言葉のリハビリ 長期海外生活で日本語に異変…
文字数 1,674文字
大学生で英語圏に一年留学して以来、どんどん日本語が下手になってきている。
特に最近の日本語下手度は深刻である。
こんな事を言うと、「なにそれ、自虐風自慢?英語が上手くなりすぎちゃった、って言いたいんかい?(いらり)」と思われ、冷ややかな視線を浴びるかもしれないが、事態は結構深刻な状況にあるのだ。
皆さんは、私が日本人なんだから、そんなに日本語ができなくなることはずはないだろうと、たかを括っているはずだ。たとえるなら、テストで95点を取った学生が「あ、あたいバカだから5点落としちゃった、てへ!」と言いながら、テストの答案を机の上にあえて出しっぱなしにしているのを想像しているかもしれない。これは間違いだ。実際には鼻水垂らした学生が、「やべー!やべー!国語で30点取っちゃった!どうしようもないから、これをネタにしちゃおう!ひひ」って言いながら、教室を駆け回っているのを想像してほしい。
私は現在海外で暮らしているのだが、五年目に突入して、急に日本語が下手になってきた。それ以前にも漢字があやふやになるなどの前兆はあったが、最近急にガックリと来た。
実際に私の日本語がどうなっちゃってるか、という例を一つ。私は先日、「お墓に花を添えたい」という代わりに、「お墓に手を添えたい」というメッセージを送っており、30分後まで間違いに気づかなかった。後から「あれ、なんか変な事を言ったきがする。胸騒ぎが……。」と思って、メッセージを読み返してみると、その残念なことになっており、「手を添えるって!!どんな状況や!!」と自分にツッコんでしまった。
もっというと、正しい言い方は「花を供える」なので、「花を添える」もあんまり正しくない。「花を供える」と「手を合わせる」と、あとなんとなく音と意味が似ている「添える」が全部まぜこぜになって、「墓に手を添える」という謎の表現を生み出してしまったようだ。
恐ろしいことに、メッセージを送っているときは、自分の間違いに全然気づかなかった。もしかしたら、自分が何を言いたいか、明確にイメージできていなかったのかもしれない。なんとなく、お墓と花と手の像がぽわわんと頭に浮かんでいて、「そ…そ…そえる」みたいな感じでテキトーに、インプットしてしまったといえよう。送った相手が母でよかったネ。
母語の場合、テキトーにインプット(もしくは産出)したとしても、大体正しく表現できるはずだし、むしろそんな複雑な言語の生成過程なんかを一切考えないで会話ができるはずなんだけど、最近どうも調子が悪い。
ちなみに今このブログを書きながらも「あー、これ、なんて言うんだっけ。」とか「あー、この文おかしくないかな??」とか、「間違った文法や語彙を世間に晒して、ボコボコにされるかも。」と頭をフル回転させながら書いている。母国語なのに…涙。
コロナのせいも、ちょっぴりあるのかもしれない。うん、そんな気がする。
普段は家族や温泉、日本食恋しさに、一年に一回は必ず帰国しているのだが、コロナのせいで、日本の土を踏まないままほぼ二年が経過してしまったのだ。それに相次ぐロックダウンなどで、人と会って話す機会がめっきり減った。
また日本語教師という職業柄、非ネイティブの生徒と日本語を話す機会が多いので、非ネイティブが話す日本語への寛容さと理解力が高まると同時に、「あれ、実際はどうやって言うのが正しいんだっけ?」という状況が多発するようになった。気づいたら、数に圧倒されて、自分が間違った日本語を言っているときすらある。笑 本当に気を付けなくてはいけない。
それでも学生の日本語よりはやっぱり私の日本語の方が上手いので(笑)、職業に支障が出るほどではないものの、もともと話すことや書くことが大好きだったので、心に大きな打撃を受けている。
そんなわけで、このエッセイは、私の言葉のリハビリを主な目的としつつ、色々私が好き勝手なこと言いますよ、というエッセイである。
おおらかな心で読んでいただけると、大変ありがたいです。よろしくお願いします。
特に最近の日本語下手度は深刻である。
こんな事を言うと、「なにそれ、自虐風自慢?英語が上手くなりすぎちゃった、って言いたいんかい?(いらり)」と思われ、冷ややかな視線を浴びるかもしれないが、事態は結構深刻な状況にあるのだ。
皆さんは、私が日本人なんだから、そんなに日本語ができなくなることはずはないだろうと、たかを括っているはずだ。たとえるなら、テストで95点を取った学生が「あ、あたいバカだから5点落としちゃった、てへ!」と言いながら、テストの答案を机の上にあえて出しっぱなしにしているのを想像しているかもしれない。これは間違いだ。実際には鼻水垂らした学生が、「やべー!やべー!国語で30点取っちゃった!どうしようもないから、これをネタにしちゃおう!ひひ」って言いながら、教室を駆け回っているのを想像してほしい。
私は現在海外で暮らしているのだが、五年目に突入して、急に日本語が下手になってきた。それ以前にも漢字があやふやになるなどの前兆はあったが、最近急にガックリと来た。
実際に私の日本語がどうなっちゃってるか、という例を一つ。私は先日、「お墓に花を添えたい」という代わりに、「お墓に手を添えたい」というメッセージを送っており、30分後まで間違いに気づかなかった。後から「あれ、なんか変な事を言ったきがする。胸騒ぎが……。」と思って、メッセージを読み返してみると、その残念なことになっており、「手を添えるって!!どんな状況や!!」と自分にツッコんでしまった。
もっというと、正しい言い方は「花を供える」なので、「花を添える」もあんまり正しくない。「花を供える」と「手を合わせる」と、あとなんとなく音と意味が似ている「添える」が全部まぜこぜになって、「墓に手を添える」という謎の表現を生み出してしまったようだ。
恐ろしいことに、メッセージを送っているときは、自分の間違いに全然気づかなかった。もしかしたら、自分が何を言いたいか、明確にイメージできていなかったのかもしれない。なんとなく、お墓と花と手の像がぽわわんと頭に浮かんでいて、「そ…そ…そえる」みたいな感じでテキトーに、インプットしてしまったといえよう。送った相手が母でよかったネ。
母語の場合、テキトーにインプット(もしくは産出)したとしても、大体正しく表現できるはずだし、むしろそんな複雑な言語の生成過程なんかを一切考えないで会話ができるはずなんだけど、最近どうも調子が悪い。
ちなみに今このブログを書きながらも「あー、これ、なんて言うんだっけ。」とか「あー、この文おかしくないかな??」とか、「間違った文法や語彙を世間に晒して、ボコボコにされるかも。」と頭をフル回転させながら書いている。母国語なのに…涙。
コロナのせいも、ちょっぴりあるのかもしれない。うん、そんな気がする。
普段は家族や温泉、日本食恋しさに、一年に一回は必ず帰国しているのだが、コロナのせいで、日本の土を踏まないままほぼ二年が経過してしまったのだ。それに相次ぐロックダウンなどで、人と会って話す機会がめっきり減った。
また日本語教師という職業柄、非ネイティブの生徒と日本語を話す機会が多いので、非ネイティブが話す日本語への寛容さと理解力が高まると同時に、「あれ、実際はどうやって言うのが正しいんだっけ?」という状況が多発するようになった。気づいたら、数に圧倒されて、自分が間違った日本語を言っているときすらある。笑 本当に気を付けなくてはいけない。
それでも学生の日本語よりはやっぱり私の日本語の方が上手いので(笑)、職業に支障が出るほどではないものの、もともと話すことや書くことが大好きだったので、心に大きな打撃を受けている。
そんなわけで、このエッセイは、私の言葉のリハビリを主な目的としつつ、色々私が好き勝手なこと言いますよ、というエッセイである。
おおらかな心で読んでいただけると、大変ありがたいです。よろしくお願いします。