第10話『悩みの夜と決意の夜明け』

文字数 2,602文字

 部屋に戻っても結局 寝付けないままでいた。
 電気を灯さないまま、コリンは何度も、自分に問い掛けていた。
「もしトニが心変わりしたら、汽車から降りられないかもしれない」
 それは、コリンにとって、すごくショックで、残念な話のはずなのに。
「なのに どうして僕は、アディの言葉に ほっとしちゃったんだろう」
 どうして一瞬でも、トニが心変わりしてくれたらいいな、なんて考えちゃったんだろう。
 そう、コリンは あの時、「汽車から降りたくない」と願ってしまっていたのだ。いままでのコリンからしたら、あり得ない考えだった。コリンは ずっと、故郷に帰ることを夢見ていたのだ。ロバ頭のメル⁼ファブリが言う、ドッペルゲンガーだって、まったく恐れていない──はずだったのに。
「でも僕は、こうして、怖がってる。でも、何が怖いのか」
 それが、まったく わからないのだ。ただ もやもや した不安だけが、ちいさな胸の中に(ただよ)っていた。
 サイドテーブルに頬杖(ほおづえ)をついて、いつまでも答えにゆきつかない疑問を かき混ぜているだけ。でも、朝は来る。いつの間にか、枕元の窓は、やさしい朝日を受け入れていた。
 考え事で いっぱいの頭とは裏腹に、お腹は空っぽだったらしい。ぎゅるる と鳴る情けない音で、コリンは ようやく我に返った。
 室内を見渡して、朝が来ていたことを理解したコリンは、「ああ! 」と悲鳴を上げて立ち上がった。
「いま何時⁉ 」
 壁掛け時計を見ると、9時を示していた。
「仕事に遅刻しちゃう! 」
 スチュワートの制服に急いで袖を通すと、部屋から飛び出た。

 食堂車には珍しく、従業員全員が集合していた。普段この時間にいるのは、遅寝遅起きで有名なアントワーヌだけで、他の従業員たち、特に炭鉱夫たちは、早朝に食事を済ませているはずなのだ。
「あれ、みんな、どうしたの? 」
 と、コリンが質問を投げかけようとする前に、深刻な視線を一斉に向けられた。
 びっくりしてコリンが後ろに飛び退くと、追い詰めるようにしてアントワーヌが近付いてきた。
 みどり色の派手なスーツに身を包んみ、きちんと髪をなでつけた赤髪の指揮官は、ちいさなコリンを威圧的(いあつてき)に見下して、「遅かったな」と静かに言った。
「話したいことがあってな。お前を待っていたんだ」
「は、はい……」
 すっかり びくびく してしまったコリンは、導かれるまま、従業員たちの輪に加わった。
「さきほど、お前が ぼやぼや 寝ている間に、アダムとニックに近所の探索にいかせた」
 コリンを目の前に置いて、アントワーヌが(しゃべ)り出した。
「はあ……」
 むしろ眠れなかったんだけどなあ、とコリンは考えながら、相槌(あいづち)を打った。
「アディとニックが、探索してくれたんだ」
 部屋で悩んでいる間に、自分は あっさり、探索メンバーから外されていたのだと知る。暗い気持ちになるとともに、なんだか どこかで、やっぱり、安心している自分もいることに、コリンは気がついていた。
「でも、まじで その辺だけだけどな」
 アントワーヌから目配せされて、アダムが一歩前に出る。
「視界がよくなるところに行き着くまで、ニックと歩いてみた。まず、俺らがいるところは、ここだ」
 炭鉱婦の制服のオーバーオールのポケットから、地図を取り出して、アダムは指差した。
 コリンを含む従業員たちは、地図に顔を近付けて、彼の示す先を確認した。
 アダムの持っていた地図は、いつもの世界地図ではなく、一部の国を拡大したもので、まるい国が ふたつ、ぽかん と、水色の背景に印字されていた。若い炭鉱夫は、そのうちの左側の陸地を指差した。
 コリンは さらに近付いて見る。左側の陸地でも、南の端に位置する地域。湖が ところどころに見受けられる、「Chiarraí」という ところに汽車は停車したようだった。
「ここって? 」
 コリンはアダムを見上げて尋ねた。読み書きを経験してこなかったために、地名を読むことができなかったのだ。
「ケリー。お主の出身地じゃよ、コリン」
 と、すぐ横から答えが返ってきた。ロバ頭の妖精メル⁼ファブリだ。暗がりを好み人前を嫌うカレが、食堂車(こんなところ)にいるのなんて珍しい。きのうの話し合いと言い、カレが こんなにも活発に動くだなんて、どうしたのだろうか。コリンは自分よりも さらに ちいさな老妖精を見下ろしながら思った。
「アダムから、なにか、貰ったんじゃろう? 」
「あ、うん、貰った! 」
 メル⁼ファブリから問われ、コリンは はっ としてジャケットのポケットを探った。木箱を取り出し、メル⁼ファブリに差し出す。
「〈プーカの衣装箱〉っていうんだって」
 老妖精は渡された箱を じっくり見つめて、「貴重な品じゃ」と つぶやくと、ふたたび、コリンに戻した。指揮官であるアントワーヌも興味津々だったらしく、コリンの手の平にあるものを真剣な眼差しで観察していた。
「ルールは、きのうも話した通り」
 アダムが口を開いた。
「基本的に何にでも誰にでも変身できるが、3回までだ。で、効力は12時間。以降、すぐに変身が解ける……らしい」
 アダムは最後の言葉だけ(にご)して、「きのう言った通り、俺も実際に使ったことがねえから わかんねえんだ」と肩を すくめた。
「それで、コリンは、どうするんだ? 」
 と、アダムの横に立っていたニックが、暗い目で箱を見下ろすコリンに問い掛けた。
「あ、え? 」
 顔を起こしたコリンが、ニックを向くと、心の底からコリンを(いた)わる顔と ぶつかった。
「汽車から降りてみるか? 」
 茶色い そばかすが乗った、やさしい大男は、やわらかい低音で、コリンに尋ねた。
 その やりとりで何かを察したのだろう、指揮官アントワーヌは、答えに詰まるコリンを見下ろすと、いつもの冷静な口調で言った。
「降りるか降りないかは好きに決めるといい」
「すぐに答えを出さなくてもいいんだぞ」
 ニックが すかさず言い、隣りのアダムを見た。
 一方で視線を受け取ったアダムは、「うーん」と苦い顔をして、「つっても、停車時間は ぴったり三日だから、時間があるかって言われると、そうとも言い切れねえんだけどな」と ゴニョゴニョ 言った。
「だから、今日中には決断を出しといたほうが──」
「降りるよ」
 ()えないまま続けるアダムを さえぎったのは、誰でもない、コリンだった。キッ と決意の表情を顔に宿して、きっぱり言った。
「僕、降りたい! 」
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