が「じゃあまた明日ー!」と言った。私は「お、おう!」と碌に使ったこともない口調で応えた。私は駅のホームでも、電車の中でも、駅を出てからでさえも、何度も心の中でガッツポーズをとっていた。 
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